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#168|今日も1日よくがんばりまして

6:40から24:00きっかりまで、今日も1日よくがんばりましてへとへと。少し休憩してからのnote365日連続投稿チャレンジ168日目。今日は「喋るように書く」イメージでとりとめもない内容を。


なんとなく思い浮かんでいることをつれづれと

たとえば20年勤めたあとの転職で、まったく未経験の異業種に行くことよりも遥かに難しい気がする。

自分の日常生活に染み込んだ、「無意識的な考えや動きの癖を変える」ということは。

同じ思考ベースの上で動き方だけを変えることは比較的たやすくても、刺激に対する反応、特定の情報への感じ方や解釈の仕方、そこからの判断や実際の振る舞いなどの領域を変化させるのは大仕事だ。

情報の解釈の仕方と判断の仕方、そして単発的な行動の部分は、本や人から学んでアップデートもしやすいかもしれないが、刺激(入力)に対する反射的な感じ方とか反応や、判断からの行動の「間」の実際の振る舞いを変えることはほんっと難しい。

「実際の振る舞い」とは、行動と行動の間の空白地帯での無意識的な動きの部分を指しているのだけど、そういう部分の矯正は気が遠くなるなと毎日感じている。笑う時の表情を変える、咄嗟に出る喋り方を変える、というようなもので。


教育において「若さ」が歓迎されるのは、今がどうであれ変化できる速度と可能性がより開けているためで、それはこういった「癖」が「緩い」可能性が高いからだよな。だから、幼い頃からのしつけ、身につけておくとよき習慣、というものは重要であり、本人も周りの人をも助ける。また、だから一緒に過ごす人や場所という「環境」は重要なのだ。そんなことは生まれた時に知っていたかった。


運動においては、「すでに染み付いてしまった間違った動き方の癖を矯正するためには、正しい動き方を何万回と重ねる必要がある」と聞いたことがある。いや、何十万回だったかもしれない。回数がかなり曖昧で申し訳ないが、最低でも「万」単位は超えていたことは覚えている。

「無意識領域の反応グセを変化させること」が今の話の焦点なので、その難しさは運動と同等レベルと考えても、何万回と意図的に補正しなければ今までと違った反応や振る舞いはできないのかもしれない。

こりゃまた絶望の香る話だが、もしかしたらもっと低いラインで変化は訪れるかも、という希望も残っている。なにせ衝撃を受ければ一撃で変わったりするのが「考え方」でもあるので、そこまで「回数」が絶対的なわけではないかもしれない。

どうあれ、こういうことを知っておくとそれでもなお変化を求めるのなら「覚悟」はできるし、それゆえの「楽観」的態度も生みだすことができる。

「すぐに成果を!」と考えずに、数千回失敗したってそういうもんだしな、とあんまり気にすることなく、気長に付き合っていこうか、と肩の力を抜ける。(抜けるか?)

逆に、それくらいのスケール感、どっしり感は、若いモンには持てない年長者の強みだろ。「変化できる人になる」ことはこのnote始まって以来のテーマだが、今「ボス戦」やってるって感じがする。


おつかれっした

脳がぷしゅ〜〜〜っとなりながら、1日の締めにブログを書く25:10。全力ダッシュやマラソンを終えて、寝る前の儀式をしているような。

今日は今年最強クラスの吉日だったので、そういう日は大いに活用することに決めている。因果はどうであれ「ノリ」はいい方がいい。こういうものには乗っておく。

8/1に恥ずかしげもなく夢を語り、「あたいクリエイターになる」と言った言葉に乗ってあれこれ動いた。楽しいけれど、先に書いたように気がついたらサポーターやってる(受動的な時間を過ごしている)もんで、自分の振る舞いが白黒点滅しているような、あべこべなような。

今日はその合間に、復活させたい習慣を起動させたりもして、まーよくぎゃんばりました。幸い、ここ最近の精神の不具合は安定しそうな兆し。

明日も夕方までは怒涛にやって。夕方から別予定で夜のルームは欠席の見通し。振り返りルームを毎晩やってる、もう500日こえてる、とか言ってるけれど、ほんと100%手伝ってくれているみんなのおかげで、私はまったく大したものではない。

そんな感じで、明日が来るのを楽しみに今日もねむる。


✑50分|1700文字

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