家業5年目前に振り返る

家業に入って3年10カ月。

問題解決の毎日でした。

気づけば、目先の問題を解決する習慣は身についてよかったのですが、大きな視点、こられからの社会の未来や、会社像に向き合う時間がとれてませんでした。

考える、ことの優先順位を上げて、特にないがしろになっている自分の本音と向き合うために、このノートを使うことにしました。

これから6年後、自分が36才の時、店は100周年を迎えます。そのときに、あのときこうやったなぁ、と忘れないために、ここに残しておいた方が、自分にとって有益だと思います。

先日聴かれたこと。
甘納豆ってなんですか?

ちゃんと答えられませんでした。

そりゃ、まだお菓子が貴重な江戸時代、よりお菓子を手軽にしたいと職人が、当時原料として見向きされなかったささげ豆に目をつけて開発した、和菓子です。

とか、砂糖漬けという保存技術のひとつ(あとは塩と酢)で、豆を使う点で日本独自の食文化なんです。

とか、教科書的に説明はできるのですが、私自身の思いがこもってない。

けど、思いはある。思いがなかったら、こんな大変な甘納豆屋を継ぐという志事はしてないし、続かない。やめようと思ったことは何度かあるけど、結局土俵側でこらえた。

その理由は何か。

甘納豆には恩がある。

私は、小さい頃から生き物が好きでした。
草むらでバッタ捕まえまくったり、ダンコムシ丸めまくったり、してた記憶あります。

ボーイスカウトで、キャンプとかもよく行かせてもらってました。

百科事典を読みあさり、特に恐竜が大好きで、何百種もいる名前を覚えるのが好きでした。京都の青少年科学センターに、何回化石を観に行ったか、そして飽きないことか。

宇宙も好きでした。なぜなら、不思議が尽きないから。調べても調べても、終わりがないから、調べ甲斐があるんです。

恐竜もそうで、生き物であるだけで不思議やのに、それが大昔に、どうやって生きてたんかはさらに不思議。それが、化石や地層という手がかりから、明らかになっていってる面白さ。めちゃめちゃ熱くなってました。今でもジュラシックパークとか好きで、燃えます。

時間もキーワードかもしれない。

宇宙も恐竜も、自分がいなかったはるか昔、長い長い時間の中にあるものやから、そのスケール感というか、壮大さ、深さに惹かれるんやろう。

そういう深さという意味でいうと、生物は深い。生物と無生物のあいだという本を大学生のこと読んだ。

微生物をわずかながら研究でかじった私。
ウィルスは生物か無生物か。

生物を自分で増えれると定義した場合、ウィルスはそうでない。別の宿主が必要だから。けど、DNAやRNAという生物の設計図を持っている。

ウィルスなんて、超絶不思議です。何のために生きてるのやら。その目的は何なのか?人間基準でよい悪いの判断はできるけど。

自分だけで増殖できないから、宿主のシステムをのっとり、細胞の中で自分を複製させる。細胞の中が自分のコピーでパンパンになったら破裂して細胞は死ぬ。細胞死んだら、自分増えれへんのに。

大学で微生物を専攻したのは、まず高校で理系に進学してから、生物or物理の選択があり、物理の無機質な感じより、やはり生物の有機的なところに惹かれて選択。

生物は、私は血がとても苦手なので、解剖がないということで、微生物。血が出てても目に見えないから。植物という選択もありえたが、微生物の方がより、生き物として不思議というか知らなかったので、興味をかき立てられたのだと思う。

そして、大学4年で研究室に配属。バイオフィルムという微生物のシェアハウスのようなものの研究。どんな微生物がいるかを調べるため、遺伝子解析をすることに。

母子家庭で、就職しようと就活したら、大学院生と出会い、研究のことを楽しそうに話すので、もっとしたくなってしまい、憧れの京都大学大学院(高校のとき第一志望で受けて挫折。天才がいることを知った。)に滑り込み合格を頂く。

