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こうも外が白く眩しいと、小ネタでも丹念に拾ってからサッサと寝よか、という気分にもなる。

まあペース下がり目ながらも11月はあと一本で
50本に到達するペースまで乗せることはできた
のか。

まあリアルで言うと外が白く眩しい、眩しすぎる。

 なんで11月分のコメントメモもある程度
とり纏まったので、少しづつ小ネタでも拾って
次回以降の大ネタの参考、或いはとっかかりに
なればとまずは拾ってみる。

(札幌にある)百貨店の生鮮(特に魚介)の
レベルは丸井今井札幌のB1が一番レベル高いかも(丸井さんのとうまんの機械が動いている
フロアですね)。

まあこないだ丸井今井札幌は探訪して北海道
唯一の営業店舗になったアンデルセンにも
行ってきました。高かったけどサンライズ
(西日本でよく見られるザクザクしたビスキュイ
記事とバターとシュガーが利いたパン)売って
ました。それを休憩できるスペースで食べながら
とうまんの唐饅頭製造機眺めていたのは雪が
積もるまでのいい思い出。

アンデルセンのサンライズを食べてから
とうまんが作られてるのを観て和む

広島の独特なパン文化・冷凍技術と
『メロンパンの真実』にまつわることを
近況随想交えつつ。|torov|note

一応昔の書き込みをしてた中で「サンライズ」
「サンライス」の書き込みをしたのはこの二例が
あったくらいなのかな。

まずは以前「鳴茂部屋」っところでシャナをやってた頃に
こんな記述をしている形跡がある。

>『灼眼のシャナ』 第14話 「偉大なる者」
どうせシャナは観られないけど、メロンパンネタで食らい
ついてみる。
>俺ん家じゃサンライズじゃなくてサンライス(濁らない)
>だったんだよねぇ。
サンライスで売っているところも多いよ、確かに。
いわゆる関西圏特有のイラチ短縮も影響していて、そうとも
呼ぶって話だったけど。
サンライス、サンライズは関西圏を中心に西は四国と山陽は
岡山あたり(広島はちと全国と違って別口のパン文化が根付い
てる←洋食のクネルのような型を使って作る型の呉の「メロ
ンパン」とか)東は東海近辺あたりまで使ってるメロンパンの
異称ではなかったかと。

「鳴茂部屋」掲示板に対してのコメント(2006.01)

あとは初めておけいはんで黄檗へ行ったときに「サンライス」
の記述があるかな。

2日目はそのまま中書島で乗り換えて、行って来ましたわ、
黄檗へ。尤も萬福寺よりも近くのパン屋探しと(そういや駅近く
のパン屋はソーセージ風のパンはなかったけど、メロンパンは
「サンライス」で売ってた。あまりちゃんと鞄に入れてなかった
から最後はゆりえほいさん状態になってましたが)京阪13000系
とカーブにさしかかったRのホームが美しい京阪黄檗(おうばく)
駅を愛でつつチューバの加藤葉月等身大パネルを眺め観るのが
目的って感じでしたが。
 そのあとはくずはモールでまったりしつつ(さんぜんモールも
ポポンデッタも堪能して)帰ったような。まあでも所定の目的は
果たせました。

秋はどこ?(2015.10)

まあゆりえほいさん状態くらいは調べよう、ね。

 あとは一度だけ呉に行けたメロンパン来訪に関しても
記述はいくつか見つかった。
ひとまず史料的にお店のメロンパンが昭和11(1936)年開店で、
その家のルーツが北海道だったことを伝えるものは散逸して
いるのですが(なにせ一度だけ呉に行けたメロンパン来訪は
15年前)、2007年の12月、と記されているものだからこれは
流石に仕方あるまい。
(食パンの名前に「むろらん」があったりとイコン的な
繋がりまでは散見出来るけど、確証部分が消滅しているんだっけ)

旅行はそれなりに楽しんで来ました(明石の「ふなまち」
とか、この1年とみに吹いた食品パージの源でもあった
映画「県庁の星」のスーパーパートのロケ地岡山・高梁市の
「天満屋ポルカ」とか、広島・呉の1個食べただけでおなか
いっぱいになれるパン屋の「メロンパン」とか。そして開幕日
に観たルミナリエはとても品があってすごく綺麗だった……)。

(2007.12)

 まあこの日は母親が望んだ阿伏兎(あぶと)観音から、
1ネット100円でみかんを売ってたアリストぬまくまに
案の定寄った後、呉線沿いの下道を抜けて、竹原をスルー
しつつ「メロンパン」だけ寄ってパンを購入。そこから呉道路
を抜けてJR側の宮島航路に乗り、厳島神社に抜ける鬼ルート
だったかと(ただその鬼ルートな上に前日備中松山城を強行
して歩いたバチが当たって(私は興味も体力もなかったので、
本を読みながら車で待機)厳島神社で地獄を見てた頃だっけ。
なのでこの時楽しみにしてたうえのの「あなご弁当」は次回
持ち越しになったのかな)。

 丸井今井札幌は本館B2がパンや土産、菓子
中心で、生鮮がB1なんでわかりにくいですが、
道産のいいものはあそこにまず集まる、が
(大通デパート側の)基本でしたので。

こちらをラストに。氷室冴子の雑居時代にはなんでもかんでも
三越で買い物したがるキャラが出てきますが、例の西友牛肉
事件までの趨勢としては、地下鉄で百貨店までどうぞ、の
導線がある程度敷かれていて、魚介も精肉も一番いいものは
丸井今井札幌にあつまるのがならわしの一つでした。
 欲しいけどなかなか現物が見つからないときに探す箇所の
一つとして丸井今井札幌B1はなんか今だと妙にしっくりして
落ち着きます。

こうも外が白く眩しいと、小ネタでも丹念に拾ってから
サッサと寝よか、という気分にもなる、から始めてたら
結局ぬくぬく日没するまで寝てたんで記事を仕上げます、でした。