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人工言語の作り方#001 総論

本稿における人工言語とは

人工言語を定義することは思いの外困難である。ある人によれば人工言語とはプログラミング言語と同義であるし、別の人はそれを単に「自然言語」の対義語であるというかもしれない。人工言語はよく、人類の歴史のなかで自然なプロセスを経て生まれてきた言語とは異なり、特定の人・集団によって特定の目的のために作られた言語などとして説明されるが、この定義が100%有効なものであるかは怪しいものである。例えば互いに共通言語を持たないふたつの言語集団が意思疎通のために形成するピジン言語という種類の言語があるが、これは人工言語と言えるのだろうか。また、プログラミング言語はその定義に含まれるのだろうか。

人工言語は、ただ漠然と自然言語と対置される概念として放置されるのではなく、いくらかの下位区分が試みがなされてきた。ヴォラピュクやエスペラントのように、共通の言語を持たない人同士の意思疎通を図る言語は国際補助語(auxiliary language; auxlang)、言語の働きを説明するために実験的に作られたものは工学言語(engineered language)、J.R.R.トールキンのエルフ語など創作目的で作られたものは芸術言語(artistic language; artlang)といった具合である。しかしこれらの区分については、少なくとも私個人としてはあくまで暫定的なものでしかないと考えているし、これらの区分でうまくカテゴライズできないものも存在する。例えば映画『アバター』のオマティカヤ族が話すナヴィ語(Na'vi)は本来芸術言語とみなされるべきものだが、既存の地球の言語では共通言語を持たないファン同士の間で、共通語として機能することもあるようである(エスペラントのように最初から国際補助語として作られたものに比べれば、その機能は限定的であることを認めざるを得ないが)。

しかし、このカテゴライゼーションに対して何らかのアップデートや再考を施す試みは、一部の人工言語創作者によってしか行われていないように思う。私の経験上、言語学の世界では人工言語はまっとうな学問の対象とはみなされていないし、言語学の研究者も人工言語について一様な理解をしているわけではない(「人工言語はプログラミング言語のことである」と授業で述べていた教員もいるし、私が人工言語に興味を持っていることを伝えると「それは言語学の専門課程では扱っていないですね」と別の教員に言われたこともある)。

かといって人工言語が言語学の範疇に入らないという言説が誤りであるとは私は考えていない。現代の言語学は記述主義と呼ばれる立場に立っており、これは現実世界に存在する言語を正確に記述し、あるがままのかたちを分析するという立場である(これは、「言語はこのようにあるべきだ、このように使用されるべきだ」という「べき論」を展開する規範主義と対比されるものである)。人工言語は、古典的な定義に従えば、ある人や集団によって意図的に作られたものであって、ということは普通はその作者が意図した全てがまとまった形で記述されているものであるはずだから、記述主義の立場からは、言ってみれば研究する余地のないものなのである(つまり、ある意味そこには解く謎がないのである)——かろうじて国際補助語については、その実際の運用などについて、学問的な側面から研究する向きはあるかもしれないが。人工言語、特に芸術言語はそれ自体学問の対象になることは難しく、それを扱う分野があるとすれば文学の領域になるかもしれない。例えばトールキンの言語については、文学の領域と言語学の領域からの学際的な研究が行われることが可能である。

ともかく、本稿(本マガジン)で扱う人工言語は、以上に述べたような古典的な分類に従うならば、芸術言語に入ると思われる。しかし、私は自分の言語に、先述の『アバター』のナヴィ語のような働きをしてほしいと思うし、また人工言語制作には哲学的な思考も時に必要になるものであるから、一種の哲学的ステートメントを担ってほしいとも考えている。依然甚だ曖昧ではあるが、これをもって本稿における「人工言語」という語の定義としたい。

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