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#185C|はじめの一歩

実はこの1週間、精神的にとても苦しい日が続いていた。突破したので今日は内省と発見の記録。note365日連続投稿チャレンジ185日目。


鬱について

精神的にとても苦しい日が続いていたとはいえ、人とやりとりする時には切り替えて元気にいられたから、そこまでひどいものではなかったとも言えるし、それは私がこの1年で身につけた「切り替える力」の賜物とも言える。

このnoteは「自分についてなんでも隠さず書く」と決めていて、実際にそのようにしているけれど、やっぱり「この話題」は書きたくないなと思うネタ。私は20代の期間は鬱だったこと、それが再来しかけたことについて今日は書く。


一度でもハードな鬱状態に入ったことがある人には共感いただけると思うのだけど、ある一定のラインを超えてしまったら心に消えない傷が残る。

それは10年程度では治らない。何かのきっかけで条件が揃えば、発作的・瞬間的に「あの状態」に一気に落ちる。「そうなったことがない人は絶対に、いきなりそんなことにはならない」ようなところにまで一瞬。それが起こると、日常生活は難しくなる。

これは薬物中毒の人と似ているんじゃないかと(体験したことがないのでわからないが)勝手に思っている。


自虐的になる癖がある人や、他者に甘えたい気持ちを秘めて鬱っぽくなるような人がいる。特に若い頃は、いや年齢に関わらずあると思うが、どんな理由があっても自ら「気持ちを弱らせる」ことは本当におすすめしない。それで目先のなんらかの利益は得られても、ある地点まで行くと戻れなくなる。取り返しがつかない自傷行為だ。


母の生存戦略

私の母は「自分を弱らせる」ことを無意識的に生存戦略として選んでいた。徹底的に弱く情けなくあることで、他者に憐れんでもらい助けてもらうという生き方だった。

母もとても辛い状況だったことは今はわかる。「なすすべがない」と感じた彼女が、どうしても取らざるを得なかった生き方だったのだろう。

良い悪いの話がしたいわけではないけれど、そういう姿を見て育った私は誇りや気高さとは真逆のその振る舞いを毛嫌いしながら、自分に大きな困難が降り掛かった際には、母と同じように振る舞う人間になった。

その行動が自分から自信や自己肯定感をなくし、他者に憐れんでもらわなければ生きていけない弱い存在なのだということを自分の中で「事実」にしてしまった。

そんな行動を取ったあとはもう本当に情けなく、惨めで、自分を好きになんて絶対になれないと思った。

私は昔から困難に立ち向かえる勇気がほしかったし、人を自分から愛する力がほしかったし、自分に誇りや自信がほしかった。どれも自分にはなく、持っている人が眩しかった。だから、そういうものに今でもこだわっているのだと思う。


三度目の正直

2015年頃に地獄のような鬱状態を抜けた。2019年頃に再発したが、2020年からは1度も起こっていなかった。

どうもこの度「三度目」が来たようで、先週から非常にメンタルがキツく、身体にも症状が出ていた。突然涙が出たり、人との予定が入ってない時には起きていられなかったり、ひげを剃る気力もなく、謎に左足は痺れっぱなしで、肛門から血は出るし、「◯んでしまうおうか」なんてことも頭に浮かんでギョッとした。これはかなりまずいことになっていると思いながら、そんなまずい状態であることを人には言えないのがまた辛い。


しかし、今回を「三度目の正直」にできそうだ。

私がそのようなキツイ精神状況になる条件は2つあって、そのどちらもを踏まえている今回は、昔の自分なら活動停止している。それが人前で動けていることは、まず素晴らしい。

そして今日この話題を取り上げたのは、ぜひ残したい発見と変化があったためだ。この問題を「根本的に乗り越えられるかもしれない」と予感できる出来事があった。


人はどうしようもなく辛いことに直面した時、現実逃避するのは防衛本能からも自然なことだ。記憶をなくすなどはよく聞くことで、私も20代の記憶は抜けている部分が多い。

しかし「そこから逃げていては自立できない」ようなことは、ちゃんと生きようとするのなら必ず何度でも直面する。そういうものはどのような手段であっても「乗り越える」しか選択肢はない。

今回はそんな「逃げ出したい」対象に、なんとかかんとか、薄目×横目でチラリと見るようなギリギリの感じではあるけれど、とうとう対峙できた。

苦しさの中に身を据えて、これまでのように「逃げて終わらせる」のではなく、「誰かに助けてもらう」のではなく、1人で取っ組み合った。これにはもうお祝いのクラッカーを炸裂させたい気持ちだ。

そうしてこの問題を解決するための核心を発見できた、これで克服は時間の問題になった。


はじめの一歩

たぶん3才くらいから持っていて、それにより20代を溶かして、30になってもまた再発して、と、ずっと続いてきた私の「不安定さ」の、根本的な問題がついに解決できる!

それは「はじめの一歩の進め方」と表現したいものだ。自分の手足で、自分の人生を前に進める技術。

そんなもの、持っていなくてもライフイベントは進むし、平和に楽しく一生を終えることもできる。実際にそれを持っていない人や、必要としない人も山ほどいる。

しかし、それを持っていなければ私の思う形の「自立」はできない。「自分の意図したものを自らの手で創り出す」ことも難しい。今月の始めに「クリエイターになる」宣言をしたが、それもこれがなければできっこない。


その方法をぜひ共有したいのだけど、残念ながらそれは私の文脈においてのみ有効なもので、誰かに教えることはできないし、誰かから教えてもらうこともできないものだ。

今まで「それ」からは「逃げる」以外の選択肢があることを想像できなかった。ひたすら「買ってない宝くじに当たることを祈っている」ような状態だった。けれど今回の私は、三度現れたこの問題から「逃げずに向き合う」ことができた。

それによって、どのような目標に対しても「はじめの一歩」を踏み出す方法を見つけた。これが問題の解決に必要なことだった。


これまでの努力で「地図」や「羅針盤」は持っているし、その「読み方」や「扱い方」にもある程度は長けている。それを他者に提供して生き繋いできた。

そんな私のラストピースは「歩き方」だった。これで本質的な意味での「自立」もできそうで、やり切れば私が他者や社会に対して持っていた「引け目(劣等感)」も消える。

結果論だけれど、この発見がないと「クリエイターとして生きる」ことは無理だったので、これは「ゴールを決めて進もうとしたために訪れた試練」だったと感じる。どうであれ、ハードな1週間が明けまして万歳三唱。

明日からまたロケットスタート。



✑150分|2800文字

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