『鳥の歌』を読む 阿部庄之助
異郷から発光するなつかしい風光
無垢な階調、詩のような写真集に心うたれて
記憶の風光
何十年も前の古いアルバムをめくっていると、色褪せた写真から人の声が湧き、風の気配を感じることがある。忘れていた景色の記憶が蘇ってくる。
写真機を構えて人や風景を撮るとき、現実の感動の一方で、いつか見るだろう未来の写真というものを無意識に感じている。未来につながる記憶、それが写真に託されている宿命である。
写真は自分とともに歳月を重ね、歳月を重ねた写真は、なつかしい記憶の風色となって、いつか、ありし日の自分が神話となって顕れ、ふるさとの街道や家々の風景がなつかしい光景となって顕れる。
高橋宣之写真集『鳥の歌』は、長い歳月から目覚めた記憶の光景である。
1969年、ひとりの青年がスペインに渡った。放浪のような自由な旅を続け、シャッターを押していた。写真作品として発表するとか、ある狙いを持って撮ったわけでない。ただ、心の赴くままに、あるいは心かろやかに、何かを探し求めて、異郷を渡り歩いた無垢な青年の撮影したアルバムである。それが、50年にわたって、なぜかひっそりと眠っていたのだ。
まず、写真集『鳥の歌』の印象について語りたい。
ひとことで言うならば、うつくしい光に包まれた一篇の映像詩である。どうして、こんな音楽のような写真集が生まれたのだろうかとふしぎに思う。
題名から推察できるように、この写真集には、かのチェロ演奏の巨人カザルスの「鳥の歌」の旋律が鳴り響いている。カザルスが演奏する「鳥の歌」は、かなしくうつくしい旋律である。苦渋の時代、故郷カタルーニャを想うカザルスの、切なく迫る「鳥の歌」の郷愁のメロディ。カザルスの演奏する「鳥の歌」を聴きながら、高橋宣之はスペインの地を旅したと思われるが、50年を経て、『鳥の歌』をモチーフとさだめ、記憶の彼方から飛んでくる光景を音楽的に構成して一冊の作品集が生まれたのである。
幸か不幸か、写真技術はデジタル時代となったこともあって、銀塩時代に撮影されたこれらのフィルムは眠っていた。高橋宣之は作品誕生の様子をこんなふうに書いている。
「戸棚の片隅でずっと眠っていたスペイン時代の写真を見つけて、引っ張り出した。内容はすっかり忘れていた。ほこりをはらい、色あせた小箱を開けると、強烈な定着液の匂いがして、一気に50年前のスペインの生活がよみがえってきた」
強烈な匂いを発酵するフィルムを、写真家自身がデジタル・スキャンして、印刷にかけられ蘇らせた作品だが、その印刷は微妙な階調を保って、歳月の劣化を感じさせないばかりか、風光の音色を新鮮に表現している。モノトーンのうつくしい階調こそが、この作品集の特筆すべき点である。
階調ゆたかなモノトーンは透明度を深め映像的で、それを掌に乗せて1枚1枚ページをめくってゆけば、記憶の鳥が羽ばたき、歳月の向こうから記憶の風光がよみがえってくるようだ。
写真は瞬間的に固定される宿命の画像である。動きもなく音楽も持たない。しかし、求心力のあるモチーフに支えられ、充分な技術で読み込まれて構成されたとき、流れるような旋律を伴った映像となる。
こうして見知らぬ遠い異国の50年前の風光が、ふしぎなモノトーンの発光を始めているのだ。
異郷を放浪する若者が感光した光景
最近『神々の水系』を出版した、四国で活動するこの写真家を知っている人ならば、海外で撮られた、こんな異色の作品があったのか、とみな一様に驚くだろう。
齢76歳になる高橋宣之の撮影活動は、在住する四国の地から一歩も出ない。今なお、衰えを知らず、在住の高知から毎日のように海辺へ、水系の山地へと向かう。あたかも、山川に棲息し、ひたすら川を遡る鱒か鮭のようである。
四国の海と波、四万十川、仁淀川などの水系をモチーフに、森羅万象の宇宙世界を撮り続けているのだが、その成果は風景写真という枠を超え、自然の原郷や人と自然の結びつきの本質を探り、自然をみつめる50年に渡る活動の集積が評価され、日本写真家協会の第6回「笹本恒子写真賞」の受賞が決まっている。『鳥の歌』は、そんな折に、ひょっこり生まれた異色の写真集なのである。
はたして未来になにが起こるか、予想もつかないものだが、50年昔のスペインの放浪の旅が、いくつもの縁と重なって、青年の人生の道をつくりあげることになったようだ。
