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鐘下opal 2023「死の棘」から二人の世界について

母校で観劇。鐘下opal2023「死の棘」観てきた。
「死の棘」有名な文学だが
※結婚10年の夫婦が夫の浮気をきっかけに妻の精神が錯乱、家族が崩壊していくさまと、その再生を描いた人間ドラマ。

2015年から( 大学入学時から)鐘下opal8年連続観てきているが本当に素晴らしい。(学校教育でもっと演劇入れるべきといつも感じる。学校って機関は就職予備校じゃないんだから)
ともかく鐘下演劇はネジが2本ほど外れた頭のおかしいヒロインが話を引っ張るのですが、このヒロインの是可否かで、物語の印象がガラリと変わる。
それにしても主役の千葉蒼衣さん本当に素晴らしい。
エネルギーの塊をぶつけられるような芝居でした!!

2時間出っぱなしで長尺のセリフを噛まずに演じ、半裸で全身びしょ濡れ。
絶叫と喜怒哀楽。そして人の心を揺さぶる芝居。
本当に素晴らしいです!
てか顔がいい!(最上級の褒め)
そう顔相撲が出来ている(※顔相撲とは韓国映画批評で出てくる顔のアップでもう何が言いたいか全て伝わる力強い表情)

ふたりの世界

今日書きたかったのが、ふたりの世界について。鐘下opalは70年代演劇(もしくはそれ以前)と70年代映画(ATG)など雰囲気がバチバチで、
もちろんそうなると男女2人の世界ってテーマになる。

男女2人の(閉ざされた)世界

世界観の共有。これは男女関係で最も大切な事だと考える。(現時点で僕は)
サピエンス全史でホモサピエンスって同じ世界観をみんなで共有できるようになったから他の人類との競争に勝つことができるようになったんだってこの本に書いてありました。
(共同体はこれを小さくしたものとも考えます)

世界中で同じ資本主義って世界観を共有しているからこそ、話が通じるわけです。人間の言葉が分かる別の生き物やAIに資本主義の話をしても本質的な意味や痛みは分からないと思います。

世界観とは世界を統一的に理解する視点のことで、言い換えると個々人の頭の中にある仮想世界のことです。
当然これは人によって異なるため世界は人それぞれ異なった姿をしています。(ここが違うと2人の世界は難しいですね)

世界観を持っていないと思っている人でも無意識に世界観を築いています。
よくある話の、愛か権力か、それとも夢か。物質か精神か。何がこの世界を動かす力学だと考えるのか。人の数だけ世界があるのです。

神の信仰者と無心論者の話が永遠に平行線を辿るようにある程度世界観を共有できないと2人の世界は難しいですね。

死の棘にそれを感じます。

ではあなたの世界観とはなんですか?と聞かれた時に答えらるのだろうか?

私の世界

私は「神様がいて、僕の生き方を見て運命を決めている」という世界観を大切にしたいと考えています。

私は、神様もしくはそれに付随する運命のような大いなるものを信じています。

私は映画や音楽など人類史の結晶が好きです。
(特に人生そのものをぶつけられるようなものに感動します)

私は基本的に権威というものに反感をもっています

私は権威や立場でマウンティングするものを嫌います。

私は多数より少数の方が好きです。

私は人権意識や倫理観が低い人を嫌います。

私は人を尊重できる人が好きで自分もそうありたいと思っています。

私は人間の身体は一番美しい美術作品だと思っています。

ん〜難しい!言葉にするとなんか嘘っぽくなるな。
神様がいて、僕の生き方を見て運命を決めている」という世界観を大切にしたいと考えています。と書きながらもその場しのぎの嘘ついたり、平気で人傷つけるような笑いとったりするし。殺意が芽生える時もある。難しい。


世界観の獲得


世界観と価値観がなんとなく出来上がったら、つまり、世界がどんな力学で動いていて、その世界で自分が何を大切にするのかを決められたら、次はそれを世界に表明して試す段階です。

また、世界観は私の結果に伴う責任の半分を引き受けてくれます。
失敗したのは半分は世界観の責任です。つまり半分は頭の中にあるだけの粘土より柔らかく柔軟に変化させられるものです。

僕は僕をやめられません。自分自身を責めることは不毛な自傷行為になります。苦しみを生むだけです。
しかし世界観は現実に合わせて変形させられます。現実と整合性の取れない部分は変形させればいい。そう感じられたら失敗は常に糧となり、推進力を生みます。
失敗はきちんと現実を認識する行為なのだとしたら、次はもっと上手くいくはずです。

寛容さの習得


また自分の世界観を現実に試す、という行為は、他の多様な価値観を受け入れることに繋がり、自分とは異なる方法をとる他人を受入れる度量を獲得させます。
絶対的なものがない以上、誰が正しいのかは誰にも分かりません。
絶対的なものだと信じられている数学や物理も、結局は人の認識の延長線上にある世界観です。人の認識の域は出ません。
もしかすると他の惑星にはもっと簡単に世界を説明する文明があるかもしれません。その知性は僕たち人類の認識を笑うかもしれません。

ふたりの世界

ここでやっとふたりの世界の話になります。
死の棘では世界観が粘土のように歪に擦り合っていく様を描いています。
(70年代演劇、映画の男女がテーマってこうゆうの多いですね)

2人の世界観は着実に現実との整合性を取り始めているということです。
そこに恋愛の良さがある気がします。

どんだけ顔が良くても金を持っている相手でも世界観が共有されないと
他者や社会に対してのアプローチの一つにしかならないですね。

私は多くに女性との会話でかろうじてkpopや韓ドラの話が出来るからいいもののそこを失うと正直全く話すことがありません。
(仕事していても心底思いました。何となく会話を合わせることはもちろん出来るのですが)
※天気の話、子供の話、恋愛の話が適当に合わせるものの僕が退屈してるのが伝わってしまうと思う。

パルプフィクションのジョントラボルタとユマサーマンの会話

パルプフィクションの有名なシーン、ジョントラボルタとユマサーマンが喫茶店で喋るシーン


確か(記憶が正しければ)ユマサーマンが天気の話とか退屈だからやめろとか初対面で言う。有名な二人で踊る前のところ。
僕はこれを典型的なADHD同士の会話と心で思ってる。

有名なだけあって何度見返しても喋っている内容もcoolだし、この会話がまさに、ふたりの世界とは何かと(分かりやすく物語っている気がする)

長くなったのでここで締めます。
















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