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【短編小説】ルタバガの炎

Happy Halloween!
飲んだくれと烏と孤独な少年の奇妙なハロウィン。

 その日、常夜の国は浮立っていた。なんせ今日は年に一度あちらとこちらが繋がる日。普段は険しい裏道を通らなければいけないが今日だけは別だ。真鍮で作られた荘厳な門は開け放たれ、人間の世が目と鼻の先にある。

「やあこんなところで何をやっているんだいジャック。いつもなら真っ先に出ていくのにどんな風の吹き回しだい?」

 十字架の墓石の上に大柄な烏が止まった。乱れた羽から鬼灯のように真っ赤な瞳がぎょろりと覗く。それに映るのはくたびれた黒服をまとった痩身の男。顔色は気味が悪いほど青白く、頬は瘦せこけている。その手には赤々とした炎が灯るカブのランタンが揺れていた。

「うるさい。お前には関係ないだろう。いつの間に俺のランタンはカボチャに代わりやがったんだ。オレンジ、オレンジ、オレンジ! 馬鹿の一つ覚えみたいに街中それ一色だ」

 男は片手で酒瓶をひっつかみ、天に向けた。鼻から安っぽい酒の香りが通り抜けて舌打ちをする。あの悪魔こんな安酒あおっていたのか。だからいつまで経っても人の一人も堕落させられない落ちこぼれだと笑われるのだ。

「それは去年も変わらないだろう。なんだい? 今までは浮かれて目に入りませんでしたって? それは面白いね。魂だけでなく目玉まで迷子なんて」

 高笑いする烏に空き瓶を投げつける。しかし烏はそれを躱し、今度はジャックの穴あき帽子の上に止まった。

「おいデブガラスどけ。重い」
「失礼な。私は平均体重さ。これでも健康に気をつかっているんだからね」
「そのなりでよく言うぜ。とっとくたばれクソガラス」
「相変わらず口が悪いねえ。しかも悪口はワンパターン。どうしてお前が悪魔を二度もだませたんだか今でも信じられないよ」

 烏は肩をすくめると、再び墓石に降り立つ。太陽の代わりに照らす血のような赤い月が一層闇を引き立てていた。

「ところで知っているかい? ジャック。この祭典ですらお菓子の一つももらえない可哀想な子供がいるらしいよ」
「そうかい。そいつは哀れだな。俺には関係ないね。勝手にべそでもかいているがいいさ」
「ところでその子の父親は大層腕のいい職人でね。作ったものはどれも百年はもつそうだ」
「おい、何が言いたい」

 烏はわざとらしく小首をかしげる。そしてツンツンとあるものを指し示す。その先には使い古された薄黄色の西洋カブ。

「それ、そろそろ限界じゃないかい? いくら悪魔の炎が永久に燃える素晴らしい代物であってもランタンのほうはルタバガだもんねえ。ただのカブには荷が重すぎるだろう」

 人の悪い笑みを浮かべて烏がからかう。図ったように手元の明かりが頼りなく揺れた。

「だとしても俺が子守をする道理はないね。第一助けてやったところで父親が俺のために作ってくれるとは限らないじゃないか」
「そこが君の腕の見せ所だろう。なんだい、たった数百年ばかりでそのご自慢の舌は錆びついてしまったのかい?」

 ジャックはため息をついた。今日はやけに粘る。そのガキと何があったのかは知らないが、こうなれば頷くまで離さないだろう。

「わかったわかった。行きゃいいんだろ」
「それでこそジャックさ。祭りだっていうのに隅で惨めにうずくまっていちゃジャックオランタン伝説の名が廃るってもんだろう。さあ行こうじゃないか」

 烏はすぐさま飛び立ち旋回する。どうやら案内役をかってくれるらしい。ジャックはランタンを持ち直すと、重い足取りで闇に溶けていく烏を追いかけた。


 昔は魔女やら悪魔やらそれこそ夜一色だったというのに、今では見る影もない。中にはこちらの住民と見間違えるほどの装いもみられるが、その多くは自分たちとは程遠い派手なメイクやらスーツやらフリルやら、遠い東の島国発祥のあにめとやらのキャラクターを模した者もそこかしこにいる。本来の意味を忘れて騒ぎ立てる若者たちを白い目で見つつ、ジャックは路地を縫い歩いていた。

