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第8話 こころってどうやってケアするの?

 今週もやってまいりました尾っぽがないと書きまして尾無でございます!!
 これまで書き溜めていたストックがどんどんなくなり、焦っています!!!笑 ですが、自分のペースで、自分がお伝えしなければいけないことを今週もブレずにお届けいたします。

 さて、先週は精神崩壊した尾無と、どんな思いで山田町にかじりついたかをお伝えしました。ええ、それはもうエースを失った時のルフィ状態です。←うるさい

 しかし、それから少しずつ回復し(白米は依然として食べれないが)、精神崩壊した経験を活かし?!精神保健担当となり、活動していきます。そこで何を感じ、何を考えたかを少しお届けできたらと思います!!

では、どうぞ!!!!!

●精神崩壊保健師、精神保健担当になる

 4月の末ごろ?には、避難所の担当や地区担当はあるものの、他県や県内の保健師チームに、健康支援はほとんどお任せすることができていました。そのため、現地の被災地保健師は、通常業務の再開の準備を行い始めます

災害保健師活動マニュアルに書かれている「通常業務の再開」は母子保健活動から。また、こころのケアはそもそも馴染みのないものなので、研修会の企画・実施が書かれていますね。

 一番初めに再開したのは乳幼児健診。
 災害時の保健師マニュアルに「母子保健の再開」はできる限り早く再開することが明記されているのですが、おそらくそれを見たわけではありません!笑 さすが私の尊敬する保健師の嗅覚!プラス、小児科医が支援チームにいらっしゃり、「健診再開しましょう!」といってくださったことが後押しとなり、町内の母子の健康状態を把握することができました。通知はめっちゃアナログ。通知を作成して、各支援チームに避難所に配布してもらう。これで、結構な割合で健診に来てれました。

 同時並行で動いていたのが支援者のこころのケア。阪神淡路大震災、新潟の災害2つの教訓から、被災者はもちろんのこと、支援者のこころのケアの重要性が認識されていたので、症状の有無に関わらず、定期的な面談をすることにしました。これは、こころのケアチームのドクターを中心に事務の課長や保健師達と話し合いを行い、無理に語らせることはいけないが、話せる雰囲気・環境づくりが大切との考えからです

 まず、このこころのケアチームと、支援者の調整作業を任されたのが、精神状態崩壊保健師の尾無です。「ええええええっっっっっ!?」って思う人も多くいらっしゃると思いますが、そうなんです。笑

 山田町はとっても幸いなことに、こころのケアチームとは別に精神科医2名が専属で長期的に支援に入ってくださることになっていました。後日談の手前味噌談ですが、尾無はスペシャルオープンマインドで、若者でもあるためあまり人に緊張感を与えない特性を持ち、しかも体調を崩して本調子ではないため、いい塩梅に元気もギラギラ感もなく、ちょうどいい調整役だったとのことで私が担当することになったようです。笑

 無理に全員面談させるわけではなかったですが、まずは町長や各部局の長から面談を実施し、「ただお話しするだけだから」という雰囲気を作りつつ、皆さんとお話しする機会を作っていきました。※こういう時に知っておいた方が良い「サイコロジカルファーストエイド」を掲載しておきます↓

サイコロジカルファーストエイドハンドブックより

 尾無得意の土足ではなく、裸足で入り込むコミュニケーションで、
 「町長〜、今こういうことで面談を皆さんにしておりまして、まずは町長からしていただくとみんな面談しやすいのですけど〜」や、

 「初動の時救助活動されていましたよね。本当に心配なんですよ。私なんか夜眠れなくなっちゃって。←自虐 でも眠れるようになるだけでも元気になりますし、なんか体調の変化とか感じてません?

 みたいにしながら状況や希望を伺い、必要な方は面談へ繋げていきました。
 当時はなんか変な商法みたいだな、とか思ってましたが、振り返るとTHE保健師活動だったなと。ただこころのケアチームが来ればいいわけではない。やっぱり必要性を説明して、ハードルを下げつつ予防的に展開する

 そして、PTSDを発見しよう!!みたいに鼻息荒々でくる精神科医もいらっしゃいましたが、1000年に一度の出来事が起きたわけですから、フラッシュバックしたり、不眠になったり、血圧が上がったり、いろいろなことがあるのは正常な反応なわけです。ゆっくり、その方の経過を見守り、伴走しながらPTSDの症状があった際にしっかり治療することが大事だと考えます

 そんな精神科医の際には、面談する人を激減させて対応笑。「みんな忙しいので〜」みたいな。これも保健師の仕事です笑

 こんな調子で仕事ができましたので、戦闘能力は3から14ぐらいまで上がりました(通常の保健師の戦闘能力は1000)。自分が対象者にケアをするわけではないので安全を脅かされる感覚というか、難しいことを求められているわけではないので、スモールステップで、少しずつ自信も持つことができました。

 しかーーーーーーーーーーーーし!!!!!!!
 程なくして、保健師チームが訪問して気にかかる方について現地の保健師が訪問して「こころのケア」をしましょう!!!という話が。



「こころのケア??」



 ココロノケアッテオイシイデスカ??



