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【短編小説】花売り少女は夢をまく

私はあなたたちが与えてくれた役目を果たせていますか? 
二人の「アンナ」の話。

上記から緩くつながった話です。この世界線の話はひとまずこれで終わりとします。

「それじゃお願いねオリバー」
「うん、任せて。花作りも馴染みのお客さん回りもちゃんとやっておくから」

 にこにこと手を振る少年に手を振り返し、少女は歩き出した。瓦礫散らばる街は相変わらず活気がない。それでも時おり子どもたちがたてる笑い声や大人たちがそっとこぼす笑みを見かけるようになった。この花屋業を始めてからできた客の何人かからも。死にかけの獣がゆっくり息を吹き返していくように、街にも生命の息吹が宿り始めていた。やはり彼女の教えは素晴らしい。
 そこまで思い至ったところで少女は色素の薄い柳眉をしかめた。

――本当にそうだろうか?

 脳内に埋めこまれたプログラムが警告を発する。少女はかぶりを振って再び歩みを進めた。悩んでも仕方がない。だからこそそれを確かめに行くのだ。
 広がる青空は少女の目のように澄みきった青だった。


 少女がなぜ旅に出ようと思ったのか。それには彼女の辿ってきた道をさかのぼらなければならない。
 AD-HK107号。これが少女が“家族”に名をもらうまでの名称である。彼女の名を得てからも通じる呼び名ではあるが、少女は彼女の名で呼んでもらうほうが好きだった。
 この名前からもわかるように少女は人間ではない。家庭用アンドロイドだ。人間の記憶をインストールすることによって、その人間の性格、記憶などを引き継ぐことができる。無論基本の人格も備わっており、ただのお手伝いロボットや話し相手として使う者もいたが、故人を忘れられない人々が使うことも多かった。少女の“家族”は後者だ。少女の中に入れられたのは彼らの娘。若くして亡くなった花好きの少女、アンナである。彼女が入ったその日からAD-HK107号はアンナになり、彼女が歩むはずだった道を歩き始めたのである。

 しばらくは平和な日々を過ごしていたアンナたちだったが、その後世界を巻き込む大戦により一変する。怒号や爆弾が飛び交う空。前線に立たされる機械たち。全てを破壊尽くした戦は彼女の両親である二人もコンクリートの下に埋めてしまった。地獄は長く続いた。
 だがそれは思わぬ方法で幕を下ろすこととなる。とある小国の新興宗教団体の作った恐ろしい化学兵器が世界に静寂をもたらしたのだ。争いは終わった。が、同時に人々の心も殺した。彼らは平和の代償として世界中の緑を奪ってしまったのだ。

『花はみんなをシアワセにしてくれるもの』

 メモリに刻まれた最も大事な教えにして彼女と自分を繋ぐ根幹。“家族”がいなくなってから唯一の支えとなったもの。絶望した人々を目の当たりにした少女が向かう先は瓦礫の山だった。
 ゴミ山から掘り出したプラスチック片を花弁に、葉は小さな金属板、茎は鋼材。記憶にあるものよりずっとお粗末な代物だったけれど、年々上達していき、人の輪も広がっていった。今も花づくりから売り子まで幅広く付き合ってくれる男の子やぶっきらぼうながらも気にかけてくれる半身機械の少年、初めて常連となってくれた古くて優しい重機。それ以外にも贔屓にしてくれている面々を思い浮かべて笑みを浮かべる。全て彼女のおかげだ。
 ではなぜ今になって街を出てみようと思ったのか。とは言っても永久に街を離れるわけではない。一時的な旅だ。少女は彼女に会いたかった。そして見極めたかった。彼女の教えが真に正しいのか否か。
 人格を形作る人間の主義や思想を否定することは禁じられている。家庭用アンドロイドとしての役割から逸脱したとみなされるからだ。自分たちの役目はインストールされた人々がするべきだった役を演じること。疑問に感じた時点で少女は“アンナ”ではなくなってしまう。
 それでも一度彼女に会いに行かねばならなかった。花を贈り続けて様々な人々をみた。笑顔もあったが、同時に喪失の哀しみを抱えた人々が傷と向き合わねばならない瞬間もみてきた。あるじの墓に花を捧げ続ける巨大なロボットや今は亡き育て親の真意を知ったときの少年の横顔。決して笑顔ではなかった。他人には触れることのできない深い藍が広がっていた。
 花は痛みを背負った彼らが乗り越えるための手助けになるとオリバーは言う。でもどうしても胸のもやは晴れなかった。だからこそ会いに行く。もう一人の自分に。
 アンナは純白のワンピースの裾をひらめかせ、目的地を真っ直ぐ見据えた。目指すは二つほど離れた彼女が眠る街。


「久しぶりね、ここ」

 うんと背伸びしてアンナは懐かしき故郷へと降り立った。戦火を免れるために泣く泣く二人と共に離れた街。二つほど離れたと言っても徒歩ではずいぶん時間がかかってしまう。途中、一昔以上前の四輪駆動車に乗った親切な人に乗せてもらい、一日かけて目的地にたどり着いたのである。

「お嬢ちゃん、本当にここでいいのかい? もうここにゃほとんど住む人間はいねえんだぞ?」
「いいの。私が行きたかった場所はここだから。おじさんもありがとう」
「いいってことよ。俺はだだっ広いところでこいつを思い切り走らせてやりたいだけだからよ」