高橋宣之はどんなルーツを辿ったのだろう。スペインに渡って、写真という道に向かった経緯はこういうことらしい。
彼は異色の青春期を過ごした。飛行機に憧れた少年は、まず航空自衛隊に入った。英語に強かったが、スペイン語にも関心を持った。22歳で除隊すると、さらにスペイン語を牧師さんについて学んだ。そのとき、スペイン政府の招待留学制度を知って応募すると合格。1969年、スペインに渡って、バルセロナ大学でスペイン美術史を学ぶことになった。
1969年から1972年までの3年間、大学で学んでいたが、興味津々の若者は、その間にスペイン各地をあちこち放浪する。旅行者の常でカメラを1台(ミノルタSR-1)携えていたものの、当初は、写真に関心があったわけではなかった。それが、いつのまにか写真撮影に傾いていった。
スペインの旅は各地に渡り、撮影した風物風景はさまざまだ。
バルセロナ、サラゴサ、バルセロナ、マドリード、アリョサ、バレンシア……
路地、街道、教会、マリア像、猫、猟犬、古城、城壁、鳩、ロバ、物売り、群衆、塩漬けのイワシ、吊るされた野ウサギ、荒野の羊、青空の雲、美しい女性、黙り込む老人……
写真に惹かれた始まりの時期は、なんでも撮りたいものである。その時は夢中になってシャッターを切る。そんな無意識のうちに撮ったなかで、後々になって、ああ、あれが自分の原点になったのか、そう認識する特定の写真を発見することがある。
高橋宣之が、今になって思い出す、記憶に残る1枚の写真があるという。1969年の旅で、スペインの南端タリファに辿り着いたとき撮影した「逆光のジブラルタル海峡」の波騒ぐ海景で、写真集の終章を飾っている作品である。最果ての地の向こうはアフリカ大陸、さらにその先には故郷の海が続いている。まるで海辺の墓場のような岬で、異郷を放浪する若者が感光した光景は、未来に向かう道であり、この光景が、その後に連なる写真を背負う人生の背景になってしまったようだ。
その記念碑のような海景の作品を鑑賞していると、一篇の詩が彷彿とする。ポール・ヴァレリーの(さあ生きよ、海に向かって飛ぶのだ!)と叫ぶ人生の詩篇である。
風 吹き起る…… 生きねばならぬ。一面に
吹き立つ息吹は 本を開き また本を閉ぢ、
浪は 粉々になって 巖からほどばしり出る。
飛べ 飛べ、目の眩いた本の頁よ。
打ち砕け、浪よ。欣び躍る水で 打ち砕け、
三角の帆の群の漁っていたこの静かな屋根を。
「海辺の墓地」(ポール・ヴァレリー、鈴木信太郎訳)
スペイン最果ての地で、旅の青年は人生と写真のというものを掴んだのだろうか。その後も、若者のスペインの旅は続くが、しだいに写真の熱度が高まり、やがて高価なハッセルブラッドを買って、本腰を入れて写真の道をめざして撮るようになった。
写真をめざした若者にとって、異国の地でひとり写真を考え始めたのは僥倖であった。1970年当時の日本の写真界は、作家志向の若者たちが群がっていた。頭角をあらわそうと独創と模倣、感覚と思想とが交錯して、なにがなんだかわからなくなっていたが、そんな狂騒とはまったく無縁の異国の地で、日本の混沌とした写真の時流やブームに左右されることもなく純粋に、無欲に自分の写真の道を進めることができたのだ。
高橋宣之の写真の作風はまったく独自に、スペインの風土で誕生した。
永遠の風景を見つめる眼
そのスペインの風土は深い歴史を背負い、単純なようで複雑だった。
当時のスペインの政治も経済も、内戦を経て30年以上にわたるフランコ総統が支配する混沌と疲れ果てた政情を引きずっていた。しかし、重たい空気の異郷で、写真に目醒めた青年がカメラを向けたのは、写真家をめざす者が向かいがちな、社会の影ではなかった。さりとて社会や歴史とは無縁な、自己の心象風景や美的なモチーフでもなかった。
写真集『鳥の歌』で、高橋宣之は当時の状況を語っている。
「独裁政権によってスペインの経済発展は他国より遅れ、社会は疲弊していた。……内戦終結から30年もの年月が経っているにもかかわらず、内戦の面影、すなわち、古いスペインの姿がまだ残っていた。私はスペイン内戦最大の激戦地テルエル県にも足を運んだ。そこにはあっけらからんとした高い空があり赤茶けた大地がただ広がっているだけだった。私は流れゆく時間を感じながら、シャッターを切っていた。風が単調な歌のように聞こえた」
