人生に「無駄」はないね。

人生に「無駄」なことは何一つないですね。
ライターの仕事を始めて、本当にそう思います。

私は50歳を過ぎてからフリーのライターになりました。
飽きっぽいのか我がままなのか、これまで何度か転職を繰り返して、ようやくやりたい仕事につけたような気がします。

会社員を経験してから独立、フリーランスのライターになる人は結構いますが、やっぱり「記事を書く」という業界で働いてた人が多いんですよね。
出版社とかマスコミとか、広告代理店とか。

私は全く関係ない業界(証券会社や畜産団体)出身なので、コネもツテもノウハウもありませんでした。
なのに突然、ライターに。
ただ「本が好き、書くことが好き」ということだけが理由だったのです。

家のローンがある、音大生の息子もいる。とても50歳を過ぎたオヤジのやることではありません。妻はよく許してくれたものだと思います。

最初は大変でした。慣れぬ仕事に不安定な収入。そんな状態が続きました。
最近、ようやく紙の本のライティングや編集の仕事をいただけるようになりましたが、最初は単価の安いWeb記事ばかりでした。
それでも楽しかったです。自分が書いたものがWebで公開され、多くの人の目に留まり、喜んでいただけること。快感です。

取材もまた楽しくてしょうがない。いろんな方と出会い、刺激的なお話を聞くことは本当に楽しいです。むしろ書くことより取材の方が楽しいと思う時さえあります。
だから今でも喜んでやっています、Web記事。書くのも早くなりましたね。

しかし、私が本当にやりたかったのは紙です。ネットでライター募集している編集スタジオを検索し、プロフィールを送っても返事さえありません。
やっぱり出版関係者とリアルにつながりを持たなくてはいけないと、考えを改めました。

出版系の交流会等に顔を出し、版元の編集者に名前を憶えてもらいました。お酒の席では、先輩ライターや出版関係者の間に入り込み、ノウハウや情報、テクニックを聞き出しました。(その節はご迷惑おかけしました!)

そんなことをしながら少しずつ、本当に少しずつ声をかけてもらえるようになったのです。

まだまだ乏しい実績ですが、いろいろなものを書かせてもらえるようになって気付いたことがあります。
それはライターになる前の、関係ないと思っていた仕事や経験のすべてが今、役に立っているということです。

本当なら最初から出版系の仕事をしていた方が、ライター業はやりやすかったでしょう。絶対そうですよね。

でも、子どもの頃に夢中で読んだ本や、家族との記憶が役立っています。
 (自分史活用アドバイザーとしての活動に大きく役立っています)
大学生の時にジムに通って練習していたボクシングが役立っています。
 (ライターになって元世界チャンピオンの方とも仲良くなれました)
証券会社での営業経験が役立っています。
 (金融経済や営業、マーケティングのジャンルを書くのに役立っています。様々な業界のことを知り、物おじせず、また締切りを絶対に守るというタフさも身に付けました!)
畜産系団体職員の経験が役立っています。
 (農業や畜産・酪農のジャンルに大きく役立っています。社会的常識や「公共」とか「政治力」という世界もここで覚えた気がします)

そして30歳を過ぎた頃にキリスト教の洗礼<バプテスマ>を受け、宗教について学び考えたことが役立っています。
ライターになるなんて想像もしていなかった自分が、定期的に教会のコラム記事を書き、「書く」ことの喜びに目覚めました。

つまり、私は大抵のジャンルについて書けるし、仕事の依頼はすべてお受けする用意がすでにあるということです。

出版社やマスコミで外から見るのではなく、それぞれ中に身を置きながら蓄えた知識と経験が私の一番の強みです。

だからライティングと無関係な業界を歩んだ道、それは私に必要な道だったのだと、私しか歩めなかった道がしっかり用意されていたのだと、今は確信しています。
遠回りと思っていた道が、実は近道だったということですね。

世の中には私しか書けない記事や本が、まだまだたくさんあるはずです。

本当に、まったくもって人生に「無駄」はない。
好きなことを仕事にできた喜びに感謝しながら、これからライターとして書いて書いて書きまくりたいと思っています。

有限会社ベル・プランニング



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