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まとまらない言葉、まとまらない自分

こんにちは。
骨は折れても心は折れない中年女性・とりの とさかです。

前回は「わたしがなぜ大人になってから大学に進学したのか」について書きました。
読んでいただき、スキしていただき、とても心強く思いました。
本当にありがとうございます。

前回を踏まえて「大学で何を学ぶのか」とか「どのように学習をするのか」など、関連したことについて書こうと思ったのですが、なかなかうまくまとまりませんでした。

なので今回は「うまくまとまらない」ということについて書こうと思います。


まとめてみようとしたけれど。

書こうとしたことがうまくまとまらなくて困ってしまいました。
通信制大学ではどのような勉強をするのかとか学習方法について、現在進行形でやっている身として経験を伝えてみたいと思いました。社会人で通信制大学で学ぶ人はそれほど多くないので、ちょっと興味を持った方や実際に進学を検討している方の参考になればいいかな、と思いました。
そこから書き始めてはみたのですが、どうにも締まらない。無駄に長くなったり逆に言葉が足りなかったり。
なので一旦下書きに保存して、まったく別のことを書こうとしたのですが、これまた締まらない。
こうしていくつかの下書きが残っている状態になっています。

すぐ飽きてしまう自分。

わたしはめんどくさがりで飽きっぽいです。できないことを先延ばしにしたり、逃げてしまいがちです。見込みが立たないものについて諦めが早いのです。

やりたいと思う、けど思うだけ。
行きたいと思う、けど思うだけ。
ちょっとかじってみても、できなさそうなら「どうせ自分には無理」と思ってやめてしまう。
家庭や仕事などの諸々の事情でタイミングが合わなかったり、金銭的に難しいことなどもあったとはいえ、あと少しの行動が足りずにやらなかったことやできなかったことが色々とあります。
そして、これといった何かを残せずに歳だけを取った中年がここにいるという状態となっています。

下書きのように残っている、やらなかったこと。
下書きのように残っている、できなかったこと。
その中の幾つかは、もう年齢的に今からその続きが叶わないこと。
子を育てる親になれず、人を育てる立場の社会人にもなれず。
この歳になっても形にしたものが無くいまいち締まらない、まとまらない自分。

それでも、生きていかざるを得ない。

ただ、ここで嘆いていても、何も変わりません。誰かや何かのせいにして人を傷つけても、自分ばかりを責めすぎて自分を傷つけても、何の得にもなりません。

下書きは、伝えたい思いがあるからできていきます。
その時点ではまとめることができなくても、一旦離れてからもう一度読み返してみると、紡ぎたい言葉が出てくることもあります。
もしくは、全く違う思いが出てきて新たなものが生まれることもあります。
どうしてもまとまらないものは、この際削除して整理しましょう。

心の奥に澱んでいる悔恨の中にも、これからでもできることがあるかもしれません。当初に思い描いた形から変化しても、自分自身で納得ができればそれでいいと思うし、もしかしたら全く別の何かを新たに生み出せるかもしれません。
それは例えば仕事や勉強ではなくても、趣味や部屋の掃除や推し活でも、自分の心が動いたことから始めてみたら、自分を取り巻く世界の見え方が変わり、世界との繋がり方が変わるかと思います。
もう今からでは叶わないことは、考えすぎても仕方ありません。折り合いをつけましょう。

けれども欲張りな自分。

心の中の在庫整理は、たぶん一生終わらないでしょう。
伝えたい何かややりたいことは、生きている限り溢れ出てくるでしょう。
「足るを知る」とか「身をわきまえる」という言葉もありますが、欲があることは言い換えれば「志がある」という解釈もできます。
いい方向に使えば、きっと誰かの役に立つはずだと思います。


過去に対する悔恨や先行きに対する不安を抱えながら生きている中年は、わたしだけではないと思います。自分の力ではどうにもならない不運もあるかとは思います。けれども重苦しい気持ちはひとまず横に置いて前を見たら、何かを見つけられるかもしれません。そして自分から何かを発することで、思いがけないところに道は続くかと思います。

クラーク博士の有名な言葉で
「Boys, be ambitious like this old man.」
とあります。

歳を経てもなお前へ進むことで、この先にもまだ希望があるということを伝えられるのではないかと、わたしは思います。


(最後まで読んでくださり、ありがとうございます!スキ❤していただけますと、とてもうれしいです!!)

生きる糧にします!