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日本鉄道旅行地図帳を使って、少しだけ「札幌温泉電気軌道」の歴史と沿革を深く。

まあ路面電車の廃線なので岐阜でも使えばいいの
ですが、たまたま谷地頭駅なんてあったので意図的に
看板に使って見ました。といふことで、メインテキストは
こちらが範、にはなります。

9784107900197
日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道
2008.05 54p

で、当時の路線図はp20、
札幌温泉電気軌道の駅名と開通・廃線年はp34にある。

当時まちBBSで私が以前紹介した時は謎かけ、っぽく
なって後者の方が正解だったのかな。そのレスだけが
メモとして残っていた。

そっちが正解。とりわけ変電所を火災で焼失して
(昭和5年8月31日)、山鼻記念祭の最中に全焼させて
しまい、変電所がなくなって電車を動かせなくなったの
が痛く、昭和9年8月末に運行停止するも、路線廃止の
手続きさえとらなかったがために、昭和12年3月12日付
で長期の無許可営業休止のかどで免許取り消し処分に
なるという結末になってしまった。

 おかげでこれ以降この地域の運転免許が降りにくい
状態を引き起こしてしまったのが、その後の札幌圏の
交通機関の発展の仕方に大きな影響を及ぼしてしまった
のではないかと思うのだけど。
(ちなみに札幌温泉電気軌道.円山3丁目(札幌市電円山
線西23丁目電停横)と界川間1.8㎞を結んでいた)
 (ちなみにソース元は以前私も書き込んでいたまち
BBSのマイナーな地名スレから抜粋。その元を辿ると
「さっぽろ文庫」の37巻にあるまとめ記事から、かな)

といふことでマイナーな地名スレからいくつか抜粋して
いくと。

民間の路面電車が札幌にあったけど、路面電車はとみに
遺構が残りにくいので、大体はホーム跡とかの道路の
一部に遺されているにすぎない、ってのは基礎知識。
 で、「札幌温泉電気軌道」の遺構として一番有名なのが
同窓ではある山田航も採り上げていた通り、札幌では
大概の人が知っているケーキ屋で、元銀行の跡に立つ
方の「パールモンドール」の前にあると。

196 名前: 牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ 投稿日: 2005/03/28(月) 10:29:32 ID:9DlX5hwc [ U121004.ppp.dion.ne.jp ]
実はここ、その昔拓銀の支店だったか出張所があったのです。
「南円山出張所」だったかな?

204 名前: 牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ 投稿日: 2005/03/29(火) 21:11:48 ID:5GdfPHGQ [ y064177.ppp.dion.ne.jp ]
洋菓子店「パールモンドール」が旧拓銀店舗であったことを書きましたが、建物自体そのまま利用されているのかとても気になりまして、
やはり昨日確認に行きました。
よ~く見ますと、まさに「拓銀南円山出張所」(だったはず)の建物
そのものでありました。
あの出っ張った入り口部分なぞ、確かに銀行の面影を残しておりますね。

札幌出身で、医者であって、超売れっ子である作家W(つまりは渡辺淳一氏)の生家は「南7西22」。
つまりは「ユアーズなんまる」の向かいです。
彼は「幌西小学校」に通ったとのことです。(注・現在の学区割りとは違います)詳しくは氏の著書「私の生まれた家」をご覧ください。

ここは現在、工事中でしておそらくまたマンションが建つのでしょうなぁ。
ぬぁ~んだか、マンションだらけですね。

ちゅうことで、「山根通レポート」の続きは明日にいたします。
あ、「ヤマネ」は本州以南にしかいないそうです(w

205 名前: 18丁目 投稿日: 2005/03/29(火) 22:03:24 ID:Kdak8x92 [ p1172-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
うおー!何故だが今日も仕事の途中に山根通りを通ったんです。
話題のパールモンドール付近に、数十年も経たであろういにしえの
看板がありまして、「公設市場↑」となっていました。
はて?何処が公設市場なんだろう?と???となって、次の契約先に
行かねばならず、しぶしぶ帰ってきたんです。
公設市場とは「ユアーズなんまる」だったんですね。

