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世にも奇妙な場所~閉鎖病棟での270日間~9日目

外出禁止が続く世の中、なかなか外に出れない日々が続いている中、VRでのキャンパスツアーとか、あとは観光スポット巡りとか、宿泊とか、「自宅にいながら体験」できることが今流行ってますね。

今私が書いている閉鎖病棟の日々も、なかなか入ることのできないスポットの体験という意味で、少しでも皆様の時間つぶしになれば幸いです。

入院9日目/7月23日(金)

11時~フルニトラゼパム錠を飲んで12時に寝る。隣が怖いかなーと思ってたけど、別に音も出てこないので、とりあえずは静観で。翌日は8時~10時半まで2度寝していた。
12時~13時までの鈴木先生の診察、色々と話してめっちゃ疲れたけど、何か人生相談みたいになった。14時~ 陶芸。1回目。ゆのみを作った。そのあとひまだー
今は”理想と現実””自分が直したい点”を考えすぎて疲れた。頭の中がごちゃごちゃ。もう少し入院(2か月ぐらい)してもいいかなという気がしてきた。ここで勉強もできるだろうし、ある意味快適な空間なのかもしれない。外出や外泊は今の僕だったらOKらしいし。隣の人のことは、井出さんが来たら相談しよう。


振り返ってわかること

フルニトラゼパム

当時は1mgを飲んでいました。睡眠導入剤ですね。

脳内で神経興奮に関わるベンゾジアゼピン受容体(BZD受容体)を刺激して、脳の活動を抑えることで眠りやすくし、睡眠障害などを改善する薬

恐ろしく効きすぎて、朝起きた時の眠気やだるさが強く、この時期はよく二度寝していたのを覚えています。この後も導入剤はいろいろと変えていき、今はルネスタ3mgでいったん落ち着いています。(それも徐々に効かなくなってきて恐ろしいですが…)依存性も強い薬で、断薬がなかなか難しかった記憶もあります。


陶芸

作業療法の一環として行われていました。粘土をこねて窯で焼いて、実際にカップとして、病棟内で活用していました。センスがなくて壊滅的でしたが、創作できるという体験がすごく楽しかった記憶があります。手を何か動かしていないとつらい時期でもあったので、そこに集中することもいい逃避にもなったのではないかと思います。

作業療法はほかにも、書道やバレー、料理などいろいろな種類がありました。作業療法士さんもすごく熱心で、いい人達ばかりでした。感謝しかないです。


理想と現実の著しさ

この後もすごく悩み続けて、今でもよく悩まされます。

自分が”あったであろう”理想と、”実際にある”現実。例えば、起業した人、海外留学をしてMBAを取った人、大企業で偉くなって家庭を持っている人など、私よりも”優れている”人たちばかりが目に映ります。その景色が固定化されてしまうと、気分も落ち込みが強くなって、自分に自信がなくなって、外に出たくなくなる、のスパイラルが何度もありましたし、今でもよくあります。

ただ、最近になってようやく、

”世の中の価値は考えず、シンプルに自分がやりたいことをやればいい

”自分の中の楽しさ、を一番大事にする”

”それを出せるように訓練するため、思ったことを口に出すようにする”

と少しずつ思えてきたので、このように自分を記録しています。こうやって自分を振り返ってみつつ文章を書く、ということはうまい下手でなく、一定楽しさと、自己訓練になっているので、自己管理としてはおすすめかもしれません。

もし今も苦しんでいる方がいらっしゃったら、閉鎖病棟に1年弱入って、理想と現実に悩み何度も自殺未遂を繰り返し、一時は社会復帰が不可能とまで言われた人間でも、何とか生きて、少し楽しいことができるようになる、という事例もあることを、どうか認識していただければと幸いです。


夜と霧

アウシュビッツ収容所にも入れられた、心理学者のヴィクトール・フランクルが書いた「夜と霧」にこんな一節がありました

私たちが生きることからなにかを期待するとかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。
ここにいう生きることとはけっして漠然とした何かではなく、常に具体的な何かであって、したがって生きることが私たちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたった一度、ほかに類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。


ヴィクトール・フランクは収容所の中で、「『解放されたい』『おいしいものを食べたい』など、生きている中で何かを期待した」結果、亡くなる仲間を多く見たそうです。生き残った人は、「生きることが何を自分に期待しているのか」と発送を転換させて、今の状況を苦しみも含めて、受け入れることができた人だということです。

例えば『人より良い生活がしたい』『出世したい』という「生きている中で何かを期待する」と、今の自分の状況下で、「生きることが自分に向けてくる、今の課題を見落とす」こととなる気がします。

それを見落とさないようにするために、時々刻々と変わる「この状況で自分は何を生きることに期待されているのか」を意識して、これからも「生きること」に臨まないといけないなと思いますし、それを積み重ねていく結果、自分自身の運命というものが形作られるのだろうな、と考えると、今の自分のやっていることが、生きていることなのかな、と思ったりします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




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