考える を 考える
考える=何処かと繋がる
もしくは色々な何かを組み合わせる
もしくは色々な何かを混ぜ合わせる
だとすると考えるとは実験行為に近いのではないのだろうか
イメージとはその実験結果であり
しかも人により因果が異なっても全くおかしくはない
人によりインプットとアウトプットが異なるのが当たり前となる
多分それは人により多かれ少なかれ考える場?の次元が異なるもしくはズレるからだと思う
更には考えると言うのはやはり体験することに近いのかもしれない
そうであるならば車の両輪のように
実体験と仮想体験を共にバランスよく機能させて
同じようなレベルに常にあわせておいた方がよいと思う
そうでないとバランスが崩れて多分おかしなことになると思う
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?