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非行少年に与えられたもの⑥

〜児童自立支援施設(学園)での生活②編〜

学園に入所して数ヶ月が経ち生活に慣れ始めた頃、以前暮らしていた施設の仲間や学校の友達と会うことができないことから寂しさを感じていた。

施設の仲間や学校の友達、そして当時は彼女もいたが、みんなに別れを言えないまま一時保護され、学園生活が始まったため心残りがあった。
みんな、今頃何をして過ごしているのだろうかと毎晩のように想像を膨らませた。社会では自由に遊べるし、中学2年生になると修学旅行などの楽しい行事もある。きっとみんなは自分のことを忘れて楽しく過ごしているんだなと思うと羨ましく、虚しくなった。

学園は塀に囲まれているわけでもなく、逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せる環境にあり、無断外出をする者も少なくなかった。
無断外出をした者は、学園に戻ってくる者もいれば、家庭裁判所の審判を受けて鑑別所に収容される者もいた。
私は脱走すれば施設に帰ることができなくなるため、仲間からの誘いを断り誘惑と闘いながら生活した。

そんな時、とても嬉しかったのはぐみちゃんや仲間たちから手紙が届いたことだった。
学園では連絡手段が手紙しかなかったため、私は施設の先生や仲間たちに手紙を書いた。
担当のナカ先生から、ぐみちゃんから返事の手紙が届いたと知らせを聞いた時、寂しかった感情が一気に喜びで満たされた。

ぐみちゃんとは養護施設に移ってからはほとんど会う機会がなかった。小学生の頃は休日に乳児ホームに遊びに行きぐみちゃんと話したりしていたが、非行に走るようになってからは心配をかけるのが嫌でなかなか会いに行く足が進まなかった。乳児ホームは養護施設の敷地内にあったため、たまに私が学校に行かないでフラフラと徘徊している姿をぐみちゃんに見られて心配させてしまったこともある。きっと、ぐみちゃんは私が学園に入ったことで悲しい気持ちになっているんだろうなとか色々考えていた。
手紙を開封するときになぜか緊張してしまい、そっと手紙を開けると涙がボロボロとこぼれ落ちた。

〇〇へ

元気にしていますか?友達や困ったことを相談したり、毎日のいろいろなことを話したりする人はできましたか?

また咳が出たりしているのではないかと思ったりしています。

会いに行きたいと思うけど、行かない方が良いのかもしれないといろいろたくさん考えています。

本当に本当に心配した。不安だった。
だから今は安心してる。

〇〇はどう? 自分の気持ちをちゃんと話してる?
多分、ぐみちゃんはずっと心配すると思う。
〇〇が『うざい』と思っても『大丈夫』と言っても。

〇〇は何を思って今何を考えてる?
思ったことや、感じたことを言葉にするのは難しいし、特に〇〇はあまり口に出さないから「どうせ」とか「もういいや」とかで片付けてない?乱暴な態度や言葉で終わらせてない?

大切な〇〇なので、人を大事にして欲しい。自分を大事にして欲しい。ずっとそう思っています。

〇〇は寒がりだから、そろそろ背中を丸めて歩いている頃でしょうね。風邪をひかないように注意してね。たくさん勉強して、本もたくさん読んで、サッカーもがんばって。

「動物関係の仕事をしたい」そう言ってたよね。

またお手紙書きます。

ぐみちゃんより

手紙を読み終わった後、ぐみちゃんにごめんなさいと呟きながらなぜか心にポカポカと温かいモノがあった。しばらくその心地よさに浸っていると眠くなったのを昨日のことのように思い出す。

いつも攻撃的な態度で人を傷つけ、人を大事にできなかったことは知っていたが、自分を大事にして欲しいという言葉は当時の自分にとって新鮮で、意味を理解できなかった。意味がわからずにいながらも、とても嬉しい言葉だった。今、当時の自分に言葉をかけることができるなら、きっと私も「自分を大切にしてほしい」と言うと思う。自暴自棄になって苦しんでいる大切な人に贈る心の底から溢れる愛の言葉だったのだと思う。

施設の仲間や友達のお母さんからも手紙が届いた。
私は施設や学校では暴君のように振る舞い、みんなに内心では嫌われているのではないかという不安があった。だから、返事を貰えたときはすごく嬉しかった。
仲間からの手紙には、施設の状況や先生への愚痴、最近の趣味が面白おかしく書きなぐられていた。字がとても汚く漢字も間違いが多い大雑把な性格が伝わり、相変わらずだなとなんだか安心した。自分の存在を忘れずにいてくれていると安堵し、早くみんなに会っていろんな話がしたいと楽しみが増した。

友達のお母さん(シンママ)からの手紙は、私が友達宛に書いた手紙をお母さんが盗み見て手紙を書いてくれたらしい。シンママは、”息子と友達でいてくれてありがとう”と私に感謝を伝え、お茶目な息子の学校での様子を色々と教えてくれた。そして私が学園に入ったことについて、私が悪者でないことや本来持っている優しさを知っていたなどと励ましてくれた。そして、手紙の中にはシンママの素敵な感性が伝わるアドバイスもあった。

〇〇、疲れたら 迷ったら 空を見るといいよ。

雲だったり 月だったり 星だったり…

夕焼け 朝焼け…

鳥や花や木…自然を見ると。

その美しさは絶対に人間には作れない物でしょ?

