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9 撮影

知り合いの知り合いから映画を撮影するので部屋を貸してほしいと頼まれた。

男は気乗りしなかったが、交渉にきた助監督を名乗る男に何度も頭を下げられて断りきれなかった。助監督は現状復帰を約束し、連絡先を教えてくれた。撮影が済んだら向こうから電話をくれる手筈となった。それほど時間はかからないということだった。

男は駅前をほっつき歩いて時間を潰した。することなどなかった。商店街の目立たない場所に座り込み、通りかかる人を観察して過ごした。

電話はなかなか鳴らなかった。半日が過ぎたあと、男はしびれを切らして自分から電話をかけた。助監督は交渉のときとはうって変わった横柄な態度で、まだ何カットか残っていると苛立たしげに言った。いつ頃終わるか訊こうとすると、助監督は「こっちからかけるって言ってるだろ」ときつい口調で遮り、一方的に電話を切った。

乱暴な言い方に傷ついた男は、心を落ち着けようとして隣駅まで歩いた。そして、駅の北側と南側をくまなく歩き回ったあと、再び最寄り駅に引き返していった。

助監督からようやく連絡があったのは、男がファミレスで四杯目の紅茶を淹れているときのことだった。深夜一時を過ぎていた。あわてて帰ってみると、部屋はまるで物盗りにでも遭ったような様相を呈していた。

家具は倒され、そこらじゅうに物が散らばっていた。床や壁には黒くてねとついた正体不明の液体が撒き散らされていた。窓はひび割れ、天井灯はなくなっていた。現状復帰の約束などまるきり無視されていた。

男は怒りに任せて助監督に電話をかけた。何度かけ直しても通じなかった。男はこの部屋で一体どんな映画が撮影されたのか推測してみようとした。まったくの無駄だった。

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