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【短編小説】からくり少年は夢を見ない

「この終わった世界で夢を見るほうが馬鹿を見る」

以前書いた花売り少女は夢を見るを見ると緩くつながった話です。
荒廃した世界で諦めつつも惰性で生きる少年が花売り少女と出会う話。


「花はいりませんか」

 軽やかな雑音が聞こえてきて少年は大きく舌打ちした。短く硬い己の髪をかきむしりながら吐き捨てる。

「まだあのポンコツ機械はおままごとやってんのか」

 目つきの悪い三白眼をさらに鋭くし、外に目をやれば、白いワンピースが瓦礫の中でひらめいていた。この色褪せた世界にそぐわないブロンドの髪をなびかせて、ガラクタで作った偽物の花を詰めた籠を持ち歩く少女の足取りは軽い。これだけならばいつもと変わらない光景だが、今日は少し違った。

「ああ? なんでアイツが……」

 常ならば一人のはずの少女の隣には見覚えのある影が一つ。それは街で時折見かける子猫のようにかわいらしい少年だった。まだ成長しきっていない背は、しかし真っ直ぐ天を向いて伸びている。以前見かけたときは薄汚い道端に、他の連中と同じようにみすぼらしく丸まっていたはずなのにどういう心境の変化なのか。

「ああウザってえ。むしゃくしゃする」

 何が面白いのかときどき甲高い笑い声を上げる二人は、照りつける太陽の光のように眩しかった。
 気に食わない。ああ、気に食わない。
 この終わった世界で、無邪気に笑う彼らが許せない。その顔をぐちゃぐちゃにゆがめて道の端に転がっているヤツらと同じ絶望に堕としてやりたい衝動が駆け巡る。
 そうこうしているうちに二人は角を曲がって視界から消えた。しかし耳障りな謳い文句は未だに廃墟の中で反響している。舌打ちをもう一つして少年は壁際から離れた。

「次の……ザザ……政府は食料の無料配布を……ザザ……植物に代わる新たな……ザザ……」

 壊れかけたラジオから途切れ途切れに流れるアナウンサーの声が無性に苛立たせる。

「どうせ俺には関係ねえよ! このガラクタが!」

 気づいたときにはひしゃげた箱が、無数の破片を散らしながら床に転がっていた。少年は大きく舌打ちをすると、緑のペンキがはげかけた棚から一つの缶を取り出した。

「俺にはこれさえあれば十分だ。どうせクソ政府が渡すものなんて家畜以下のエサじゃねえか。マトモな飯は金持ちばかりが食い散らかして俺たちの口には一切入らねえ」

 聞くところによればまだ一部の地域には植物が残っていて、世界中のお偉い学者共が必死になって再生させようと奮起しているらしいが、あの惨劇から何年経っても瓦礫の下から緑は生えてこない。
 政府が配布する食料は四角いトレーに単色のゼリーのような物体が流し込まれたもの。さまざまな色があり、それによって味付けが変わるらしいが、あんなぶよぶよしたスライムのようなものを食べ物とは到底認められない。栄養がいくらよかろうが、あんなもの口にするくらいなら酸化したどす黒い油を飲み込むほうがマシだ。

「ま、この時点で俺も化け物に片足突っ込んでんのか」

 どろりとした油が喉を伝っていくのを感じながら少年は自嘲した。膝の上の右腕は柔らかな皮膚に覆われてはいない。血管の代わりにチューブが走り、肌の代わりに表面を覆う鋼が鈍い輝きを放つ。異質なそれは醜い自分を映し出す鏡のようだった。

「チッ、あのクソジジイが余計なことをするからだ。アイツの気まぐれのせいで俺はまだこの地獄を生きなきゃいけないんだよ」

 飲み干した缶を蹴とばす。間抜けな音を立てて、小さな塊は壁に開いた大穴から外に飛び出していった。やがてすぐに瓦礫の仲間入りを果たすだろう。
 埃っぽいベッドに体を横たえても苛立ちは収まるどころか腹の底でとぐろを巻いて沸々と毒を吐き続ける。少年は頭をかきむしり、毛布と呼ぶにはあまりにお粗末な布切れをひったくるように体に巻き付けて瞼を閉じた。


