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Sunshine Superman I Donovan

Sunshine Superman I Donovan

フラワー・ロックというやつでしょうか。
さすがにこの年代はリアルタイムでは聴いていません。

今ではこんなことを言ってしまうと顰蹙ものですが、僕が10代の頃はドラッグカルチャーとして括られる様々な音楽やアートは憧れでした。

あまり取り沙汰されないようですが、思想哲学の著作を残した方々の中にも阿片を服用していた人も散見されます。

Dr.ホフマンを偉大な人物と捉える僕たちにとって、今では違法となってしまった様々なアイテム、それを用いた思考はとても重要なものでした。

特にLSDによる思考実験の数々は、言語に依らない思考、共感(感覚共有)に於いて他の手段では到底及ばない領域に手を伸ばしたと考えています。

そして正対するように、精神を神経の生理的作用として研究する人たちもいました。
(生きた脳を実験対象とする為、ロボトミーの実質禁止とともに停滞していったと記憶しています)

これらのことを、2023年に記したのは多様性についての関心からです。
1980年代まで、モラルは一つではなく様々な異なるモラルが群雄割拠していました。少なくとも僕自身の狭い世間では明白に対立するモラルを持った人々が、それぞれの意思で世間に対峙していた。

つまりモラルとは普遍的なものではないということ、時代とともに変わり、社会によって異なる極めて限定的な性質の事柄だということです。これはモラルを法律や世論と言い換えても同様です。

アンチテーゼの魅力、最終的に徹底した自己否定と自滅に向かうデカダンスはモラルに対する攻撃であるべきであり、エロティシズム同様に禁止と違反によって輝く精神の運動であることを知りました。

昨今の肥大したモラル至上主義にはっきりと敵対する姿勢を取れない不甲斐なさを猛省しつつ、かつて掲げていた懐かしいスローガンを書き留めておきたいと思います。

Sex, Drug, Violence,

そしてこれはLove & Peaceへの反動であったこと、多様性とは敵対するパラダイムと融和することなく、敵対したまま並び立つことを可能にする希望だと考えています。

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