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では原材料もほぼほぼ出揃ったので~田中真弓さんについて。

それでは久々にゼロイチから史料を揃えたので不意に
出て来た2004年3月号のAmimageふろくから、この単語を
引く。

declaration 【でくられいしょん】
名詞-宣言
動詞-declare 宣言する

用例
「もうすぐ、すぐに出来上がります」という返事は
 これから始めるという宣言である。


★The answer ”I will finish soon”is a declaration of
 starting to work.

2004年3月号のAmimageふろく「もえたん」p58

ってなワケで、無事に調合できるかはわからんですが、
一応ファクトチェックまでは済ませた。ちょうど日記に
書かれていた田中真弓さんと逢った日は1998年1月25日
(日曜日,雪のち曇り)の「共済ホール」と書かれていて、
その頃は一緒にいた三ツ矢雄二や鈴木真仁ちゃんなどと
同じく大橋巨泉事務所にいた頃のこと。なので、「ボイス
パーフェクトデータ」(当時)の誤植が真になり、青二
プロ所属となって『ワンピース』のルフィをやり始める
のは1999年の8月以降だから、まだまだ三ツ矢雄二と
長くつるんでいた頃の田中真弓さんに逢ってサインを貰って
いた、といふことになる(まあ田中真弓さんと鈴木真仁
ちゃんにサインを貰って後いた2人の声優に目もくれなか
ったあたりがあの頃の私の若さですけど)。

この頃の田中真弓さんの持ち役は「ボイスパーフェクト
データ」(vol.22)を引くとおよそこのあたり。
『るろうに剣心』塚山由太郎『中華一番!』マオ
『超魔神英雄伝 ワタル』(戦部)ワタル。
『忍たま乱太郎』のきり丸は第5期から第6期にかけて。
OVA作品では『サクラ大戦~桜華絢爛~』桐島カンナ
でのクレジットが確認出来る。

事務所の変遷としてはテアトルエコーから大橋巨泉事務所
(後代はオヅラこと小倉アナが継承)までの間にプロジェクト・
レヴューと自身の劇団おっぺれった所属時代を経て、
かつてバナナマンもいた渡辺正行リーダーのNABEYAを
経て大橋巨泉事務所→青二プロだったかと。

ってことで、「セブンルール」の田中真弓回は観ました。

本編で言ってた高木涼子役、とは『激走!ルーベンカイザー』
ですね。スーパーカーブームの一端にあったアニメでも
あったので三ツ矢雄二のゴリ押しは利いたけど、当人は
敗戦の弁。でもフジテレビのアニメでコンスタントに使われる
ようになり、やがて斯波重治氏が音響監督を務めた『ダッシュ
勝平』あたりでようやく声優として目覚め食えるようになり、
修行していた歌の方面でもコンペで三ツ矢雄二に勝ったEDで
{忍豚レゲエ}(曲調は全然レゲエじゃないけど、テンポ感だけ
レゲエっぽい久石譲作曲の珍品)歌手としてのヒット曲も
持つようになる。
 因みにリメイクが噂されている竜之介と竜之介の父は
テアトルエコー時代も動機で亡くなられた安西正弘とのコンビで
この組み合わせは有名な「おーい!はに丸」のはに丸としんべえ
の組み合わせでもあります。

ま、一応軽くおさらいすると(熊倉一雄のこと語るときに
纏めてたんだけど)、熊倉一雄が結成したスタジオ・エコーは
井上ひさしが座付きにいて、ルパン(山田康雄)と銭形(納谷
悟朗)がいて、御先祖様(槐柳二)が君臨してて神谷明やコント
赤信号や中村有志はそこで育ってて、田中真弓が三ツ矢雄二に
拾われるまでやさぐれていた、って空間があったと思うのだけど。

そして、私もアニメーションなどの仕事をやらせていただく
ことになり、夜、うたわなくても、デパートの屋上でぬい
ぐるみをかぶるバイトをしなくても、暮らせるようになった。

田中真弓「ぶさいく子育て日記」1990,(六興出版)p172

ただ、元より厳格な父親で新聞は読売新聞以外認めなかった
父だったようなので、この激しさと食わせて貰えるようになった
フジテレビに対するギャップが、その後のこの2局の力関係と
田中真弓を起用したか外したかで、大きく振れ幅をもたらす
原動力になったのでしょう、と観てはいるのですが。
(一番猖獗を極めたのは『結界師』で田中真弓さんが起用された
あたりでしょうか。そのあたりが最も日テレが思い上がっていた
時期なのかと。『るろうに剣心』の火曜左遷と、『ワンピース』の
日曜左遷及び地方朝枠格下げと、田中真弓ナレーション代表作の
一つで渡辺リーダーなどともやっていた「クイズ!ヘキサゴン」の
終了、といふ田中真弓を水曜から外すとフジテレビが没落する
伝説は、まあみなさん御存知の通り、かとは思いますが)

個人的にはルール3で「のどあめ紅茶派」だったこと。
まあ喉のケアにはいろいろ流派がありますが、紅茶うがいの
松井菜桜子師匠ともども、こちらの流派なのは嬉しい限り。

今は亡き六興出版から刊行された「ぶさいく子育て日記」は
結構こまかな葛藤も含んだ育児録であり、仕事録でもあるのですが、
ちょうどアニメブームの終焉を感じさせる描写もあったりすると。

1998年4月16日(土)
(日本)武道館にて、第10回アニメグランプリがあり、昨年に続き、
司会を担当させてもらった。10年続いたこのアニメのお祭りも
今年が最後だそうだ。永く続いたアニメブーム、というものが、
一応の区切りをつけた、ということか。

田中真弓「ぶさいく子育て日記」1990,(六興出版)p122

でもその次の月には『プロゴルファー猿』の最終録音があり、
主役の頓宮恭子さんが産休に入る、との描写もあるし、その
前年は映画『天空の城ラピュタ』でシータもパズーも妊婦で
アフレコだったわけだから、ちょうど団塊ジュニア世代が
アニメを観て、参加し始める頃の揺籃期であり養生期で
あった、といふのがこの時期の見解の一つでもあるんだけど。

何もせずに努力もせずに、何をぐずぐず考えてたんだろう。
よく進路相談に来る若い子に、「年なんて関係ない。やりたい
と思ったことはいつからでも始められる。あせることなんか
ないよ」と言っていたのに・・・。

そうだ。こんな時にこそ、本を読もう。

田中真弓「ぶさいく子育て日記」1990,(六興出版)p60

コメンタリー的にはアンジャッシュ児島は相変わらず
自分本位の話を展開するのはいつものこととして。
青木崇高(と書いて優香のダンナ、と詠む)の

「みんな真弓さんの声で育って来ているものですからね」

と呟くあたりはすごく良かった。

ジュリエットにはなれないけれど、慣れたら離れられない。
これが田中真弓なのです。

田中真弓「懺悔 こんな私に愛のムチ」(廣済堂出版)1995,p20

なんとかここまで辿り着けましたのでここまでかな。
御清聴御拝読ありがとうございました。

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