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10 橋の上から

男が橋の上から景色を眺めていると、下流で誰かが溺れているのを見つけた。男のいるところからは少し距離があった。橋は飛び込むには高すぎたし、岸に回り込むには時間がかかりすぎた。

今から通報していたのでは間に合わないことは確実だったが、男は泳ぎが得意なわけでもなかった。誰かに知らせようと周囲を見回したが、人の姿はどこにも見当たらなかった。

そのとき、男は溺れている人もまた橋の上の自分の存在に気がついたということに気がついた。相手はまさに藁をも掴むようにして必死で助けを求めてきていた。

男は恥ずかしいような情けないような気持ちになった。してやれることは何もなかったのだ。

そのことを分かってもらおうとして、男は肩をわずかにすくめてみせた。それくらいでは伝わらないようだった。今度は頭の上で手を交差させて大きく×印を作ろうとした。しかし、追い討ちをかけるだけのような気がしてためらわれた。

男は、橋の上で身動きが取れないまま、溺れている人が水面に沈むまでの一部始終をただ眺めているより他なかった。たっぷり三分もかかったように思えた。急いで岸に回り込んでいたら間に合ったかもしれないと思ったが、もはや手遅れだった。


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