「いたいた。あそこさ」

 烏の上機嫌な声で意識が引き戻される。その先には薄汚れた階段にうずくまる一人の少年。烏の鳴き声に彼は顔を上げた。

「……レイブン? 悪いけど今日はお前の好きな骨付き肉はないよ」

 烏にワタリガラスを意味する名をつけるとはずいぶんと安直だ。こんな年端もいかぬガキに餌付けされるなんて死を予知する大烏も情けない。失笑するジャックに幼さの残る顔が向いた。

「えっと……誰?」
「誰、ねえ。ハロウィンだっていうのに仮装もしねえ、菓子もねだりにいかねえ不真面目な人間を攫いにきた化け物と言ったらどうする?」

 片端だけ口角を上げれば顔色の悪さも相まって小さな子供であれば泣いて逃げ出すほど恐ろしい形相になる。だが少年は皮肉げに片頬を上げただけであった。

「ウチに身代金を要求しても大した金は手に入らないよ。もっとも父さんはいなくなったことにすら気がつかないかもしれないけど」

 まったく可愛げのないガキだ。今すぐこのふざけた依頼を放り投げて飲み屋で飲んだくれていたほうがマシである。もっとも馴染みの店はツケの未払いが溜まりすぎているので、そろそろ出禁を言い渡されるかもしれないが。

「つまらねえ奴だな。興ざめだ。帰る」

 くるりと背を向けたそのときだった。

「ジャック、今日一日付き合ってくれればツケを代わりに払ってあげるよ」

 予定変更だ。踵を返して、ジャックは少年の目の前にしゃがみ込んだ。

「おい立てクソガキ。そんな辛気臭い顔してちゃあせっかくの祭りが台無しだ」

 視線は合わない。ジャックは嘆息し、その細い腕を引っ張り上げた。

「っ、何すんだよ!」
「何って決まっているだろ? そのみすぼらしい服をこの祭りにふさわしいものにしてやるのさ」
「おい離せ! 離せってば!」

 わめく少年を引きづって、ジャックと一羽は路地裏へと消えていった。


「なんだかんだ言ってカボチャ気に入っているんじゃないのかい?」
「うるせえ。これしかちょうどいいのなかったんだよ」
「この頭重いんだけど。っていうかこの格好なんだよ。ダサい」
「ごちゃごちゃ文句言うなクソガキ」

 ジャックは隣の巨大な頭を叩いた。オレンジで彩られたカボチャの被り物を。下は着ていた服の上に自室にあった埃かぶった深緑の布をマントのように羽織らせ、手にはカブのランタンを押しつけてある。周りから浮いているわけでもない。何が不満だというのだ。

「ほら行くぞ。今日は菓子を根こそぎ奪いに行く日なんだろ?」

 大陸を渡ってから生まれた文化ではあるが、もはや人間たちの間では常識となってしまったもの。本来の姿を知っているこちらからすれば少々複雑だが、愛嬌を振りまくだけで貰えるならば貰っておくべきだ。

「そんな泥棒みたいな……。そもそも僕に渡す人なんていないと思うけどね」
「何言ってんだ。お前はカボチャであって一人いじけるクソガキじゃねえだろ。素はともかくその顔でねだられて渡さない奴はいないね」
「君、自分が大層人気あると勘違いしていない? 最近はコミックのキャラクターが人気なんだよ。カボチャなんて見向きもされないからね」
「烏よりは人気あるわ」
,「さっきからなんでレイブンと会話するみたいに独り言呟いているの? 病院いった方がいいよ」
「あ? 誰が精神異常者だクソガキ」

 人間である少年には烏の言葉は介せないので不審に思うのは無理のないことだが、人を精神異常者だと決めつけるとは何事だ。アルコール中毒と診断されても、精神は問題なしと診断されるに決まっているだろう。本当に人の気分を逆なでするのが上手い奴だ。ジャックは強めにカボチャ頭をはたき、魑魅魍魎が跋扈する雑踏に足を踏み入れた。


「トリックオアトリート」
「あらかわいらしいジャックオランタンね。はいどうぞ」

 カブを模した提げカバンに飴玉が吸い込まれていく。にこにこと微笑む老婆の家を後にし、ジャックはニヤリと笑った。

「で、どこが一つももらえないって?」

 カバンの中にはチョコレートやキャンディ、伝統的なパウンドケーキまで入っている。どこからどうみても結果は上々だ。

「にしてもなんでお前は菓子もらえない状況だったわけ? そこまで忌み嫌われる理由でもあんのか」

 減らず口を叩く奴であるが、そこまで性格に問題があるとは思えない。
 ジャックが首をひねっていると大きなカボチャ頭が俯いた。

「……僕は友達が少ないし衣装もないもん」
「あ? お前の家そんなに貧乏なのか?」
「違うよ。でも父さんはずっと仕事のことばっかりだし、衣装を作るとかそんなことまで気を回してくれないし」
「母ちゃんはどうしたんだよ」
「愛想つかして出ていった。だから家事は僕の役目」