重たい疲弊の面影が残っていた。しかし、高橋宣之がシャッターを切っていたのは、アッケラカランとした高い空と、ただ広がっている大地だった。撮っていると、風が流れ、それは単調な歌のようだった、というのである。また、こうも書いている。
「あらためて作品を見わたすと、混沌にみちた独裁政権下のスペインがありありとよみがえる。……今でも意識のなかでたゆたっているなつかしい友。さえざえとしたメセタの光。荒海のビスカヤ湾。通り過ぎていく祭りの行列。すべてが、こよなく美しい記憶の風景になっている」
作品を眺めれば、点景であれポートレートであれ、スペインの人々の表情や姿を写している作品がもっとも多く、313点のなかで198点ある。そのなかで、声かけて視線を合わせているポートレートが63点もある。一歩、二歩近づいて語り合い、触れ合う息遣いのかよう人間シーンのつらなりだ。人々の背後に潜む独裁時代の悲望の影を随所に遭遇したのだろうが、それをあからさまに撮ることはない。明るく声をかけて過ぎてゆく。そういう爽やかな距離感を保ったスペインの人々と触れ合う人間旅だった。
「こよなく美しい記憶の風景になった」と感慨を語っているが、313点の光景は、撮影していたその時、無意識的であれ、時間を超え、場所を超えた美しい風景であり、きっと永久に変わらぬ美しい記憶の光景であった。
意識しなかったとしても、すでに写真に託されている宿命というものを察知していた。それゆえに、この写真は、長い眠りの時間が必要な作品なのだと、帰国するやたった一度だけ、カラー作品を雑誌に持ち込んだ以外、スペインでのフィルムを封印したのではなかったか。
十数年前だった、石鎚山の山岳道路を走りながら、スペイン時代の思い出を聞いたことがあったが、その時、どこか無骨な写真家が暗唱するアントニオ・マチャドの詩を聞いたことがあった。その詩を愛読しながら、青春の旅をしていたのだという。独裁政権の圧政下で故国を憂いたスペインの国民的詩人のこんな詩であった。
流浪の旅人は道なき道をゆく
旅人が残した足跡が道になる
(マチャドの「道」冒頭の意訳)
スペインの人々の心のよりどころであるマチャドの詩、旅する高橋宣之の道を支え続けた詩だ。マチャドの「道」は、悲望に喘ぐスペイン人の心の道であったが、道なき道を行こうとする写真をめざそうとする青年の道でもあった。
さて、スペインの終章を飾る「逆光のジブラルタル海峡」の海景にもう一度戻せば、雲間から盛れる陽矢、風強く荒れる波音、光る渚。彼方に霞むのはアフリカ大陸のタンジェあたりか。海はどこまでも広がり、旅は果てしなく続く。旅のような人生という道を、うつくしい自然の光景に託そう、永遠の風景を見つめる眼を高橋宣之は、この地で感知したのだと思わざるを得ない。
波や水のように透明な映像感覚がここで生まれ、今も写真家のなかで脈々とした水脈となって息づいている。
阿部庄之助(あべ しょうのすけ)
1942年、新潟県生れ。研光社フォトアート編集部を経て、学研で「月刊CAPA」「四季の写真」「デジタルCAPA」などを創刊。2000年、立風書房取締役社長を経てフリーランス。
高橋宣之写真展
『鳥の歌 El Cant dels Ocells』
フジフイルム スクエア 写真歴史博物館(六本木)
2023年6月29日(木)~9月27日(水) 最終日は16:00まで
※写真集は展覧会の会場でもお求めいただけます。
https://fujifilmsquare.jp/exhibition/230629_05.html
◇ギャラリートークのお知らせ
高橋宣之氏によるギャラリートークを開催します。サイン会も行います。
①9/17(日)13:00~13:50
②9/18(月・祝)13:00~13:50
高橋宣之写真集
『鳥の歌 El Cant dels Ocells』
◇ご注文は下記サイトより
https://www.at-orphee.com/
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