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折節なんだし、少しは凝った入り組んだものに取り組んでみるか。橋本治『さらに、ああでもなく こうでもなく』~これでどうやら300本目。

相変わらず染之介染太郎のように先走ってお話がやって参り
ますが、これでどうやら300本目の投下記事になるようで。
 今月は多少ペースが落ちてきてはいますが、なんとか半年
手前でここまでは来た、といふところでしょうか。

 まあそれにプチな部分で小さな幸せが。まだ富山ライトレール
があった頃(現在は富山地鉄が吸収)乗りに行ってキーマカレー
食べてきた紅茶専門店がなんと「孤独のグルメ」に登場するとは。

古民家を改造した感じの落ち着く喫茶店で、店の廻りにある
漫画のセレクトがまた渋い。紹介記事にも映っていたけど、
「そういやウチにもあったな」と思って折に触れ探している
「ところてん」こと山岸涼子「日出処の天子」にはいまだに
ダンジョンから掘り当てられていない。

アナザホリデーのキーマカレー(チャイ大ついて1150)

 といったあたりを踏まえて「#読書の秋2022」を狙って
ラストスパート、と行きたいところ。たまたま手持ちの写経ノート
にあったのはこれだったから、少し込み入りはするけれど、
あえてここに取り組んで行きますか。
橋本治『さらに、ああでもなく こうでもなく』(マドラ出版)。

しかし「評論家」は「見識」と言う名の世界観が
勝負なのである。知識だけあって世界観のない人間
の言論には力がない。イデオロギーの終焉から超然
としていられた「評論家」が日本にどれくらいいた
かは知らないが、古くなったのは「臭みのある評論家」
だけで、「世界観を持つ」ということは別に古く
なんかなってない。逆に、1990年代が終わった今に
必要なのは、「世界観を持つ」なのである。

橋本治『さらに、ああでもなく こうでもなく』
(マドラ出版)p82-83

結局誰も令和の世の中に辿り着けなかった「広告
批評」という雑誌があった。ああでもなく こうでも
なくの連載は「広告批評」の巻頭時評である。

まあそんな体裁の代物なので、基本的には1999年から2001年の
世相史がザッ読み取れる、ってのが一つのポイント。いわゆる
「東海バケツ」の一連とその反作用キャンペーンに荷担した
小渕恵三首相(5.14)、梶山静六(6.6)、竹下登元首相(6.19)
と相次いで亡くなる、が露わになる(そして審判も受けずに首相
になった失言王の森がその後の選挙で惨敗する、までがセット
でしたっけ)、のあたり。
 橋本治はこう評している。

「今の日本にどんな大物が存在しているのか?」と考えて、
(中略)
ウチの助手が「竹下は?」と言った。
(中略)
「どうってこともなかろうさ」などと言っていたら、「元総理
竹下登死亡」のニュースが流れて来た。

橋本治『さらに、ああでもなく こうでもなく』
(マドラ出版,2001.02)p174

 火山の噴火としては三宅島の雄山が噴火し(2000.07.08)、
2000年8月29日に再噴火して全島避難態勢に。
 ここの範疇からは少しズレるが北海道の有珠山噴火は
2001年3月31日のことである。

 まあ個人的に現在の視点から観て、これは肝に銘じておくべき
ことだな、と思った箇所はここか。

 今の日本の多くの「父」は、そんなに「敗者」ではなかった。
そういう一面があるからこそ、日本の社会には、「敗者」への
いたわりがないのである。

橋本治『さらに、ああでもなく こうでもなく』
(マドラ出版,2001.02)p165

 だからここから20年を経てマチズモがあからさまに減退し
いたわりのベクトルが自虐を含んだテレ東に限りなく近づいて
いる世の中はよりましにはなっていると言えるのかも。

 まあ転けつ円びつしながらそれでもオードリー若林が辿り着こう
としている部分とシンクロするあたりの言葉、となるとこのあたりか。

「生活者」とは、そのなんともならない「世の歪み」を見据えながら、
「俺がこうしてハタラいて行くことが、いつかは世の歪みを正すことに
つながるはずだ」と信じて生きる者なのである。ここまで来れば、
「さすがに作家の言うことは説得力がある」である。

 つまり、バカは「生活者」にはなれないが、それと同時に「生活者」
というものは、そんなに美しいものではないのである。

橋本治『さらに、ああでもなく こうでもなく』
(マドラ出版,2001.02)p249

まあこんなところで300本目。橋本治『さらに、ああでもなく 
こうでもなく』を紹介してみました。まあなぜ広告批評とマドラ
出版が生き残れなかったかの理由はいずれ別口で書くと思うけど。

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