写真集を読んでから、写真をちゃんと撮るのを止めた話
こんばんは。トサノコージです。
note 連続投稿4日目。
少なくとも写真展のある4/4 まであと22日は続きます。
多分!
芸術写真に触れる機会のなかった自分のこと
さて、今回はタイトルにあるように、写真集を読んだということとそれによって写真の撮り方が変わったということがメインの話になるのですが…。
前提としてお話をさせていただくと、自分は今では写真を撮って生きているのですが、これまでの人生の大半で「アート」というものにのめり込んだことがありませんでした。
最初にカメラを手にしてから20年ぐらい、生業としてから15年ほどですが、写真を芸術的な視点から見始めたのはそれこそ、ここ数年です。
写真を専業とするために人の写真を参考にすることは多々あったのですが、基本的にはライティングや撮影技法、アイデア的な技術を参考にするため。アート的な視点で観ることは少なかったです。
そして恥ずかしいぐらいに世の中の写真家さんやアーティストに詳しくなかったのです。
独立したての頃に雑誌の編集者さんから「川島小鳥さんみたいな写真が希望です」って言われて「誰でしょう? 」と答えて白い目で見られたのも今はもう懐かしい思い出です。
篠山紀信さんやアラーキーさんなど、という巨匠の名前はさすがに昔から知ってますが、それでもさほど写真をじっくりと見たことはなかったりします。
もともと雑誌編集者として、仕事のためにカメラを持つことを始めたので、芸術的要素なんてほとんど求められなかったのです。
これは僕が撮影をしているジャンルによるものと思うのですが、今でも実はほとんど芸術的要素は求められなかったりします。
たまに変化球を求められることもあるのですが、あくまでプラスアルファの一要素、と言った感じでライティングなどに付け足すぐらいだったりします。
求めるものの変化、インプット不足の痛感
ではなぜ最近になって積極的にアートを見ようと思ったのかというと、それは大きくはSNS、というかTwitter (今はX になっちゃいましたが)を始めたことがきっかけです。
写真アカウントを始める前、とある写真好きの集まるコミュニティに入っていたのですが、そこを入り口としてSNS界隈の多くの写真を撮る人たちの姿を目にすることになりました。
もともと写真を撮ること自体は昔から好きだったので、仕事以外でも撮り続けてはいたのですが、アウトプットはFacebookなどのごくごく狭い範囲の知人に向けた投稿ばかり。
今思えば、これほど自己満的で成果を生み出しにくいアウトプットもなかったと思います。
なんとなく「これじゃ成長がないな」と思って前述のコミュニティにノリで入ったのがそもそものキッカケです。
そこから刺激を受け、Xの写真アカウントを新設し、投稿を続けて1年以上いろんな人と知り合ってさらに刺激をうけ、多くの人が写真集などのアートからインプットを得ているということを肌で感じたのです。
そこから、積極的にアート方面の写真や映像に目を向けるようになりました。遅いスタートです。
SNSのみでは感じる限界
SNSでもたくさんのフォトグラファーが写真を投稿しています。しかも無料。親指をスワイプするだけで瞬時にいろんな人の作品が拝見できます。
そこをとっかかりに、その人たちが何を思って写真を撮ってるのか、何を求めて撮ってるのか、何に刺激を受けて撮ってるのか、色々と学ぶことができました。
そして写真展があるなら積極的に足を運ぶようにしましたし、自身で写真集の専門書店にて物色を続ける日々が始まりました。
iPhone のガラス越しの世界から、リアルの世界へと拡がりを感じたのです。
写真集を持ち寄る会の話
写真集を探し回る日々をしばらく楽しんでいたのですが、ああいう本って立ち読みもしづらく、封を開けて中身を確認するまで全体のボリューム感とか写真の好みとかわからなったりします。
モノによっては万越えの本とかあるので、購入になるべく失敗したくない…。
写真って結局人それぞれの好みがあるので、他人のレビューもあまり参考にならなかったりするのです。
どうしたものか…。
そんなある日、X で知り合ったKISUKEさんのこのような投稿を見つけました。
「これだ!」
実際にじっくりと本を手に取ってみて、その一冊が自分にフィットするかを確認したらいいんだ! と思いましたね。
しかも、写真を撮ることや観ることが好きな人たちが持ち寄った会、ハズレの本もそうそう無いだろうという期待もありました。
少し自分の好みと違っても、それはそれで勉強になるだろうし。
というわけで、スケジュールを強引に空け、参加することにしたのです。
結果、沼に片足を突っ込むことに
大満足でした。
新たな世界が広がった気がします。
たっぷり2時間、腰と首と頭が痛くなるまで十数名が持ち寄った数十冊の本を堪能しました。
そして「これは欲しい」と思った本をメモがわりに撮影。
ちなみにこれらが、今の自分にフィットした本たちです。(最下段のGenesisは僕が持って行ったやつですが)
そして帰宅後、ネットで写真集探しの旅が始まりました。
ビビるような値段の本も多かったのですが、とりあえず簡単に手に入りそうなものからということで迎え入れた第一冊目がこちら。
散財は続きそうです。
翌日から撮る写真が、少し変わった(つもりでいる)
さて、長い前振りでしたが、本題です。
2時間という短い時間でしたが、多くの作品にどっぷり浸かり、自身の感覚は変わったのでしょうか?
個人的には、少し日常写真を撮る前段階での心構えが変わったような気がします。
かなりザックリと心境の変化を文字にすると
「ピントは合ってなくてもいいんや」
「ていうか、よくわからない写真でもいいんや」
の2点です。
そもそも日常でゴリゴリの商業的な撮影をしていると、ピントが合っているのは絶対ですし、目的のために意味のわからない写真は無価値です。
そんなもん納品したら怒られちゃう場合だってあります。
僕は作家ではないんですから。
けど、趣味の日常写真ではクライアントなんていないわけだし、写真はもっと自由で良いんじゃないかな?という考えが加わったような気がします。
4月の写真展のために毎日撮っているのですが、並行してSNSにも毎日あげています。これに関しては、よくわからない写真は許されるとして、意味の無い写真は「本当に意味が無い」ので控えるようにはしています。
この辺りの匙加減というか、説明が難しいのですが、人様のタイムラインにお邪魔する以上、少しは楽しんでもらえるものを選んでいるつもりではあります。
「よくわからないけど、なんか良いね」
そんな雰囲気を自身も、観てもらう人にも感じ取ってもらえるように意識するようになりました。
ちなみに、写真集を持ち寄る会に参加した翌日にX に投稿したものがこちら
状況を説明するのを避け、雰囲気だけで攻めてみました。
これが良いとか悪いとかではなくで、今までこういう撮り方はしてこなかったので、少し幅が広がったんじゃないかなと、と思っています。
少々誤解を招きそうな記事タイトルでしたが…
そういうわけで、今回は
「写真集を読んでから、写真をちゃんと撮るのを止めた話」
でした。
ちゃんと撮るのをやめた、と言っても「適当に、フザケて撮るようになった」ということではなく、これまでの技術的な常識に縛られないようにした、という意味でした。
アウトプットばかり重視されがちな世の中ですが、たまにはインプットもしっかりしないとですね。
これまで、触れてこなかった世界が眼前に広がっている感覚がします。
楽しみが尽きません。
それでは、またあした。
トサノコージ初個展「百日」まであと22日!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?