強さについて(2023の考察)
今はもういない友人Aと、七夕の願い事に寄せて…
「強さ」ってなんだと思う?
色々定義できると思うけれど、僕が指す「強さ」と言うのはつまり、「ヒトとして」の強さだ。
長らく僕も考えてきた。
高校生の頃から、七夕の短冊や神社の絵馬にはいつも「強くなりたい」と書いてきたものだ。
「強さ」ってなんだろう?
立場?名声?確固たる意思?
単に力が強いことが「強さ」なのかな?
思い通りに物事を運ぶことが「強さ」なのかな?
結果を出すことが「強さ」なの?
自分の意見をまかり通して、相手をひれ伏させることが「強さ」なの?
単に強がっていることは決して「強さ」とはいえないよな?
僕は違うと思った。
僕が思う本当の「強さ」と言うのは、
自らの弱さや過ちを受け入れ、正々堂々向き合うこと
そして、それすらも強みに変えてしまえるような気概
のことなんじゃないかなって思うんだ。
強い人は、他人のことを評価しないが、
常に自分のことを省みている。
強い人は、相手のせいには決してせず、
少しでも自分に否があればその過ちを認める。
強い人は、いつも心に余裕があり、
癪に触っても冷静に対処する。
これが本当の強さだと、僕は思う。
ここまでに辿り着くのはとても長かった。
理性と感情
自分と他人
主観と客観
本音と建前
素直と強情
いろんなことを考えてきた。
数々の失敗を繰り返し、叱責を受けた。
人間関係の対立と軋轢を繰り返したので、呆れられ、嫌われることも少なくはなかった。
落ち込んで精神的に参ってしまったこともあるし、落ちるところまで堕落もしたものだ。
しかしながら失敗というのは都合の悪いことに、いつまでも忘れられないもので、次に同じことを繰り返さないためにはどうするか、迷いながらも常に考えさせられた。
考えて考えた果てに、これら二項対立の自分なりの使い分けができるようになって、やっと「自分らしさ」が見出せるようになった。
しかしその時には独りになっていた。
僕が独りなのは、独りが好きだからじゃない。
決して独りが楽しいからでもない。
友達もいるし、必要であれば他人にだって頼る。
僕が独りなのは、その術を知っているからだ。
必要のない時に誰にも頼っていないから、僕は「独り」であるように見えるのであって、僕は頼る術を用いて、自分で自分の環境を作ることができる。
この根底にあるものが、上述の「強さ」であると僕は思う。
他人と付き合う中で、過度な期待をするのではなく、ミスに対して、心からお互い様であると考えられる精神こそが「強さ」なんだと僕は思う。
この精神はどんな相手であっても「言葉」から露呈する。
言葉を用いて誠心誠意伝えられないと、相手からの信用は簡単に失墜する。
つまりその人の「強さ」はその人が発す「言葉」でばれてしまうのだ。
言葉を意識すれば自然と意識が意識され、やがて精神に染みつくものだと、経験上僕は思っている。
友人Aとはとても仲が良かったが、会話の至る所からAの「弱さ」を感じていた。
僕はそれを弱さだと指摘できなかったので、そのうわべだけの強さにわざと「強いね」と返した。
Aよ、君は決して強くない。
ここに刻んでおくので、いつか省みてほしいな。
その時が君のスタートでありますように…
これがある種僕の「弱さ」の1つかもしれないが、強さについてこう定義しているので、次はその強さで、もっとたくさんの人のために行動したい。
そんな思いも込めて、今年は七夕の短冊に「やさしくなりたい」と書いた。
10.7.2023 強さについての考察
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