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漫才ライブ『明日のたりないふたり2021』の感想 (あれは死神だったのか、もしくは天使か)

(この記事は2021.06.19時点の記事です。少しネタバレ要素を含みます)

個人的に仕事が多忙な時期で、オンラインチケットの公開期限ぎりぎりに駆け込んで、解散ライブ『明日のたりないふたり』をまだ薄暗い明け方に観て、ひくひくするくらい泣く。

ぼくはそんなに熱心な「たりないふたり」信者ではない。だから“足りない”という言葉(概念?)にもそこまで愛着なかったんだけど、観ているうちに、“ぼくも足りない側の人間だったんだな”とつくづく思う。

僕も、ふたりとだいたい同世代なのだが、ビジネスを通じてならば誰とでも気さくに話せる様になったものの、実は“根っこの本質”の“陰気な部分は何も変わっていない”ということには気づいてるし、いつも寂しさや孤独感のようなものが心の奥のほうにはあって、それと同じような感覚が若林にも山ちゃんにもあって、その人たちが戦うさまと、苦しさやもがきが、“等身大の自分自身の写し鏡”のようにも感じとれて、すごく共振して心震える。

背中から(架空の)長いナイフをすーっと出した若林が自分の腹にそれを突き刺しながら叫ぶ。
自分のみにくさとか、かっこ悪さとか、みじめさを、叫びながら刺す。
もういいよ!と山ちゃんが止める。ぼくらも思う。そこまでしなくていいよと願う。それでも繰り返し若林は腹を刺し続ける。観ていて涙がこぼれてくる。ぼくらのために若林は腹にナイフを突きつける。隠し事をしていたぼくらのために。ぼくらの罪をつぐなうために。ぼくらを束縛から開放するために。

 ◇◆

途中、
ライブハウス中の空気感がひやりと冷たく変化して、あかりもやや暗くなったように感じられて、気づくと観客席に“死神”が座っている。いや、“天使”なのかもしれない。

その正体はよくわからない。その死神は、“おれはね、12年前から山ちゃんのことを見ているよ”と、ねちょねちょとした不快な声で話しかけてくる。歯がないから話しにくそうだ。“フハッ”と変なところで何度も笑う癖も醜い。内省的で文学的な存在。“何か”のメタファー。記憶を頼りに少し言葉を書き起こすが、死神は、こういう忠告を山ちゃんに言い残す。“おれはヨォ、マズイんじゃないかって、さ、気づいてたんだよォ。フハッ。結婚したってくらいでさァ、人がそんなにカンタンに変われるのかってサ、フハッ”

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警備員とかに取り押さえられて外に連れ出されるが、いつのまにかまた観客席に居て山ちゃんに声をかけてくる。“応援してルヨ、ズッと見てるよ、フハッ” 一方的に話して消える。この死神は(そして天使は)山ちゃん自身の声なのかもしれない。つまり、“たりない人々自身”の心の中から聴こえてくる声なのかもしれない。
死神が何を語りかけたのか、映像作品で確認してみてほしい。
それはきっと、“僕ら自身から、僕ら自身への声”だ。

 ◆◇

ヘリコプターから縄ばしごが降りてきて、それに捕まって逃げようとする若林の、足首をにぎってそうはさせまいとする山ちゃん。“たりない世界”から“たりてる世界”へと脱出をはかる若林。ふたりとも服が大きくバタバタとはためいていている。上空。ヘリのプロペラ音。命懸けのやりとり。

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ここのシーンはまるでハリウッド映画のようにスペクタクルだ。「離せ!」と若林が叫ぶ。「こんな世界にはもう居たくないんだ!」と手を振りほどこうとする。このシーンが感動する。いかにこの“足りない世界”が、最低で最悪で湿っぽくて陰気で孤独で苦しくてつらくって、それでいて、どれだけ優しくて暖かくて面白くって支え合っていて親密で、そんな最高なことしか起こらないじゃないか!!!

ヘリコプターは爆破され、吹っ飛ばされて地面に落ちていくふたり・・・はたして若林は“たりない世界”から脱出できたのだろうか?
中途半端だけど、ここまででネタバレを止めておこうと思う。

 ◆◇

さて、最後に。
「明日のたりないふたり」が発信されたのち、“はたしてこれは漫才なのか論争”が起きなかった。
議論されてもしかるべきいびつなフォーマットなのにだ。

それは直近で起こった同論争の中で、お笑い界の中心層がこぞって「これも漫才である」と、漫才のその“広い包容力を肯定した”ことの影響もあるだろう。

つまりもう、“ふたり以上の対話から生まれる、人間ドラマの物語の語り”はすべからく、“漫才”にくくろうと思えばくくれるということなのだろう。

となると、
演劇の分野に昔からある“二人芝居(英語でtwo-hander)”はどうなるだろう。今回のたりないふたりを見ている限り、特に後半は演劇作品と見分けはつかない。演者側が「これは漫才である」と言いきれば、それはもう漫才なのだろう。

名作映画を観ているようだった。
人間の“醜さ”と“美しさ”を同時に肯定されて、涙しながらスタンディングオベーションをしたのであった。

(おわり)

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