すごいパワーをもらえるよ!

学園に入る前は、私の身近にこんなに優しくて励ましてくれる人が存在するなんて気にもしなかった。どれだけ周囲の人に恵まれていたのかを学園に入ったことで知ることができた。

この頃、私は怒りの感情を暴言や暴力で発散することがなくなっていた。
恐らく、脳の前頭葉が発達して感情を抑制することができるようになったのだと思う。
一方で、寂しさや虚しさがときどき私を襲った。
そんな時、当時ハマっていた『LGYankees』というhiphopのソロユニットの曲である
"マジありがとう"を聴きながら、ぐみちゃんから貰った手紙を読んでポカポカした温かい余韻に浸っていた。

ときどき、もし、あの時みんなから手紙を貰っていなければ私の感情は崩壊していたのではないかと考える時がある。だから、当時もらった手紙は今も大切に、大切に持っている。

学園では、お盆休みや正月に一時的に社会復帰して家に帰省することができた。
寮生はみんなその日を楽しみにしていた。

ヨシは帰省中に彼女と会ったり、タバコを吸ったり単車に乗ったりして久しぶりのシャバを楽しんだらしい。「シャバの空気はたまらん!」とハイテンションのヨシを遠くから羨ましく見ていた私は、施設に帰ることができず学園に残った。養護施設にいた頃も、お盆や正月に家族が迎えに来たことがなくいつも施設で留守番組だったため、こういうことには慣れていた。ただ、みんなが楽しそうに帰省の話題で盛り上がる中、私がその輪に入るとみんなに気を使わせてしまうというような気疲れがあり、そっちの方がしんどかった。
学園の先生に同情してもらうのも嫌だったのでなるべく明るく振る舞った。しかし、学園の先生はそんな私の内面を見透かしていたと思う。みんなが帰省している間、先生たちはいつも以上に優しかった。

学園では、かなり真面目に過ごしていたかと言われればそうではなく、入所してすぐの頃は何度か隠れてタバコを吸ったり喧嘩をして取っ組み合いになったりもしていたが、学園の先生はそれを養護施設側には伝えずにいてくれた。私が置かれている状況を理解してくれている先生方の優しさの現れだと思う。

入所して6ヶ月が経つ頃には、問題行動をしなくなり先生たちからも称賛されることが多くなっていた。寮生達も入れ替わり他の同級生や後輩が入所してきたこともあり、寮の雰囲気も以前よりも明るく活気が溢れるようになっていた。
平日は義務教育の授業を受け、一人一人に対して先生の教え方が上手いこともあり全体の学力平均レベルがかなり向上した。初めは嫌々言いながら教室へ向かう寮生も、次第にウキウキして教室に向かうようになっていた。

私が特に好きだった授業は音楽と体育だった。小さい頃からピアノの音色が好きで、ピアノを習った経験はなかったが、施設に設置されている鍵盤を触りながらいつの間にかピアノを弾くことに没頭して好きな曲を弾けるようになっていた。学園にいた頃に好きだった曲は、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」第二楽章だ。悲愴の音色は、当時の寂しさの感情を引き立ててネガティブな感情ながらも心地よさを感じさせた。体育では他の寮生と競い合い、張り合いながらスポーツを楽しみいつもにぎやかだった。

そんなこんなで学園で限られた範囲内での青春を謳歌していると、もうすぐ退園の時期が迫ってきていた。
「もうすぐ、みんなに会える」期待にいろんな想像を膨らませていた頃、私の精神が崩壊するような出来事が起こった。


長くなるため、一旦区切ります。続きをお楽しみください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊

最近、ブログを書くことで嬉しい出来事があったため、シェアさせてください。

尊敬する方に勧められて趣味で始めたブログですが、ブログを読んでくださった方から励ましのメッセージをいただいたり、おすすめやサポートしてくださる方と出会うことができました。
私の体験談を発信することで、こんなにも人に感動を与え、共に喜んでいただけるとは想像もしていなかったので、嬉しさのあまりこの感情をどのように表現していいのか分かりません。とにかく、感謝、感謝です。

今後も、私に与えられた感動をみなさんにお届けできるようブログ発信していきますので、どうか楽しみにしていて下さい!

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