 ジャックは何も返せなかった。烏も鳴き止み、静かにジャックの肩にとまる。

「元々喋るの得意じゃないし、あんまり周囲に溶け込めないし。裁縫も苦手だから笑われる程度のものしか作れないし、こういう衣装って高いからお小遣いじゃ買えないし」

 石畳に呟きが落ちる。と、そのときだった。

「あーあ、今年はあんまり貰えなかったな。本当にケチだぜ、あのばあさん」
「それはお前がイタズラで花壇の花をぐちゃぐちゃにしたからだろ」
「でもハイドよりはマシだろ? あの陰気臭い奴。今年はどんなボロ布被ってくるんだろうな」
「今から行くか? やあハイドちゃん? 今年は何の仮装だい? あっもしかして雑巾の仮装かな? なんて」

 ぎゃははと下品な笑い声と共に悪い意味で目立つ格好をした、頭が空っぽそうなガキたちが通り過ぎていく。その口に上った名前に隣の少年の肩が跳ねた。毒々しいほど色鮮やかなネオンの光がジャックたちを照らす。少年の足はいよいよ止まってしまった。傷んだ髪をかきむしり、ジャックは大きなため息を吐いた。

「じゃ、これやるよ。これを被っている間、お前は気弱な坊主じゃなくて悪魔を二度も騙した天才ジャック様だぜ」
「正確に言えばジャックじゃなくてジャックオランタンだけどね。カボチャだから」
「だからうるせえって言ってんだろ、このクソガラス!」
「いい歳して動物にあたるのはやめたほうがいいと思うよ」
「そうだそうだ」

 この烏いつか焼き鳥にしてやる。憎々しげにねめつけるも、烏は素知らぬ顔でカアと鳴くだけであった。

「でもなんでジャックは僕なんかに声かけたのさ」
「あ? そんなの決まって……」

 そこでジャックは口を閉ざした。出てくるはずだった当初の目的は、突然錆びた鉄屑のごとく輝きを失い、ゴミへと変わってしまった。そんなものではなく自分が動いたのは――。ジャックはそこで考えを振り払った。それに触れてはいけない。警鐘が鳴る。触れてしまえばきっと己の薄汚さが白日の下に晒されてしまう。そもそもそんな綺麗なもの身分不相応だ。

「気まぐれだよ、気まぐれ。俺は祭りだっていうのに路地でうずくまっているガキが気に食わなかっただけだ」
「いいのかいジャック?」

 頭上で烏が鳴いたが、ジャックは鼻を鳴らしただけであった。

「そんな顔色なのにお祭り好きなんだ」
「言ってろクソガキ。ここの誰よりも俺がこの祭りにふさわしい格好しているんだぜ」

 コイツが自分の正体を知ったらどんな顔を見せるだろうか。自分が既にこの世の者でないと知ったならば、世界一有名なランタンであろうジャックオランタンの持ち主であると知ったならば、どんな反応をするのだろうか。

「……そう。ところでさ、ジャックの仮装とても似合っているけど、ランタンはちょっと古すぎじゃない? いやそれも味があっていいとは思うけど、見てて危ないというか……」

 少年はチラチラとランタンに目を向けながら遠慮がちに言った。たしかにカブの葉は萎びて、いやそれすらも通り越し、辛うじて葉の形を保っているだけ。実の内部は煤けて真っ黒。表面も長年の汚れがこびりついている。烏がこれ見よがしにウインクを飛ばしきて、ジャックは閉口した。

「ああこれか。まあ、なんだ。たしかにぼろっちいが、お前に気遣われるほどのものでもねえよ」
「僕の父さん、そういうの作るの得意だけどいいの? 何だったら頼んでみるよ? 訳を話せば作ってくれると思うけど……」
「いいんだよ。俺が勝手にやったことだ」

 再び烏が鳴く。咎めるような、案ずるようなそれに舌打ちを返し、ジャックは来た道を戻り始めた。


「ジャック、本当にいいのかい?」
「しつこいぞクソ烏。いいんだよ。コイツと何年の付き合いだと思ってんだ。今さらだろうが」

 祭は昨日で終わり。扉は既に閉ざされた。あちらに行くためには険しく長ったらしい、おまけに危険が盛りだくさんの道を歩まなければならない。強い悪霊でもないジャックには少々酷だ。

