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大河『麒麟がくる』の分析【第26話の感想】 “人生後半からでも巻き返せる”が学べる光秀30代の過ごし方

第26話のラストで、明智光秀がついに越前を出る決心をしたのを記念して、“光秀の越前時代とは何だったのか”について感想をまとめておきます。
(この記事は2020/10/07時点のものです)

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明智光秀(長谷川博己)が、“とても長い期間”に渡り、閉塞感を抱え、自分の将来やキャリア形成の在り方についてずっと悩んでいる。
新型コロナの影響で約2ヶ月間も放送が止まっていたせいで余計に長く感じさせているのかもしれないが。

今回の第26話は1568年。
追手に追われた光秀が美濃を脱出し越前に来たのがおよそ1556年頃で、ドラマでいうと第18話のサブタイトルが『越前へ』なので、話数でいうと8話分、年数でいうと実に約12年ものあいだ越前に篭っている事になる。
光秀の年齢を調べるともう40歳なので、つまり光秀は実に30代の10年間をまるまる越前で過ごしていた事になる。
しかも「麒麟がくる」を見ている限りでは、この間の光秀はほぼ無職で、これといった役割もなく、家族はお金に困っている。
実務経験を積むべき“働きざかり”の観点から言うと、この冬眠は致命的に思える。

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最終的に歴史に名を残したほどの人物が、悶々としながら過ごした“不遇の時代”がこれほどまでに長期間あるのかという驚きとともに、そんな“空白の時代”をこんなに丁寧に8話をもかけて描いてみせるとは、今回の大河ドラマの意志を持った挑戦だろう。(残りの話数で足りるのか心配なくらいだ)

それと、“お金の問題”が印象的だった。

今回の大河には、とにかく“お金”がつきまとう
先ほども触れた「明智家の金策」もそうだが、「戦には大金がかかる」と上洛を避けたがる武将たち、「壊れた壁」すらも修理できない公家衆、「医者にかかれない貧しい者たち」のために無料で薬を配る駒、困っている人々のために食べ物を分け与えたいという足利義昭、そして、お金にこだわる伊呂波大夫。そういえば斎藤道三もケチだった。
どこを切り取ってもこの大河では“金銭の問題がついて回る”のである。

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「生きていくためにはお金がかかる」という当たり前のことを、歴史の人々だって“みんな悩んでいたのだ”とあらためて伝えてくれるのが今回の大河だ。
戦国武将たちの国取り合戦を描くだけの大河であれば端折られがちな地味なシーンだが、こういった“金銭問題”をしっかり書き込むことによって、この時代の民衆のリアリティ、武家のリアリティがより鮮明に浮き上がってくる。

令和の現代には、何もかも兼ね備えた才気あふれた戦国武将による武勇伝よりも、明智光秀のように“不遇にも耐え底辺を知る人物”のほうが、視聴者が共感しやすい主人公像と言えるのかもしれない。
機会にめぐまれぬまま10年もの年月を過ごす中でも腐らずに、きっと陰ながらに文武に励み、来るべき日に備えてきた。
「人生後半、ここからだってまだ挽回できる」。
明智の不遇には、見習うべき姿勢と希望がある。

(おわり)


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