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#161|目を覚ませ

自分のネガティブな気持ちや思考、苦手な部分や弱い部分、ずっと抱えている問題や壁、というものを「アウトプット」する行為は、それらを今後も「持続させる」方向に働きもする。note365日連続投稿チャレンジ161日目は、このことに気をつけたくて書いた自戒記事。


「なんでも」書き出す注意点

「考えを全て書き出す」「行動を記録する」といったようなことは、アタマのモヤモヤをスッキリさせて必要なことに集中するためだったり、現状の正確な把握から改善案や推進計画を立てるために効果的であったりするが、「ネガティブ」系の情報の取り扱い(≒解釈)には若干の注意が必要だ。

自分の「ダメなところ」とか「◯◯ができない理由」を何度も読み上げていればそれは信念的なものになり、自分の中に根付いていき、現実がより「そうなる」方向に進みそうだということはイメージできる。

「うまくできなかったこと」とか「問題」とか「弱み」を、なんらかの理由であっても「イチイチ書き出す」ということにも、そういった効果がありそうだ。


私は「自分に向き合う」「ありのままを正直に発信する」ことの訓練としてこのnoteを書いている面がある。今日まで160日間、ありのままに「弱み」や「うまくいかなかったこと」も書き続けて、基本的に「ポジティブな変化」を感じているが、また別に「ネガティブな効果が発動している感覚」も見つけたので捕まえておく(=記事にしておく)

たとえばゼロ秒思考メモ書きは「思考力をフル稼働させる」ツールとして激推だが、それで毎回「今気になっていること」とか「私の問題点」などを0秒で書きまくっていると、それは「クリアされるため」でなくて、結果的に「持続・強化されるため」に書かれているような形になる場合がある。


トイレに行くのも難しくなる

自分の苦手な点やできなかったことなどを、自分で書くということはどういうことか?

「これが難しいんだよな」ということや、「うまくいっていない」ことを挙げて、さらにそこに感想を述べることで、どんな効果か生まれるか?

私はそういう内容のnoteも頻繁に書いてきたが、それによって「できないこと」が「よりできない」という状態になっている面があるようにも感じる。

もしかしたら、ソレをするのはわりと簡単なことなのに、数度の失敗からできないと認識し、そのように書き、人に話す。それにより、いよいよ本当に「できなくなっている」というような現象。


たとえば「真冬の深夜にトイレに行きたくなった」として。いちいち「布団から出たらクソ寒いだろうな」とか「便座冷たいのヤだな」とか「途中で起きて睡眠の質悪くなったな」とか考えていると、「たかがトイレに行くだけ」の行動のハズが、実行が難しくエネルギーのかかるものになる。

目が覚めてトイレに行きたいと思ったなら、スッと行ってパッと帰ってきてサッと寝る。そうすればそこになんの抵抗もエネルギーロスもないはずなのに。難しいはずがない行動も、難しい点に目を向け続けることで、どんどん困難に育っていく。

うまくいかない理由と結果を積み重ねていけば、トイレに行くことすら難しくなる。


実体験として、むかし私は車で寝落ちする習慣があった。駐車場から部屋まで数分の距離をものすごく遠いと感じて、そのまま運転席で朝まで寝ることが癖になっていた。

その時には「いかに部屋に戻るのが難しいか」その理由を熱弁できたし、ゆえにそれは現実と化して、当時の私にとっては「本当に」難しくなっていた。

このケースでいえば「布団で寝たい」のなら、難しさに目を向けるのをやめて、すぐ車から降りればいいだけだ。タバコの禁煙と構造はやや似ているから、一定の難しさはあるにしても。

しかし、クリアした今では、果たしてどうやって車内で寝落ちすればいいのか?帰宅して車から降りることの何がそんなに難しかったのか?過去の自分にはもう共感はできない。(共感できてしまったらまた車で寝落ちできるようにもなるため、したくもない)


「できない」という自己暗示をやめる

同じように、現在であれば私は「なかなか望むようにコンテンツが作れない」という困難を抱えているけど、たとえば jさんとか佐々木さんとかはそれこそ「息をするように」コンテンツを日々作っていて、「べつに難しいことじゃない」と言うハズだ。(「ラクにやっている」という意味ではなく)

なぜに私はこれをいつまでも「難しい」と言っているのか?もう発信の怖さも取れただろうに。(残骸みたいのはあったとしても)

ある意味、盲目的。「自分にとってこれは難しいものなんだ」「自分にはなかなかできないものなんだ」そういった思い込み、盲信みたいになっているのではないか。

よーするにこれも癖。過去に、自分を守るためや、悪い意味でラクをするために身につけた癖だろう。以前はこれによって得られるものがあったし、これによって何かを得ることをよしとしていた。

しかし今はもう必要ない。今の自分が望む在り方や生活には、もういらないものだ。


目を覚ませ

そういういらない癖をどんどん捨てる。「身を守るための『弱さ』」みたいなものは、私にはもう必要ない。

「ちゃんと目を開けて、目の前の現実を見ろよ」と言いたい。「あなたは何を持っているのか?」。きっと、そんなに難しいことじゃない。

問題を「クリア・達成する」方に意識を集中させて、その状態で「書き出した問題点」を見つめてアプローチするのなら、「できない理由」を書き出すことにも効果はある。

しかし、「問題点」自体に意識の比重をかけすぎると、それは「問題を強化する」方向に力が働いてしまう。ここのバランスを新しく整えながら、この癖を取り去る。(これは「今までできたことのない行動」が「できるようになる」ためのポイントの1つでもある)

そしてこれは、「自分自身の可能性をもっと認めろ。信じろ。自分自身をもっとたいせつにして差し上げろ」ということでもあるな、というのが直感的な感想。

いつも目を覚ましていたい。全集中の呼吸常中的なな。


✑80分|2400文字

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