自己流解釈
今日は百人一首の源融さん役職名?河原左大臣の以下の歌です
これを一般的には恋の歌と言う感じでとらえられていると思う
しかし、源融さんは宮廷の権力争いの渦中の中におられた方で、その中での政界での身の潔白を表すための歌だと言う捉え方もできないだろうか?
恋の歌であるかのように歌っておるのだが、本意は異なり詠作事情を知っておられる当時の方々ならばそれは当然そちらの意味の方で解釈されていたと言ったようなことも考えられないだろうか?
どうなんだろう?
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