210 名前: 18丁目 投稿日: 2005/03/30(水) 07:26:12 ID:uwQYmJ4k [ p20248-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
山根通りの一時停止標識を左におれたところに、大好きな食堂が
あります。レトロ調なお店と店員。明治のカレー・大正のカレー・
昭和のカレーなんてメニューがあります。確かそのお店で、
あの札幌人で毎回表紙を飾っている椎名次郎さんの風景スケッチを
入手できたと思いました。
嗚呼・・・もう1年ほどいっていないな。

211 名前: 194 投稿日: 2005/03/30(水) 12:43:20 ID:srqTE65Q [ pl333.nas925.n-yokohama.nttpc.ne.jp ]
>>196
レスどうもです

モンドールのあった場所は確かに銀行でしたね
建物も建て替えてないのは私も覚えております
三角地帯に電話ボックスがあったような気もします

公設市場も覚えております「ユアーズ」の位置に移る前は
22丁目側にあったような・・建て替えで一時的に移動したのかも
しれませんが。。
で、現在の「ユアーズ」の位置に新設されたのが確か
私が小学校低学年のときでした
入り口を入ったときの揚げ物屋さんの匂いを思い出します

>>210さんのおっしゃってる場所あたりにも当時カツカレーのおいしいラーメン屋?があったのを記憶しております
レトロな感じの店だということで多分違う店でしょうけど・・・
その先を北に向かうともやし工場があったような
もう30年近く前のことなんではっきり覚えてないのが悔しいですな

浦島太郎になった気分だ・・

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌改め北海道【その十七】

この頃の画像系は全滅で更にアホーのサービス終了も
拍車をかけているらしいけど、そのあたりの
画像を保持しているところくらいは見つかったと。

ま、本線から若干逸れてますので戻しますが。

この頃の話の中心は「札幌人」の連載でもやっていた通り
「山根通」。旧円山村の裏参道あたりから斜めに抜けて
南六条あたりでかつてロータリーになってた道とぶつかる
あたりですね。
 ちょうど合流点が「パールモンドール」の前になるの
ですが、そこが若干プラットホームの跡になっている箇所が
あります。
 実はそれこそが「札幌温泉電気軌道」の「南六条」電停の
プラットホーム跡なの、と確認されていると。

271 名前: なまら名無し 投稿日: 2005/04/15(金) 20:56:52 ID:npeKlCQ2 [ 61-27-10-203.rev.home.ne.jp ]
というか考えてみると、地名のほかに公園名を調べてみるのもいいと思います。札幌の温泉がどうというの、一生懸命やってるのはわかるんですが、
途中から見ると、一体何を調べようとしているのかが、よくわからないんですよね。

272 名前: 牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ 投稿日: 2005/04/15(金) 22:08:10 ID:ZUBVXeSk [ U122039.ppp.dion.ne.jp ]
>>271
>途中から見ると、一体何を調べようとしているのかが、よくわからないんですよね。
え~、御もっともです。実は、気にはしておりました。
特に今回の「札幌温泉電気軌道」(札幌温泉電車)のルートの件。
過去ログに詳しいのですが、簡単に説明します。
「さっぽろ歴史散歩」より「札幌温泉」の記述。

「旭山記念公園への途中、左側にある南藻園は、鉄道弘済会の寮である。ここはかつて、札幌温泉のあったところで、大正11年札幌温泉土地会社が設立され、大正13年温泉浴場と娯楽場を設けた。
そして界川の宅地分譲も始めた。温泉の湯は、定山渓から簾舞・白川・硬石山・八垂別・藻岩下・伏見を通って埋設パイプで運んだ。まさに今様のリゾートの先がけであった。
昭和3年にできた札幌温泉電車は、昭和5年に変電所が焼けて電車運行ができなくなったばかりか、湯を運ぶ管も途中でこわれ、宅地分譲も順調に行かなくなって、札幌温泉土地を電気軌道の会社は倒産。昭和25年に温泉跡地を鉄道弘済会に売却。昭和28年跡地に南藻園を開園した」

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌改め北海道【その十七】

札幌南藻園は下の記事に出てきた鉄道弘済会とリンクします。
ここに売却したわけなので。

この後のレスでこの地域のケーキ屋として「パール
モンドール」と「シャモニー」の名前を挙げられる
方もおりましたが、「シャモニー」の方は既に閉店
しております。札幌市電に関してロールケーキとか
発売していて美味しかったんだけど。

