見出し画像

坂元裕二リモートドラマ『Living(3-4話)』の感想と作品分析

ステイホーム期間の今だからこそ、役者は“実際の家族のみ”でドラマを作ってみようという新しい試みのリモートドラマ、『Living』。2020年6月6日には第3・4話が放映された。1・2話に続き、その難解なドラマ内容の分析を鑑賞記録しておく。

※前回の感想はこちら↓


1、“夫婦”と“兄弟”の大きな違い

前週に放映された第1-2話では「広瀬すず・広瀬アリス」の実姉妹と、「瑛太・永山絢斗」の実兄弟による二人芝居のドラマだった。
対して、第3話は「中尾明慶・仲里依紗」、そして第4話は「青木崇高・優香」という、“実の夫婦”による出演だ。
第一夜(1・2話)と第二夜(3・4話)というくくりで見たときに異なるのは、第一夜は両方とも“兄弟”の話しだったが、第二夜は両方とも“夫婦”による話しであった点だ。兄弟なのか夫婦なのか。同じ“家族”であってもこの違いは小さくて大きいと思う。兄弟というのはどうしようもなく“宿命的”な存在だが、夫婦というのは、血の繋がらない“巡り合わせ”な存在だからだ。お互いに“選択”しあって、そこに居るふたり。

だからこそ、扱うテーマは、第一夜と第二夜でムードは異なった。第二夜は、“わかりあえそうで、わかりあえていなくて、でもきっとわかりあえる”、そういう夫婦間の微妙な関係性(ディスタンス)を描いた作品だった。

人類が今こうして進化してきた過程には子孫繁栄を欠くことができないが、そのためには夫婦が必要だ。人類とは他人同士が解り合い、濃厚接触することを通じて、繁栄してきたのである。だからこそ今、“夫婦”が描かれるのだろう。


2、“時間操作”ができたなら

“2つの夫婦の物語”の共通項は、“時間操作”だ。

おでんとビールの夫婦では、夫が呪文を唱えると、数分前まで時間を巻き戻すことができる。“やり直し”ができるのである。

画像1

微熱で隔離された夫婦のほうでは、夫が、消したはずのテレビが夜中に勝手について、昔々の自分が高校野球の球児だったころの試合のシーンが流れていることに気づく。忘れられない後悔の日。あの日に戻ることができるのである。

両者とも、“時間をさかのぼらせる”という機会を得る。

おでんの夫は、「妻に捨てられそう」だが、時を巻き戻すことで、何度も何度もやり直し、「仲直り」を目論む。

微熱の夫のほうは、「あの時監督に逆らってでも、敬遠せずに勝負しておけば良かった」と、ずっと胸の内で後悔していたが、テレビ画面の中の“昔の自分”は、実際の過去とは違い、まっすぐストレートを投げて勝負を始めるのである。

この物語はファンタジーだ。
本来なら叶わないはずの“時間操作”というチャンスを得たふたりが、第二夜の主人公なのである。


3、巻き戻せても、巻き戻せなくても

しかし、“機会を活かせずに終えてしまう”という点も、ふたつの物語の共通項だ。

「おでんの夫」は、仲直りがやっとできたと思ったら、手違いでまた元の振り出しの時間まで時を戻してしまうし、「微熱の夫」のほうは、敬遠せずに投げた念願のストレートを、逆転さよならホームランされてしまう。

画像2

そうして気づく。
時間を巻き戻せても、巻き戻せなくても、思っていたほどには変化はなく、「自分は自分だ」ということに。うまくいかないモノはどうせどの道どこかでうまくいかないし、どうにかなるコトはいずれどうにかなる。直近の目の前のことだけが小手先で多少やり直しが効いたところで、人生の長いスパンで見たら、人生が大きく変わりばえしたりはしないのだ。

このドラマにはそういう“教え”が、込められているように、わたしには感じられた。
「あの時にああしておけば」「あれさえなければ」という後悔が誰しもの胸の内にもあるだろうが、もしやり直せたとしても実はそんなにたいしたことでもないんだよ、と。

◇◇◇

そしてそれは、2020年の世相にもいえるはずだ。
パンデミックによる都市封鎖、ソーシャルディスタンスを余儀なくされた我々にとっても、この“物語”は、小さな希望を灯してくれる。

時を巻き戻してやり直そうとも、いずれ、新種の感染症はやってくるし、長い目でみれば、こういう時もある。パンデミックさえ起こらなければ、やれてた事や行けてた場所があるだろう。会いたかったのに会えなかった夜もあるだろう。でも、そういう時もある。

時間を巻き戻せても、巻き戻せなくても。
毎日を丁寧に生きていく(Living)、ただそれだけである。そう勇気づけられる。

(おわり)

コツコツ書き続けるので、サポートいただけたらがんばれます。