 日に焼けた腕を晒しながら男はにっと笑った。サングラスをかけていても目元に笑い皺が刻まれているのが見えた気がした。彼の愛機も元気の良い唸り声を上げる。
 時おりいるのだ。この荒廃した世界でも希望を見失わず、好きなことをやり続ける人間が。男性はそのうちの一人、愛機と共に野をかける旅人だった。
 再度礼を述べ、薄汚れた白い車体が点になるまで手を振ったアンナはくるりと身体を反転させた。懐かしき街並みは一変していた。脳内に搭載されたメモリによれば、いたるところに花が飾られ、活気あふれていた街だったのだ。それが見るも無残に破壊尽くされ、彩りはなく、アンナが住む街以上に瓦礫が散乱していた。人気はおろかネズミ一匹も見当たらない死骸と成り果てていた。

「あの鮮やかだった街がこんなにも……」

 胸がズキリと痛む。内蔵された彼女も泣いているようだった。できるだけ不安定な瓦礫の山や倒壊しそうな建物を避けながら目的の場所を目指す。流石に街一番丈夫なあの建物は大丈夫だろうと言い聞かせながら。

「よかった。ちゃんと残ってた」

 ようやく目指していた建物についたとき、アンナは思わず安堵の息を吐き出した。爆発を食らったのか建物の半分は無くなっていたが、骨格はしっかりしており、当時の面影も感じることができる。アンナはそっと両開きの扉を押した。留め具が苦しそうに呻きながらもゆっくりと戸は開かれた。
 半分大破していただけあって中も酷いものであった。しかし今日のように晴れた日は陽光が差しこみ一層神聖さを浮き彫りにしているようにも見える。剝き出しの梁、散乱したガラス、木片やコンクリート片が散らばる長椅子。中央にあるアンナ二人分以上はある立派な十字架は風雨にさらされながらも、堂々と鎮座していた。奥のステンドグラスが埃の膜をまといながらも色とりどりの光を放つ。
 記憶と何ら変わらぬ荘厳さはオイルの涙を誘うのも必至であった。

「……ってぼんやりしている暇はないわ。彼女に会いに行かなくちゃ」

 一度裏手に回り、墓地に出る。墓石が整然と立ち並ぶ場所はところどころ大きく破損していたものの、奇跡的に彼女のものは無事だったようだ。花々がそよいでいたこの場所も緑がむしり取られ、モノクロの景色が広がるばかり。
 彼女の名が刻まれた石を撫でる。やや斜めにカットされ横たえられた彼女の墓には「ここに無垢で純粋な人やすらう。花を愛し、花に愛された彼女は罪を知ることなく永き眠りについた。彼女を思い、彼女の面影をもって私たちは来るべき日を待とう」と刻まれている。
 彼らがもった面影は恐らく自分のことだ。彼女は少女の中で生き続けている。頭に入ったプログラムが彼女のことも保持できないほど壊れない限り。 
 そっと懐から一輪の花を取り出す。真っ白な白百合だ。雪のように白く、は無理だが何度も洗ってできるだけ汚れを落とした花弁だ。オリバーや辛口のレオでさえ褒めてくれた少女お手製の百合である。

「久しぶりアンナ。ずっと行けてなくてごめんね。今日はあなたに話したいことがあってきたの」

 瞼を閉じて彼らに語りかける。

――ねえ大好きなあなた彼女マスター彼女の両親、私はあなたたちが与えてくれた役目を果たせていますか? 
 私にはわからないの。これが本当にあなたたちの望む行為なのか、答えなのかわからないの。メモリの破損は時間の記録だけだと思っていたのだけれど、気づかないうちに他の箇所もだめになっていたのかしら。

 ひんやりと冷たい石を分析しても何も起きない。バイタルサインも感知できない。当たり前のことだが。
 ふいに一陣の風が通り抜けていった。

『大丈夫よアンナ。だって私たちは同じアンナなんだもの。あなたの思う通りにやればいい。胸を張って。あなたはちゃんとアンナよ』

 はっと目を見開く。慌てて周囲を見渡しても生命を感じさせるものは何一つない。特殊なレーザーで辺りを探っても、何度やっても生命反応はなかった。

「……アンナ?」

 彼女の名にして自分の名を呟く。少女の瞳から一筋しずくが垂れた。
 かつて潰されたレオの身体を機械に置き換えることによって救った老人は言った。心なき機械では人の心を癒すことはできぬと。
 でもそれは少し違うと思う。
 たしかに自分は母親の胎から生まれたわけではない。感情は電子信号の連なりであり、言動はメモリに記録された彼女の行動を分析し、あたかも彼女のように振る舞っているだけだ。だが決して自分が誰一人の心も動かさなかったわけではないだろう。自分を通して彼女をみているわけでもない。彼女は自分で、自分は彼女。名前を受け継いだあの日からAD-HK107号は彼女になった。もう箱の中で眠る金属の塊はいない。彼女を抱いて私は生きていく。
 ふいにすっかり慣れ親しんだ街や面々が思い浮かんだ。

「帰ろう、みんなのところへ」

 空は美しい青。自分と彼女の瞳と同じ色。少女はかごをもって歩き出す。彼女と夢を届けるために。

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