 …皆さんはこころのケアってなんですか?って聞かれて即答できますか?
 まぁ今の私も迷いますね。
薬を処方できるわけではない。特別なカウンセリング技術も持ち合わせていない。そもそもどうやってアセスメントするのかもわからない。何が危険な状態で、何が様子を見てよくて、何が問題ないのか…

 そうこうしているうちに研修会が行われ、勉強はしました。演習もしていただきました。そして最終回に、

「では、保健師さん方、これで大丈夫でしょうか?何か質問ありますか?」



 そこで尾無は、






 「質問というか、できません!!!!!!!!!!!!!!!!」






 …はい、正直な私の発言から、現地の保健師が訪問に行くのではなく、「2名の精神科医とこころのケアチームと尾無が訪問する」が開始しました。


●「失う」ということ

 2名の精神科医は曜日を変えてきてくださり、週3日1日あたり3〜4件訪問をし、こころのケアチームとも週1回2件程度活動をしました。こころのケアチームは同じ目で複数週見れないということと、精神科医2名がいるということもあり、秋口には撤退したかと思います。しかし、それでも、週約10件、1年以上は継続しましたので、尾無は500回以上は精神科医と訪問させていただきました。

 これは私の保健師として強みとなっています。精神科医に育ててもらった保健師ってあんまりいないんではないかと。いつも訪問後には車の中で「今日の方は尾無さん的にどう見立てました?」「今回処方まで至らなかったのはなぜでしょう?」「面接を継続しなかった理由はなんでしょう?」みたいな感じで、面接内容の振り返りや、新たな知識をご指導いただきました。

 特に勉強になったのは、保健師と医師の役割の違い。

 「は?そりゃ違うっしょ!笑」

 って声が聞こえてきそうですが、当時の私は真剣に保健師じゃなくて、精神科医が地域に居ればいいじゃんって思っていました。だから自分が精神科医の技術を持てばいい!みたい変な方向に向かいそうになった瞬間もありました笑

 でも私たちがするのは、個・集団・地域へ働きかけること。広く知識を普及したり、「場」を作ったり、個に伴走し、精神科医につなげても、その最中も伴走者として「精神科医になんかひどいこと言われなかった?!」笑とか「緊張したと思うけど言われなこと覚えてる?もう一回言ってみて?」「不安なことがあったら先に言ってください。私が精神科医に伝えておきますよ」などと、よりキュアが促進される関わりを持つとか。なかなか簡単には伝えられないんですけど、そういうこと。

 だから、他職種の技術から学びながら、保健師としてどう活かすかを常に考えていました。この2年後ぐらい?には戦闘能力1002(通常の保健師戦闘能力1000)になり、様々な展開をしたのはまたの機会に書かせていただきます。

 今回ここでお伝えしたいのは、この500件訪問+災害後の精神保健担当として学んだ「失う」ということ

 東日本大震災は甚大な被害だったことにより、多くの人が麻痺したと思っています。

 家族を亡くされた方、家を無くした方がクローズアップされるのですが(それが悪いという意味ではありません)、よ〜〜〜〜く考えると、私みたいな一人暮らしのアパート被災だけど、全てを失った人も平常時にいたら大変ですよね?でも、「自分なんて」って思いました(今も思いますけど)。

 この他にも、親族でなくても大切な友人、仕事をなくされた方もいらっしゃいますし、自分の大好きな故郷が激変してしまったと感じる方、思い描いていた「将来」を失ったと感じている方など、「失ったもの」は人それぞれありました。

 それを他人が大小決めることはできないのです。

 例えばですが、訪問していた中で、読み聞かせを生きがいにしていた方が大切にしてきた絵本を全て失ったことを大変ショックに思っているが、こんなこと他の人に言えないと辛い思いをされている方がいらっしゃいました。実際に「絵本なんて買えばいい」と心ない言葉を言われたこともあるようです。その方は、

 「〜っていう絵本は私が初めて読み聞かせをした時の絵本で…」
 「〜っていう絵本はもう廃盤になってもう手に入らないんです。それを実は〜からいただいてとっても大切にしていたから…」
 「同じ絵本ではだめなんですよ。子供が少し落書きをしたり、破いてしまったり、思い出が詰まった絵本。それをまた小話にして読み聞かせをして。それがもうできないんだなって。」
 「変なことを言うようですが、絵本は私の一部っていうか私を作っている大部分なんです。家よりも大事だった…」

 これを読んで皆さんは何を感じ、どう思うでしょうか?

 私もレコードや漫画本、アルバムや機材など思い出の大切なものを失いました。
 幸い同様のものを一生懸命買いまくり、近くに置いています。しかし、大学時代に友人と一緒にいじった機材ではないし、アルバムや写真は戻ってきません。やっぱり今もなんか違うものに囲まれているという違和感はありますし、あれがあったらな、なんていう思いは私ですらあります。

 失うというのはとっても辛いことであり、それが「何か」というより「その方にとってどんな意味を持つものか」が大切であると思っていますそれに思いを馳せ、解釈し、伴走できる人が被災地には必要だと強く強く思っています。

●「ボク」なんかにできること、「ボク」だからできること?

 このような活動を継続し、学ばせていただく中、自分の中で「もしかして?」みたいなひっかかることがありました。

 それは、「尾無さんの顔見ると元気なるわ〜」「尾無さんがいると話しやすくてついつい話しちゃうね」っていう言葉。最初は浮かれてました笑。なんか不思議な力を持ってるのか?!みたいな笑

 でも、こころのケア(カウンセリング等も含め)に関する知識も技術ない自分に何があるんだ?と思うわけです。

 で、程なくして出した結論が





 「若さ(未熟さ)」





 ドヒャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!!!!





 って感じでしょうか笑
 期待してくださった読者の皆さんすいません笑
 でも、マジなんです。この先の解説は次回以降に。ぜひ皆さんもこれに尾無が行き着いた理由をお考えください。それではまた来週〜〜〜〜!!!

次回、第9話 世界初!!継続方災害学生ボランティア「カッキー’S」爆誕!!

・未熟さという強み
・未熟なコーディネーター尾無の失敗
・カッキー’Sの使命とは

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