「にしてもだよ。そろそろお暇をあげたほうがいいから言っているんじゃないか」

 わざとらしく嘆息する烏から目をそらした。愛用のランタンはもはや取っ手の部分が千切れかけている。落ちてしまえば流石の悪魔の炎も消えるだろう。そうなれば元々只人の身であったジャックがこの闇に飲み込まれるのは目に見えていた。
 それでもよかった。人を騙し、酒で誤魔化さなければ息をすることさえ難しかった屑みたいな人生を送ってきた。それは死んでからも変わらない。それを悔やむつもりも卑屈になるつもりも毛頭なかったが、あの出会いが自分を変えてしまったらしかった。
『ジャックのおかげで今日が少しだけ好きになれた気がする。ありがとう!』
 幾度もよぎる笑顔が胸を温かくさせる。たとえこの炎が消えたとしても、胸に宿った明かりで歩み続けることができるかもしれないなどと腑抜けた考えさえ浮かぶのだから不思議だ。微笑むジャックに烏はやれやれと首を振った。

「私は知らないからね」
「結構だ。お前に気遣ってもらう義理はねえよ。ツケだけ払って失せやがれ」
「……君、そういうところはしっかりしているよね」

 鬱陶しげに手を払えば今度こそ烏は飛び去っていった。残るは揺れる火と墓石にもたれかかる自分だけ。ジャックはあちらでくすねてきた酒をあおった。悪魔が持っていた酒よりもずっと上等な味がした。


「やあジャック。そんなところで寝ていると風邪をひくよ」
「うるせえ。既に死人なんだ。風邪なんざひかねえよ」

 せっかく人がいい気分で寝ていたというのにたたき起こしやがった烏を睨みつける。しかしこの烏が今さらその程度で気にすることなどなく、嘴にくわえた何かをずいと差し出した。

「あ? なんだこれ?」
「よーく見てみたらわかるだろう。目玉はまだいかれてないはずなんだから。もっとも迷子になっているのなら別だがね」

 そうは言ってもここは夜の国だ。光源がなければ物を見ることさえ難しい。グラグラ揺れるランタンを掲げると金属特有の鈍い光が反射した。

「……ランタン?」
「そう。ランタンさ。あの子の父親が作ったね。良くも悪くも職人気質で子どもと上手く向き合えてこられなかった罪悪感もあったんだろうねえ。あの子が頼んだらすぐに取り掛かってくれたよ」

 アンティーク調のランタンはずっしりと重みがあり、見るからに頑丈そうだ。ガラスの中心よりやや上部にはどうやって彫ったのだろうか、小さなカブが一つ刻まれている。そして取っ手にはなぜかカボチャのストラップがついていた。縫い目が時おり乱れているが、何度も縫ったのか見た目の割にほつれていない。

「そのストラップはあの子お手製さ。ちゃんと大切に扱ってやりなよ」
「……ったくどいつもこいつもお節介野郎だ」

 ジャックは髪をくしゃりとかき上げた。先ほどから烏の視線が突き刺さっている。渋々己のランタンに手をかけた。
 煌々と輝く炎が銀の台座の上で揺れている。それはもはや芸術品にも近い美しさを保っていた。

「うんうん、これでもう百年は大丈夫だよねえ」
「……おいクソガラス」
「なんだい?」

 烏がこちらを覗き込む。ないはずの口角が上がっている気がして苛立ちが増した。

「お前は俺とは違ってあっちに行くのも簡単なんだろう?」
「そうだねえ。でも伝書鳩扱いをするんだったらやめてくれ。その目玉ほじくるよ?」
「ちげえよ。ちゃんと駄賃もやる」
「何か送るつもりかい?」

 肩を回しながら立ち上がる。相変わらず毒々しい月だけがこの世界を照らしていた。

「ああ。流石にこれは貰いすぎだ」
「へえ、ツケ踏み倒し常習犯が成長したもんだ。明日は骨でも降るかね」
「タチの悪い死神じゃねえんだからそんなことおきねえよ」

 さて何を送ってやろうか。脳裏に浮かぶは陽気なオレンジ。あんな安物では自身の名が廃る。鼻歌を歌いながらジャックは宵闇に一歩踏み出した。

補足:ルタバガは別名スウェーデンカブ。ハロウィン発祥の地であるアイルランドではカボチャではなくこれを使ってランタンを作っていた

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