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ASDは個性か傾向か。これからどう生きるか。〜小学校低学年〜

歩いて通う地元の小学校に進学した。

周りのほとんどは地元の保育園からの進学だ。

しかし人数が圧倒的に少ないため、意図せず全員と話すこととなる。

教育熱心な母により書道もピアノも習っていた。

音楽を楽しむより、和音を滞りなく鳴らすことができた自分と、長時間練習したことを褒める母が好きで続けていたと思う。

書道も先生に評価されることが好きで、毎月発表される級と段をどうにか上げたく、他人よりも上手くなりたかった。


当時、親戚が働く通信教材を取っていたことから勉強もできた。

友達と遊ぶ楽しさが分からなかった私は、タイピングの内職をする母の横でよく勉強していた。


そんなこともあり、テストはいつも100点、校歌の伴奏もしたし、絵や書道のコンクールはいつでも入賞だ。自分はできると思っていたし、評価されることで周囲を見下してもいたと思う。

同級生にも評価されたい反面、そんなやつ誰も認めてくれるはずがなく、浮いていたと思う。

そんな自分をぞんざいにあつかったり、冗談でも馬鹿にする男の子とすぐケンカをしていたし、それで教師に指導を受けた覚えもある。


今も変わらなすぎてゾッとする、しかし注意する教師はもういない。


起源を覚えている。隣の男の子が自分に嫌なことを言ってくる。どうしたらいいか、と母に相談したところ、母は困ったように、きちんと強く言い返したらいいのよ、とアドバイスした。

私はそれを忠実に実行していた。


時たま私だけ母と、電車で都会に出ることがあった。

その駅を通るたびに〇〇のお兄ちゃんはこの高校に通っているのよ、と兄の友人の兄が通う進学校を言って聞かせた。


それくらいから周囲では浮いていたし、いじめられていたと思う。いじめというか、からかわれてはぞんざいに扱われていたように思える。


玄関を開けるとき、母を心配させてはならないと気持ちを切り替えて笑顔を準備した覚えがある。


当たり前のように毎日、下校は一人であった。


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