マッキー

2023年、新しい趣味としてブログをはじめました。  児童養護施設で育ち、思春期の頃は…

マッキー

2023年、新しい趣味としてブログをはじめました。  児童養護施設で育ち、思春期の頃は非行を繰り返し少年院を経験。たくさんの愛に触れ、立ち直りを実現。 与えられた愛、感動をシェアさせてください。

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非行少年に与えられたもの①

自己紹介 1997年生まれ。 熊本出身。 親に育てられた経験がなく、幼少期の頃は児童養護施設で暮らす。 13歳の頃から非行を繰り返して生活環境が頻繁に変わる。 16歳の時に帰る場所を失い、荒れた環境に身を置き、恐喝傷害事件・共同危険行為(暴走)で逮捕され少年院に送致される。 少年院を出院後、帰る場所が無かった私は、民間の更生施設で立ち直りを目指した。 現在は社会福祉士の資格取得を目指して通信制の大学で福祉を学びながら、刑務所等を出所した後、帰る場所が無い方の自立(立ち直り

    • 非行少年に与えられたもの⑨

      社会的養護の元からの自立 ー 少年院に入るまで 中学を卒業後、私は高校には進学せずに左官の仕事に就いた。 社会的養護のもとで規則に縛られることが嫌だったことから高校受験すら経験せずに里親の元から自立して働く道を選んだ。 自立といっても、未成年で保証人がいなかった私は住まいを借りることが出来ず、左官工業の親方の家に住み込みで働くことになった。 私は里親の元を離れれば束縛されずに自由な生活が手に入ると思っていたが、現実では 親方の家に住み込みで働くとなると親方に気を遣い、仕事

      • 非行少年に与えられたもの⑧

        〜里親の元での暮らし〜 私は児童自立支援施設を退園した後、里親に引き取られて里親の元で暮らした。 里親の家庭は大家族(人数は書きません)で、実子と里子が一緒に暮らしていた。 みんな父代わりの親を「お父さん」母代わりの親を「お母さん」と呼んでおり、私もそのようにした。 お父さん、お母さんはとても熱心なクリスチャンで毎週日曜日はキリスト教会に通っていた。お二人は愛情深く温和な方だった。 里子たちはみんなで明るく元気一杯でだった。 私は里親の元での生活にはなかなか馴染むこと

        • 非行少年に与えられたもの⑦

          〜児童自立支援施設での生活③編〜 中学3年生となり、梅雨のジメジメした季節に移り変わる頃、いよいよ私の耳にも退園の話が入るようになった。 13歳まで暮らしていた養護施設に帰ることを待ち遠しく思いながら、学園の厳しい規則の中で寂しさや羨ましさを耐えて生活していた。 ある日、担当のナカ先生が私の居室を訪れ苦い表情で言い辛そうに、「お前の日頃の頑張りを施設の人に十分伝えたが もしかすると施設に帰ることができないかもしれない」と言われた。その言葉に続いて「でも必ず施設に帰れるよ

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        非行少年に与えられたもの①

          非行少年に与えられたもの⑥

          〜児童自立支援施設(学園)での生活②編〜 学園に入所して数ヶ月が経ち生活に慣れ始めた頃、以前暮らしていた施設の仲間や学校の友達と会うことができないことから寂しさを感じていた。 施設の仲間や学校の友達、そして当時は彼女もいたが、みんなに別れを言えないまま一時保護され、学園生活が始まったため心残りがあった。 みんな、今頃何をして過ごしているのだろうかと毎晩のように想像を膨らませた。社会では自由に遊べるし、中学2年生になると修学旅行などの楽しい行事もある。きっとみんなは自分のこ

          非行少年に与えられたもの⑥

          非行少年に与えられたもの⑤

          〜児童自立支援施設(学園)での生活①編〜 児童自立支援施設はかつて「教護院」とも呼ばれ、不良行為をする恐れのある子どもたちが入所して自立を目指す児童福祉施設である。 私が入所した施設では13歳から15歳までの児童が共同生活していた。 入所経路の多くは児童相談所の措置によるものであるが、家庭裁判所での審判の結果、保護処分として児童自立支援施設に送致される場合もある。 いずれの場合も不良行為に至る背景には不適切な養育環境があり、約40%の子どもたちが何らかの虐待を経験してい

          非行少年に与えられたもの⑤

          非行少年に与えられたもの④

          中学生の頃に知った社会の暗闇 13歳になり、施設から最も近いA中学校に入学した。 私が通っていた小学校からA中学校に入学した者は学年全体の8%くらいしかいなかったが、すぐに他校の同級生と仲良くなり毎日学校へ行くことが楽しみだった。 反抗期真っ只中で不良に対する憧れがあった私は、入学式の時から校則違反をして先生や上級生に目をつけられていた。A中学校の生徒はみんな真面目で1人だけ浮いていたが、注目を浴びているようで気分がよかった。 仲の良い友達とサッカー部に入部した私は、部

          非行少年に与えられたもの④

          非行少年に与えられたもの③

          児童養護施設での暮らし 児童養護施設は、保護者のいない子どもや虐待されている子どもなどを自立まで養護する施設である。 私が育った施設は第一次世界大戦後にアメリカの宣教師が日本に来日して創立した歴史のある施設だ。 施設には2歳から18歳までの児童が60人ほど在籍していた。 5つの大きな建物 (ホーム) があり、1つのホームに13人くらいの子供たちが生活していた。 男女の共同生活で、1人部屋もあれば共同部屋もあるようなところで賑やかな場所だった。 児童13人に対して保育士の

          非行少年に与えられたもの③

          非行少年に与えられたもの②

          赤ちゃんの時期の愛着形成 生まれてすぐ、私は乳児院に預けられた。 乳児院は、保護者の養育を受けられない乳幼児を養育する施設で、かつては戦災孤児や捨て子が入所理由の大半であったが、現在は児童虐待や養育者の不在、児童自身の障害などが多くを占めている。 私が両親と初めて会ったのは小学3年生の頃で、その時に母親が知的障害者で、父親が精神障害者であることや、経済的な理由から私を育てることができなかったことを聞かされた。 小学3年生の自分には受け入れ難い現実で、当時は大きなショックを

          非行少年に与えられたもの②