「花はいりませんか」

 忌々しい小鳥が性懲りもなくさえずっているようだ。少年は毛布をはねのけると、壁の大穴から瓦礫の山の上に飛び降りた。盛大な音と土煙が立ち、コンクリートにヒビが入る感触がした。煙の向こうから大嫌いな青が大きく見開かれている。それに少しだけ気分が上向いた。

「ちょ、ちょっとなに!?」

 慌てふためく少女に大股で近づき、ふざけた花モドキを地面に叩きつける。

「な、なにするのよ!」
「昨日からうるせえんだよ。こんなゴミを売りつけるおままごとを吞気にやれるなんざいい御身分だな」

 足元に散らばったプラスチックの破片を見せつけるようにわざと地面にこすりつけるように踏みつける。一対のサファイアがきっとこちらを睨みつけた。
 ああ、そうだその顔が見たかった。その整った顔が歪むのが見たかったのだ。

「なによ。私はあなたに何もしていないじゃない」
「わかってねえなあ。お前のやっている行為そのものが不快なんだよ。機械のくせに幸せなんてわかるはずねえだろうが」

 少女は俯いて黙り込む。反論もナシかよ。それとも涙のような透明なオイルをこぼすのか。どちらにしたって罪悪感など爪の先ほども感じないが。
 そのときふいに少女はこちらを真っ直ぐ見つめた。澄んだ空は気味悪いほどの透明さで、少年は無意識のうちに一歩後ずさった。

「……ねえ前から思っていたけど、私とあなたの何が違うのかしら」
「なに言ってんだお前。ついに中枢プログラムも逝ったのか? お前らは全てプログラムされた機械、俺は自分の意思で動く生き物だ。全く違うだろ」
「そうかしら。たしかに私は彼女の記憶をインストールしたアンドロイドであるけれど、あなただって感情を動かすのは脳の神経細胞の電気信号の組み合わせだわ。それに私はあなたと同じように自分で判断して行動できるのよ。あなたと何が違うの?」

 ひたと見据えた瞳は揺るがない。温度のないはずの薄いフィルムは妙な熱がこもっているような錯覚を覚えた。

「それに」

嫌な予感が走る。耳をふさごうとした手は、しかしそこに到達するよりも早く、高い彼女の声が鼓膜を揺らした。

「あなたも体半分は私たちと変わらないのに」
「っ、やめろ! てめえに何がわかるんだよ!」

 思わず胸ぐらを掴み上げた。それでも少女の目は凪いだままだ。本物の感情なんてわかるはずないのだから当然ではあるが、それでも悟ったような静かな湖面は薄気味悪い。

「俺はお前とは違う! 人工知能だろうが最新式のアンドロイドだろうが、所詮は機械。人工物であって、お前らがもつ“感情”は全部錯覚なんだよ! 俺と一緒にすんな。俺は、俺はまだ人間だ! 無感情で、与えられた役割を果たすだけのお前らとは違う!」

 たしかに右半身は既にオイルが流れる身体だ。あのいかれたジジイに勝手につけられた身体だ。それでも、自分はまだ生きている。半分はまだ暖かな血液が流れる生身の身体だ。この鼓動は目の前のヤツらと一線を画すたしかな証拠なのだ。
 プシューと圧力を上げるポンプの音が響き、少女が息苦しさにゆがめた。このままこの細い首をねじ切ってやろうか。それとも腕に仕込んだ銃で蜂の巣にしてやろうか。この生意気なアンドロイドをぐしゃぐしゃの粉々にして、今すぐ足元に散らばる紛い物の花たちと同じ運命をたどらせてやりたかった。
 更に締め上げようとしたそのときだった。

「ちょっと、なにやっているのさ!」

 横から思いもよらぬ衝撃が入り、手を離してしまった。そのまましりもちをつく。激しく咳き込む少女を庇うように二人の間に立ちふさがったのは例の子猫のような少年だった。

「おい、てめえも邪魔する気か?」

 だが彼は鋭い視線にも物ともせず、逆に更に眼光を鋭くしただけであった。一体いつからこんな反抗的な目をするようになったのだろう。以前見かけた死んだ魚のような目とは似てもつかない瞳がこちらを貫いた。