そこで、さらに2年間、遺伝子を、次は酵母を使って調べることに。

酵母がペットでした。

コロコロしててかわいい。顕微鏡で見ると。そのかわいい酵母の遺伝子を破壊したり、はたまた別の遺伝子を導入して緑に光るよう細工をしたりします。目に見えない生命現象を追跡するために。

酵母は世界中で研究されているモデル生物のひとつで、遺伝子のデータベースがあります。そこに、これまでの人類の研究によって、その遺伝子にどんなことが分かっているか誰でも論文が見れます。

世界の最先端をいっている、といえば大げさかもしれませんが、この遺伝子について、世界で自分しか知っていないことがある、という事実は大きなやりがいでした。

研究室のメンバーにも恵まれて、ソフトボールが盛んで適度な運動もし、先生方もお酒が大好きで、毎週のように飲み会もあり、外食好きな先輩や同期、後輩と近くのカフェや、近場の一乗寺ラーメン街へ出歩いたりするのは、夜遅くまで研究する楽しみでした。

留学生の方と英語でコミュニケーションするのも、日本にない文化を学べて、知らないことにたいての私の好奇心がとても刺激されました。

ラボが違うと、やっていることが全然違うので、他テーマの同期の研究も非常に興味深かった。

私は好奇心が強い人間なので、それが刺激し満たされる大学院生活は、ほんとうに楽しかったです。

ただ、学者になれたらよいな、と淡く思っていた私が、本当に学者を目指しているラボの同期に出会って、こんなに研究はできないと感じて、再び就活をしました。

そこで、いろんな仕事を知っていく中で、逆に家業のことを知らないことに気づきました。

家業を知らなかったのは理由があります。

それは中学のとき、甘納豆屋であることを友人にいじられて、とても嫌な思いをしたから。

甘い納豆なんて気持ち悪い、と言われた記憶があります。

わたし自身も甘納豆をあまりしらなかった。そこで、甘納豆は日本が世界に誇る食の文化財なんや!と言い返せたらよかったのかもしれません。(それによって別の問題が起こりえそうですが)

甘納豆屋を恥ずかしいと思って、10年以上隠してきました。だから手伝ったこともなく、同じ敷地ないの自宅に住みながら、見て見ぬふりでした。

けどさすがに10年以上たち、その嫌だった思いも冷めてきて、一度社会勉強に手伝ってみようと興味を持ちました。

そして、一年で最も忙しい地元の節分祭の売り子をされてもらって、これが転機になりました。

当時の店は、全然お客様来ませんでした。法人向けの製造に特化していたので当然なのですが、この祭だけは、3日間に何千人という方が来てくださりました。そして何も知らない私に言ってくれます。

いつも美味しい甘納豆ありがとう。
楽しみにしてる。

それを何人ものお客さんにいってもらって、家業のことをええ仕事やと見直して、さらにわたしの学費の源がこれやったと気づきました。

私は昔ろくでなしで、バイトしても全部自分のこと、服や遊びに使い、学費は全部母が出してくれてました。

好きな研究を続けてこれたのが、家業の、甘納豆のおかげやったと知って、私は恩を返したいと思いました。

ろくでなしをしてきた分、その思いも大きく、経営が厳しいのをなんとかできる自信はなかったのですが、その恐れよりも、自分がやらねば誰がやるんだという気持ちが強く、継ぐ決断をしました。自分にしかできない仕事ということに惹かれた面もあります。

実際に家業に入るのは、それから3年後、研究しながらの他菓子店でのバイト1年と正社員2年のあとですが、とにかく私は甘納豆に恩があるので、だから甘納豆に対して、人一倍思いやこだわりがあります。

業界としても甘納豆の売れ行きが落ち込み、甘納豆以外のお菓子を始める店もあります。当然だと思います。

しかしながら、私は甘納豆の可能性にチャレンジしたい。この甘納豆でこそ成功したい、そうでなければ意味がない。甘納豆に恩返しをする。これが私の今日に至る土台です。






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