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指導者ライセンスって


指導者ライセンスって必要だと思いますか??

個人的には、無くても良いとは思うけれど、もしなくなるのであれば、同時に誰でも学べる環境が整わなければならないと思っています。

なぜなら、基本的には人間というのは、外部からの学びがない場合、自分の成功体験を全てだと思い込み、自分の成功体験を全く違う人格である選手に押し付けてしまう傾向にあるからです。もちろん、そんな指導者を数多みてきました。

スペインの経験から


そういった意味は、少なくともスペインの指導者ライセンス制度は色々な指導者と議論できる環境があり、プロの選手も街クラブの若手の指導者も同じレベルで意見を交わせる環境はとても嬉しくあり、また本当に多くの学びがあったのは事実です。(※現在の日本の制度はわかりません)

また、講師の先生(プロクラブを率いた経験有)の研究結果や経験を話していただき、その情報を基に、生徒が喧喧諤諤議論し、予定の講義が終わらないことなんてザラで、プロであろうが、街クラブの指導者であろうが、選手のためを考えた異なる意見や、サッカーの理解を深めるための意見、自分の視点にはないアプローチの仕方などが話し合われる場面では、とても興奮したのを今でも覚えています。

もちろん、講義でサッカーを学問として体型的に整理する方法を学び、自分のサッカー感の基礎を作ってもらえたことは、日本ではできなかった経験ですし、その講義から脈々と受け継がれるスペインサッカーの歴史を感じることもできました。

個人分析官の経験から

また別の視点からこの問題を見てみると、現在私は、選手の個人戦術官として、日本代表レベルの選手、中堅レベルの選手、育成レベルの選手、さまざまな選手と一緒にサッカーを見ていく中で、正直に感じるのは、選手はあくまで選手であるということです。本当にパフォーマンスが素晴らしい選手であっても、自分のプレイを客観的に評価することは難しく、また成功体験に縛られ、彼ら自身とても悩んでいます。それはレベルの高い選手であればあるほど、その傾向が強いように感じます。そういった意味でも、チーム全体を本当に考えているのかという部分も、指導者との乖離は大きいと感じています。

これからの監督像とライセンス制度

高いレベルでプレイしていれば、高いレベルでの指導者になれるのか、私の意見は、『NO』です。もちろん、多くの良い指導者から影響を受けて、サッカー感は一般の指導者よりも上だと思います。が、、、指導者はそれだけではなく、緻密に体型的に構造的に物事を考えることができなければならないのです。さらに、現在はデータの取り扱いにも優れていなければいけません。そういった意味では、多くの専門家をマネージメントでき、それを最適化できる指導者が結果を残す世界が遠くない未来に待っていると思っています。

そういった意味では、指導者ラインセンスは、必要ないのかもしれません。

結論は…

ただ上記したように、これからの時代、監督になる指導者は、学際的に幅広く知識を得て、さらに専門家をまとめ上げ、実践まで繋げていく能力が必要となってくるはずです。間違いなくそこには、学びがなければ、選手の経験だけでどうにかなる世界では無くなるでしょう(そうしていかなければなりません)。現状では、ライセンス制度がある程度、ベースの部分を担保してくれていますが、もしそのベースの学びが必要ないということであれば、ライセンス制度以上に高度で、質の高い学びの場にいつでもアクセスできる環境を作り上げなければならないのではないかと思います。

その環境が整っていれば、ライセンスが無くても良い、なんて議論にもならずに、自然とその流れになるのではないでしょうか。

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