「邪魔も何もないでしょ。なに? ここで殺人でも犯す気なの?」
「ソイツは人間じゃねえ、機械だ。だから殺人罪には問われねえよ。それにお前には関係ないだろ。なんだ? お前もここで死ぬか?」

 そもそも司法が機能していないので罪もクソもあったものではないが。鼻で笑えば、目の前の彼は予想に反して小さく口角を上げた。やけに癪に障る笑みだった。

「よっぽど痛いところ突かれたんだね。ムキになって暴力を振るうくらいには」
「なんだとてめえ!」

 瞬間的に血が頭に上る。しかし振り上げた腕は、華奢な腕によって阻まれた。

「喧嘩する前にお花弁償してよ! 私、すっごくがんばったのよ。オリバーも手伝ってくれたし、今日は一番上手くいった自信作だったのに」

 いつの間にか移動していたアンドロイドが無骨な鋼鉄の塊を掴んでいる。振り払おうとしたが、見た目に反して恐ろしい力を出せるようで、全く動かすことができない。だというのに言っていることは幼く、一瞬であれほど煮えたぎった熱が冷めてしまった。せわしなかったポンプの動きが徐々に緩慢になり、やがて完全に停止した。

「知るかよ。つかオリバーって誰だよ」
「僕」
「お前かよ……」

 少年は初めて年下の彼の名前を知った。元々街で見かけるだけの、知り合い以下の関係だったのだから当然なのだが。

「で、どうするの? 花を全部台無しにしちゃって」

 下から痛いほどの視線突き刺さった。しかも二対も。

「なんだよ。この代金分払えば満足か?」

 居心地の悪さから逃れるように、足元のプラスチック片を蹴とばす。しかし彼らはその程度では満足しなかった。

「駄目よ。この花たちを作るのにどれだけ苦労したかわかってないでしょ」
「じゃ、どうしろと」

 少女はにんまりと笑った。とてもあくどい笑みだった。

「決まっているでしょ。――今日の分作り直すのをあなたにも手伝ってもらうの」


「あーもう無理だ! なんでこんなのやんなきゃなんないんだよ!」
「わめくくらいなら手動かしなよ。自業自得のくせにさ」
 オリバーがねめつけ、また作業に戻る。ひび割れた巨大なコンクリートの塊には十個ほどの花モドキが転がっている。ガラクタの山の中でそれらしい鉄の破片やらプラスチックの欠片を探しだし、それを上手く花びらの形に整えていくのは骨が折れる。おまけに溶接する機材ですら、もはや化石のような何代も前の旧モデルで動いているのが不思議なくらいだ。

「俺の腕はお前らより大きいんだからこういう細かい作業は苦手なんだよ」
「あら、その割にはあなたが一番上手いわよ。筋がいいじゃない、レオ」
「お前は逆になんでそんなに不器用なんだよ。もうこれ始めて何年目だ。向いてないんじゃねえの」

 蝶々のような手のひらの中に咲いた花の花弁は波打ち、鋼材をツギハギした茎はほぼ直角まで傾いている。

「失礼ね。あと何年目かはわからないわ。私、記録するメモリが壊れちゃったから」
「……そうかよ」

 大方先の戦争で壊れたのだろう。予想はついたが、改めて問いただす気にはなれなかった。重苦しい雰囲気が漂う。それを切り裂いたのはこの中で一番若い声だった。

「レオはなんで半身が機械なの?」
「あっ、たしかに。それ私も気になるわ!」

 生き生きと輝かせた傍らのポンコツ機械にレオはため息をついた。

「大したことじゃねえよ」

しかし二人は作業に戻るどころか、逆に作りかけの花を置いて、催促するように距離を縮めてきた。しばらく無視しても視線は相変わらず突き刺さったままだ。結局膝をついたのはこちらだった。

「……鋼の巨匠ってクソジジイがいただろ」
「ああ、機械のことならどんなものでも意のままにできる天才技師だっけ」
「たしかもうお亡くなりになられたのよね。でもその人とレオになんの関わりが?」

