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大豆田とわ子と三人の元夫【第8話の感想/分析】 近づいてきているのは“安らぎ”か“詐欺師”か?

※1話ごとに毎週記事を書いています。過去の回の感想/分析はすべてこちらに格納(ネタバレあり)↓


第8話は、小鳥遊(たかなし:オダギリジョー)が中心な回だった。

今回の“オープニング場面とエンディング場面”を(恒例のとわ子がカメラ目線でドラマタイトルを読み上げるシーンを)見比べるとよくわかるが、

“オープニング”ではまだ、小鳥遊の奇行(オン/オフが激し過ぎる)に、ついていけずに口をあんぐりする大豆田とわ子であったが、

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対して、“エンディング”では、
三人の元夫を部屋から追い出したあと、網戸をはめてくれた小鳥遊にそっと抱き寄せられる大豆田とわ子。

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つまり、オープニングからエンディングにかけて、“小鳥遊ととわ子の距離感”が少しずつ縮んでいくまでの紆余曲折な物語が、第8話だったといえそうだ。

 ◇◆

決定的なのは“網戸”だ。
恋がはじまろうとしていることは、“網戸”で暗示されている。これは第1話からの伏線である。

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“網戸の意味”を、当ブログの第1話の記事から引用しておこう。

網戸がはずれると「結婚したい」「4回目あるかも」と(大豆田とわ子は)思うのだと言う。
お金の問題でも、人肌的な問題でもなく、網戸がはずれた時、“だれかが家にいてくれたらいいのに”と思ってしまう。
これはよくいわれる“ジャムのふたの話し”と同じだ。硬い瓶の蓋が開けられなくて、そういう時、だれかいてくれたらいいのにと思うってやつだ。それの“網戸バージョン”。

 ◇◆

ただし、なんとなく視聴者のみんながうっすらとひっかかっているのは、“この人ほんとうに信じていいのか”ということである。

それこそがオダギリジョーという役者を使った理由であり、彼の真骨頂、得意技でもあり、いつまでたってもなんだかフワフワとしていてつかみどころがなく、なにかさらに奥があるんじゃないのと、“気味の悪さが抜けきれない感じ”を醸し出すのである。
ないとは思うけど(思いたいけど)、でも事実として、“まだ詐欺師の可能性は残っているよ”というカードが、脚本家たちによってテーブルに置かれたまま、ゲームは進んでいる。

今話の中では、小鳥遊自身の口から“これまでの人生”についての大きく3つのエピソードが発表された。その3つとはこういう話しだ。

1、
お世話になった社長から娘と結婚するように指示されている。デートのやり方がわからないので、とわ子のアドバイスどおりに進めていたら、何度目かの夜に令嬢のほうからプロポーズをされるまでに至ったのだが、「断ります」ととわ子の前で宣言をした。

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2、
若くして親の長期介護に従事しなければならない環境に置かれ、17歳から31歳まで介護だけに明け暮れていて、ぽっかりと空洞のように“15年間のなかった人生”を過ごし、これから何をすればよいのか道に迷っていた。そんな時、いまの社長に拾ってもらった。

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3、
深夜のオフィスで、同僚と缶ビールでかるい打ち上げをしていて、つい「なりたかった人生はこうではなかったんだよ」と本音をこぼしてしまったが、ビジネスパーソンとしては順風満帆と人からは見られているので「贅沢だよな」と笑われた。

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前週の第7話では、二重人格者か冷徹ロボットのようにみえた小鳥遊が、これら3つのエピソードを通じて人間味があふれてくる。体温が感じられるようになる。
オン/オフの切り替えが強烈なのにも、背景があることがわかる。

しかし、だ。
しかし、
どのエピソードも、小鳥遊が自分で語っているだけであることは注意点だ。

その事実を証明する証拠品はなにひとつ示されなかったことは気がかりだ。
作り話かもしれない。
でも、ほんとうに心の吐露なのかもしれない。それはまだわからない。

でも、とわ子は、確実に小鳥遊の言葉を信じはじめている。
いろいろなことに少し疲れていて、止まり木を探している。
とわ子は休むべきタイミングだし、休ませてあげたいと見守っていて思う。

“寂しい時には寂しがり屋が近づいてくる。”
それはとても良い機会だ。

しかしこういうタイミングこそ、注意もしなければいけない。
疲れていて、判断を誤りそうなときにこそ、“つけいろうとする危険”も近づいてくるものなのである。

さて、近づいてきているのは、はたしてどっちなのか?
それではまた来週。

(おわり)
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