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【山陽バスむかしさんぽ】(8)大坪

神戸淡路鳴門自動車道の高架橋がそびえる舞子公園駅の山側。坂道の向こうには青々とした明石海峡の水面が覗いています。

明石海峡を望む舞子公園駅の山側

山陽電鉄バスの舞子線は1961年に運行を開始しました。当時のバスは舞子公園駅山側にあった山陽舞子駅前または舞子駅前停留所からこの坂道を上がり、現在の舞子台4丁目停留所となる「送信所前」停留所に停車していました。坂の途中には「峠」という名前の集落があって停留所が置かれていたそうですが、神戸淡路鳴門自動車道の舞子トンネルが建設された際に集落は姿を消し、跡地は苔谷公園となっています。

苔谷公園の傍の坂道

送信所前からバスは左折して山田川の谷へと下っていきます。この道は現在も51系統県商線と59系統が走っています。現在の東舞子小学校前停留所付近からは明石海峡と淡路島を望む景色を見下ろすことができました。バス路線開設時は遮る建物もなかったでしょうから、今以上に雄大な景色を眺めることができたに違いありません。

桜の咲く舞子台4丁目停留所
明石海峡大橋を眺める景色が広がります

坂を下り降りた先は51系統・59系統「県商線」の舞子台8丁目停留所です。開設当初の舞子線の終点「大坪」停留所はこの付近に設置されていました。

舞子台8丁目停留所

舞子公園駅前からゆっくり歩いても15分程度と、驚くほど短い路線ですが、このわずかな区間が舞子駅前から学園都市駅へと路線網を広げる今の舞子線各系統のスタートとなったのです。

廃線跡調査が一つのジャンルとして成立している鉄道趣味に対して、バス路線は休廃止されればそこはただの道路になってしまいます。そのせいか、「廃バス跡」の調査はバス趣味の世界でもかなりマイナーな分野なのが現状です。しかし、「廃バス跡」の調査からは忘れられ、失われてしまったちょっと昔の町の姿が見えてきます。この「山陽バスむかしさんぽ」シリーズでは、今の神戸や明石を歩きながら、かつて走っていた山陽バスと昔の町の面影を辿っていきたいと思います。

参考文献山陽電気鉄道株式会社『山陽電気鉄道百年史』(2007年)山陽電気鉄道株式会社『山陽電気鉄道六十五年史』(1972年)

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