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ひとまず投下したnoteの全検やってみた。

とりあえずnoteの毎日更新7週目。
まさか、「#やってみた」系に手を出すことは
ないと思っていましたが、それまで投下した
noteを改めて目を通して、適宜挿入する例
などは適宜加えました。

誤脱字がもとで固有名詞を代えたのはそれでも
一点だけかな。残していた日記よりも確実で
正確な名前が書物レベルで出て来てしまったので。
(まあそこでぱんじゅう買ったのも2回だけ
だったので、これは仕方ないかなと)

正確な店の名前が載っていたのはこちら↓

9784900541955
塚田敏信
ほっかいどうお菓子グラフィティー
亜璃西社
2012.02
NDCは588.3

近年まで狸小路6丁目で営業していた「十八番」
がよく知られる。昭和25(1950)年に古着屋と
して創業するが、その2年後くらいに早くも
ぱんじゅうの販売を始めたという。最初は1個
5円でスタート。同51(1976)年に30円、同63
(1988)年に40円という記録が残っている。
 昭和50年頃の暖簾には「甘党十八番」とあり、
コーヒーやあべ川餅、ぜんざいなどを出す甘味
食堂だった。

塚田敏信「ほっかいどうお菓子グラフィティー」
(亜璃西社)「ぱんぢう大変」p227-228

とのことなので「五十番」と2回表記していた
ところを「十八番」と修正しました。

「銀英伝参り」はなんとか無事に怒濤篇に突入。

上田敏也氏に関しては改めてリライトして、
「この人を悼む」で採り上げる算段ですが、
当初予定していたカーラ先生の新作は一単元に
せずここで軽く触れることにしますか(一応
マイナタリーでキャッチしてヨドバシ.comで
確保したので)。

9784592227007
デジタル原始人☆川原泉
白泉社
HC special
川原泉、福田素子
2022.05

まあ案の定以前やってた「バーナム」が未完の
ままで、手首骨折をきっかけにしてデジタル
移行しようとしたけど、やっぱり「二歩は歩く
が三歩下がる」形でぐずたらしとった、って
ことか。

まあ「幼女戦記」のあの方とは違ってこっちは
なんとか(株)セルシスと向き合った、といふの
がポイントで、個人的な一番の発見はやっぱり
(株)セルシスって前田庸生-テクノパークルート
なんだ、ってことでした。

前田庸生(つねお)ってのは放浪しては時々帰ってくる
杉井ギサブロー氏の右腕だった人でRETASの
産みの親。日本のデジタルアニメ制作ソフトの
礎を築いた人ですけど、クリスタ→コミスタ、
ってのはそのRETASのコミック版の変遷だ、
ってことが絵を描かない人にはさっぱりわからず
伝わるはずもない事態になってたんだな、と。

前田庸生のかると鯖インタビューは上の雑誌に
あるので、そこを後で追記します。

前田 『銀河鉄道(の夜)』をやった1年くらい
   後にセルシスがRETAS!を作るために、
   アニメーションを教えてくれと言ってきた
   んですよ。それで、タイムシートの書き方
   とかエフェクトの事とか、全部教えたわけ
   ですよ。だから、RETAS!の仕様書を
   作るときにも、僕のとこに来た。
-そうなんですか。
前田 1代目のRETAS!は、僕が仕様書を
   書いているんです。

「この人に話を聞きたい 第八十四回 前田庸生」
聞き手 小黒祐一郎(アニメージュ2006年2月号)
(vol.332)p123

テクノパークってのは札幌の人ならある程度
聞いたことのある地名ではあるけど、もみじ台の
奥地に作られたまあ造成当時最先端だったデジ
タル関係をいろいろやろうと試みてた場所、
と捉えるのが正確。そこで前田庸生とか河森正治
とかが関わって創業されたアニメ制作会社が
後に『創聖のアクエリオン』とか『転スラ』とかを
制作するサテライトだった、といふあたりまでが
基礎知識だったかと。

まあ中身はいつものボサッとしたカーラ先生の
デジタルよちよちぶりを愛でる作品ですので。

ひとまず投下したnoteの全検やってみた。に
関してはここまで。

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