社会人になって想いを馳せる場所を失った

社会人になって4ヶ月が過ぎようとしている。
あっという間に1年が過ぎていくのだろうという気持ちと、このまま70過ぎるまで働くという虚しい気持ちが襲ってこの文章を書いている。
そんななんとも言えない社会人生活の中で気づいた事がある。
それは、想いを馳せる時間と場所を失ったという事である。

私はよく自然物や動物の観察で想いを馳せている。なぜそんな生活をしているのか、どんな生活をしているのか、彼らの気持ちになってみる。いまさら時間がある人間の趣味だったのだと思う。その人の真意を自分の心の中で問いかけ、深く思考を巡らせるのがこんなにもできなくなるのはとても寂しさを感じる。

単純に時間と心に余裕がなくなったのだろう。今は時間に余裕があっても、これらから時間に余裕がなくなっていく事が簡単に予想できる。
短時間で想いを馳せるのでは、当たり障りのない感想のようなものしか出てこない。
直感的に良いものに出会ったり生み出したりする事があることは否定しないが、味わうことは無くなっていくのだと思う。

それは嫌なのでnoteに電車の中で勉強したり動画を見ている疲れたサラリーマンに想いを馳せてみる。


きっといろんなものを忘れて社会に溶け込んでいく。
よく3年で仕事を辞めるという話があるが、仕事を覚えて心にスキマが生まれた時に転職をするのかもしれない。もちろん人それぞれ思いはあると思うが、まだ体験していない未来なんて、世間一般で押し並べて当てはまるような内容でしか予想ができない。

社会に溶けて込んで自我を失っていくと流れというものに逆らう事がなくなる。流行も立場も声も自我を失うだけでとてつもない力を発揮する。
例えばよく見かける。ポスターや短い動画で得た情報で会話を繰り広げていく。こだわりより周りとの調和を選ぶ。何かを追いかけたり、強い意志やこだわりを手放して薄味で妥協してしまう。

社会人になってリスキリングとかキャリア形成のための能力開発などを見かけて何か行動するのもやってる人が少ないというのが何か消えたいと考える気持ちを持った人の背中を押しているのかもしれない。
自分で行動しているように見えて誰かに背中を押されている。それは広告だったり、誰かの口コミだったりするかもしれないが、本当に自分の心からの衝動で動いていると感じない。

         サラリーマン20代後半Aさん

明らかに野生動物や植物に想いを馳せるより辛くて悲しい。
わたしはなぜ勝手に人を推測って辛い気持ちになっているのか。ただ、私は明るい話題を考えなくなっている事がわかった。少しでも心地よさがある趣味になるようにテーマを持たせたり、芸術家にでも想いを馳せて2024年を過ごそうと思う。
そしてそれを言葉にする。それだけで立派な趣味ではないか。

本当に私は何がしたいのかわからない

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