8 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2005/04/30(土) 21:42:17 ID:VpQ3Gg3w [ L066169.ppp.dion.ne.jp ]
終点は交差点の手前の「双子山1丁目」。
画面左奥が「札幌温泉」となりますな。

車庫と変電所は、正面の赤い屋根の住宅辺りにあったのかも知れません。
温泉まではちょいと距離があるのですが、きっと電車はこのきつい勾配を登り切れなかったのでしょう。
冬、温泉からの帰り、ここまで歩いてくると、かなり体が冷えるかも…。

80年前に「札幌温泉」があった所は、現在「札幌南藻園」の敷地内になっています。

9 名前: 藻南公園 投稿日: 2005/05/01(日) 01:27:11 ID:6ax6iZHU [ JJ145162.ppp.dion.ne.jp ]
札幌郊外電気軌道の終点付近の急勾配に関連して、
こんな話がありました。

内燃動車発達史より
札幌郊外電気軌道 キハ1 の項
開業14ヶ月後変電所を焼失し、緊急避難の札幌市からの給電(無手続)も毎月の前金払い(百数十円)が続かず打ち切られ持ち込まれた車両。
(中略)
終点付近0.5kmが50‰の急勾配で、当局は基本的に「機関動力過少」に加え「二種類の制動機を設備」必要とした。
「(変電所復旧には時日を要するので)御認可後三ヶ月以内に線路勾配に適応する相当出力のエンジンに設計する迄南一条南九条停留場間のみ運転」すると称し、
4ヶ月あまり後の1931年8月21日南一条起点から2.27km(平坦区間)のみ、
「本車両は発動機出力過少にて全線運転に不適当なるを以って認可の日より三ヶ月以内に相当設計の変更を為し運転休止をなさざる様新車両を購入するか速やかに変電所の復旧をなすこと」
との通牒つきで前代未聞の限定認可を得た。

と有ります。
鉄道の場合30‰も有れば十分急勾配とされ、有名な碓氷峠が66.7‰ですから50‰と言えば(鉄道としては)かなりの急勾配だったわけです。
ちなみに、‰(パーミル)とは1000m進んだ時に何m登ったか
という勾配の単位です。

ちなみに、社長の奥村競はこの気動車を自分で経営している
奥村商会(汽車会社代理店を名乗る)所有のまま、郊外電気軌道に
貸し付けて利息名義で高額の使用料を取っていたらしいです。
そんな感じですから、限定で認可をもらったものの、当然のように
運転区間の制限も機関の換装も変電所の復旧もやらなかったわけですw
(単に金が無かったからというのも有るんでしょうが)
期限経過後も平然と運行を続け、当局からの督促で後追いの延長手続を
繰り返したようです。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌改め北海道【その十八】

まあ、元より定山渓からお湯(温泉)を引いて界川の
施設に客を呼ぶ為に軌道を敷いた、ってあたりがいかにも
バブルではあったのですが。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%BB%8C%E9%81%93

 問題はその後も民間の軌道は作られず(逆に建設する
基準がキツくなり)、札幌市が引き継いだ結果板垣市長
時代の英断もあって引き継がれたのが札幌の軌道(路面電車)
を考える上で欠かせない事項ではあるのですが。


そんな経緯もあって、トキオのようにみんな「電車」
呼ばわりする愚民の戯れ言は(もう修整すら利かなく
なっている)博多大吉先生くらいにして欲しいものですが、
北海道(特に札幌)の人は「電車」というと、普通路面電車
のことを指します。
 国鉄・JRは大概「汽車」で、内地の人がすぐに「新交通」
にカテゴライズするか、ゴムタイヤなので、相互乗り入れなんざ
出来ないよ、と無視して平気で乗り入れ論ふりかざして来る
説は多いんですけど、阪急に次いで先進的だった札幌の地下鉄は
ちゃんと「地下鉄」といって区別するのがまあ普段の言い方、
になります。

(ま、このうち最も「定刻発車」の感じを得られるのは
専ら「地下鉄」だけなんだが、って感覚だけはある程度
伝えておきたいかなと(JRに只でさえ「定刻発車」の感覚が
欠け落ちている中で廃止やバス転換を強いる人達はてーげーの
恐怖を余程知らないと見える、でもあるのだけど))。

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