 二つの顔が同時に首をかしげる。胸に陽だまりのような暖かさと酸化したオイルを飲み干したような嫌な酸味が一気に溢れ返り、眉間に皺がよる。

「あの大戦のとき、俺は落下したコンクリートによって右半身を押しつぶされた」
「えっ」

 ひゅっと息を吞む音が両脇から聞こえたが、無視して続ける。

「ああ、死ぬんだなって思って瞼を閉じて、次に目を覚ましたときにはこの身体だった。たまたまあのクソジジイが通りかかったせいでな」

 目を覚ましたら、すぐ脇に見知らぬジジイがいて、自分がいるのは美しい天国ではなく、未だに薄汚い現世で。なんの悪夢だと思ったものだ。身体も半分は温度がなくて、節々は痛いし、満足に身体も動かせない。そんな人間未満死体以上の自分に生きる術を教えこんだのはあのクソジジイだ。
 一度だけ問うたことがある。なぜ見ず知らずの自分を助けたのかと。ジジイが返したのはたった一言、気まぐれだという答えだった。その灰色の瞳に一瞬泣きたくなるような哀しみが浮かんだ気がしたが、その後はあまりにもいつも通りだったものだから、見間違いだったのだと流した。
 そういやあれが本当に見間違いだったのか、結局真相は聞けずじまいだったな。
 細い糸のような薄雲が青に沈むようにうっすらと線を引いている。それを睨みつけながらレオは吐き出した。

「愛想はねえわ、ムカついたら工具で殴ってくるようなクソジジイだった。だからある日もうお前は大丈夫だなと一方的に満足して出ていったときはせいせいしたもんさ」

 もうベッドの取り合いで喧嘩することもなければ、片づけをしろだの、年寄りをいたわれだの小言を聞くこともない部屋は清々しいほど広くて――ほんの少しだけ寒かった。

「ごめんなさい」
「何がだよ」

 か細い声で突然謝罪され、レオは眉を上げた。

「だって私、あなたにひどいこと言ったわ」
「気にしてねえよ。AD-HK107号さんよ」

 急にしおらしくされるのは好きではない。頭を乱暴にかきむしりつつ、彼女の正式名称を呼べば、たちまち美しい天色が吊り上がった。

「その呼び方やめてちょうだい。私にはちゃんとアンナって名前があるわ。彼女から受け継いだ素敵な名前が」
「どっちもてめえの名前には変わりねえだろうが」
「レオ、やめなよ。その歳にもなって女の子泣かせるなんてみっともないよ」
「てめえの紳士面はいちいちウザってえんだよ、オリバー」

 猫毛から覗く小さな額を小突いて、埋もれたコンテナの上に座り直す。

「ほら、これで俺の仕事は終わりだろ」

 手のひらの上には先端はまだところどころ曲がっているものの、アンナのものよりはずっと花らしい紅色の花が咲いていた。

「すごいわ! やっぱりレオはこの仕事向いていると思うの。ねえ、私たちと一緒にシアワセを届ける仕事してみない?」
「誰がするか! 俺が花売りなんざやってみろ。とんだお笑い種だぜ」

 近くのゴミを蹴飛ばして立ち上がる。

「そんなことないわよ。きっと似合うわ。ね、オリバーもそう思うわよね」
「そ、そうだね。……ふふっ」
「おいそこ! 笑いこらえてんの見えてんだからな!」

 肩を震わせるオリバーを怒鳴りつける。彼は指摘された途端、声を上げて笑い転げた。

「だ、だって、君と花売りってなんかちぐはぐで。いやいいと思うよ。に、似合うんじゃない?」
「せめて言葉と表情を少しは一致させる努力はしろよ」

 本当に癪に障る奴らだ。レオは今度こそ振り返らずに歩き出す。

「気がむいたらいつでもきてねー! もちろんお客さんとしても歓迎するわー!」

 後ろから飛んできた馬鹿みたいに明るい声に手を上げて応える。
 頭上に広がる空はどこまでも澄んだ青であった。

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