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とこしえの愛



おばあちゃんとおじいちゃんへ

お元気ですか?秋も深まり、朝夕はめっきり冷え込む様になりました。

混沌とし混乱したこの世の中に、わたしは結構戸惑っています。少し前までは、「え?コロナ?怖いねー」って言いつつ心の中では(でも大丈夫っしょ)とどこ吹く風でした。

海外旅行に行けないし、お店も早く閉まるし(過剰労働の日本でそれはいい事かもしれないけれど)、リストラや希望退職者を募る企業もあって、明日は我が身だな、とプチ戦々恐々としています。


地元に帰る事を、あまり好きな言葉じゃないけど"自粛"した時、家族や友だちに会えないのはつまらないな、と思いました。
でもいちばん悲しかったのは、おばあちゃんとおじいちゃんに会えない事でした。
今年の正月に会ったきりですね、寂しいです。ガストでおばあちゃんとおじいちゃん、わたしと姉でランチしましたね。
おじいちゃんの質問を全部おばあちゃんが横から掻っ攫うように答えるから、面白くなったわたし達姉妹はおじいちゃんにあえて沢山質問して、おばあちゃんが漏れなく答えるのを見て、にやにやしてたよ。悪い孫だね。

わたしは東京に戻ってから、おじいちゃんが認知症になっていたと聞き、本当は今すぐにでも飛んで帰りたい、と気が逸りましたが、もし自分がウィルスを持っていたら?と、考えるとやっぱり怖くて、帰る事は賢明ではないと判断し、ゴールデンウィークも夏休みも、東京に留まる事を選びました。その選択は、我ながら正しかったと思います。



最近、小さい頃の事をよく考えます。
色んな事があったし、記憶も曖昧なものとか定かでないところがあって確実かはわからないけれど、一貫して思うのは、おばあちゃんとおじいちゃんのわたし達孫への態度はずっと同じだという事に尽きます。少なくともわたしの人生の中では、不変のものと思われます。

週末は、おばあちゃんとおじいちゃんが歩いて家まで来てくれて、お喋りして過ごしたり、わたし達がふたりの家へ行き、インターホンを鳴らすと「どなた〜?」と言いながらおばあちゃんがドアを開け、「どちらさん?」とわたしの顔をがっつり見ながら、本当に不思議そうな表情で迎え入れてくれるのが定例でした。初めて言われた時は、おばあちゃんお得意のジョークだと気付かず、本当にわからないのかも、と幼いながら真剣に心配したよ。
おじいちゃんはいつも布団の上で本を読んでて、ヤッ、と手を挙げて迎えてくれてました。おじいちゃん="布団の人"が、幼少期のわたしのイメージでした。布団から片手を挙げるおじいちゃんは、どこかの国の王様みたいに見えました。
おじいちゃんが漬物を食べる横で、わたしはおばあちゃんが商店街で買い貯めてくれてるお菓子やおかきを好きなだけ食べました。

わたしと姉がお泊まりに行った時、どっちがおばあちゃんの隣で寝るかの争いをおじいちゃんの目の前で繰り広げ、結果わたしに足蹴にされて睡眠を邪魔されるという散々な夜を、おじいちゃんは幾度過ごしたでしょうか。
あの時は本当にごめんなさい。今はベッドから落ちもせず真っ直ぐな姿勢で、白雪姫さながら胸の上で手を組んだまま、朝まで眠る事が出来ます。

驚いたのは、いくら記憶を辿っても、おばあちゃんとおじいちゃんに怒られた事が無いな、と気付いた事です。注意はされる事はあっても、怒鳴られたり叱られる事は無かったな、と記憶しています。それって凄くないか?いくら孫でもいらっとする事はあるだろうし、疲れてるのに周りで騒がれるとうるさい!ってならない?、と感服しています。すごい、『目に入れても痛くない』を体現してくれている。


結構頻繁に、生きている事が難しかったり、しんどかったり感じる時があります。もはやそれは性格とか性質だと受け入れつつあるけれど、その思考が自分自身で面倒だったりします。
わたしはわたしの事が好きだけど、いまいち何かが足りない気がする、とメンヘラよろしくネガティブ思考に陥る時間があって、それが悪い事とは思わないけれど、多分精神的にはあまり良くない気がするし、実際気分が落ちるので早く抜け出したい!と焦るのを繰り返していました。

でもある時、その時間に入った時に、気付いたのです。(わたしに無限の愛をくれる人、いるじゃん)と。そしてそれは、おじいちゃんとおばあちゃんじゃん、と。

褒めるのは基本装備、留学に行く姉が空港の搭乗ゲートから手を振るのを見て号泣して寂しがったり、わたしは先天性股関節脱臼の治療でサポーターのようなものを着けていたので「赤ちゃんの時にあなたを抱く事が出来なかった」と言って、少し大きくなってから、ぎゅうぎゅうと抱き締められた思い出があります。その時わたしは(おばあちゃんなのに、めっちゃ力強いやん…)と違う方向で驚いていました。

ホームビデオにもその愛は記録されていて、4歳の姉と1歳のわたしが、大音量でバブル期のディスコで流れるような曲に合わせて、ふわふわの羽がついた(どこで買ったん?)扇子を持って拙く踊り狂うのを、おばあちゃんは盆踊りを眺めるように手拍子をしながら笑顔で見ていましたね。SNSなら、10000いいねくらい貰えてたと思う。(この夜を『ジュリアナ東京の盛宴』と名付けました。こう呼ぶのは今のところ、わたしひとりです)
おじいちゃんは、側でわたし達が夜遅くにどんなに大声で騒いでも、涅槃像の如くフローリングに横たわり、聖人のような笑みを携え見守ってくれていました。普通ならキレて速攻寝かせると思う。わたしならそうする。
弟がやっと話せるようになった頃の夏の日に、家の玄関前でおばあちゃんとお喋りしている映像があって、おばあちゃんは声しか聴こえないけれど、その声音がとても優しいと思ったのを覚えています。

七五三、入園式や入学式はもちろん、東に発表会あれば行って最前列に座り、西に運動会あれば親の代わりに場所取りをしてくれました。
わたし達は、春夏秋冬を何度一緒に過ごしたでしょうか?もっともっと思い出はいっぱいあって、その中には辛い事や大変だった事もあったと思います。

ずっと、今も、わたし達の事を気にかけてくれたり、労いや鼓舞してくれてありがとう。これからも、どうぞ末永くご厚誼を賜りますようお願いいたします。


たぶん、わたし達は生きているだけでおばあちゃんとおじいちゃんに愛情をたっぷり注がれていて、ものすごい壮大な愛の世界を見せてくれる大きな存在です。

近い将来、出来るだけ早く、あなた方へ逢いに行きたいと強く思います。

その時も、壮大な愛で持ってわたしの顔をしっかり見て「どちらさま?」って、とぼけた顔をして出迎えてね。


あなた方の目に入れても痛くない孫より

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