見えたものが全てではない
高いクレーンがあった。2日後見た時も、そこに高くそびえ立つクレーンがあった。
2日後の私は何の疑いもなく、ずっとそこに同じクレーンがあったと考えた。一方の息子は、一回壊れたけど、修理して今ここに高いクレーンがあると言った。
これは少し前のお話しですが、上記2日の間に大きな地震がありました。なので、息子は一度クレーンが壊れたことを想像したのです。
息子の発言を聞いて、はっとさせられました。私は自分が見ていない間、変わっていないだろうと勝手に決めつけていました。それ以外を考える間も無く。
もちろんクレーンに関しては、周りの建物に損傷もなく、誰も話題にしていないので、地震により倒壊はしていません。ですが、これを他の物事の場合はどうでしょうか。以前と同じだから、見ていなかった期間も変わっていなかっただろうと決めつけること、あるあるじゃないかなと思います。でも変わっていないと思えるその間にも劇的な事実があった、そんなことを想像してみるとなかなか面白いものです。
先日見ていないところで兄弟喧嘩をしていました。おもちゃの取り合いのようでした。最終的には下の子が痛いと言って泣き始めました。横で上の子はもじもじしています。上の子に話を聞くと、自分は悪くない、〇〇が一人で転んだんだと。下の子は残念ながらまだ会話はできないので痛いと泣くだけです。おそらく想像にたやすく、上の子がおもちゃを引っ張って撮った際に勢いで転ばしてしまったか、もうイライラして下の子を押し倒したか、どちらかが起きたのかな思います。でも、私は全部を見ていませんでした。何が本当に起こったことなのかはわかりません。
そこでクレーンの話を思い出した、なんてそんな冷静なことはないのですが、とにかくママは見ていなかったから何が起きたかはわからないこと、下の子が痛いと泣いているのは事実であることを伝えました。下の子には痛かったね、と伝え落ち着くまで少し離れて抱っこ、落ち着いた後開放したらまた二人で遊び始めていました。
親としてはどうしても子どもの全てをわかったつもりで、こうしたんでしょ、と決めつけたくなってしまいます。でも、やっぱり見えていない間に起きたことはわからないのです。クレーンだって一回倒れていたかもしれないのです。
数々起こる兄弟間のいざこざなので、毎日、毎回そんな冷静な判断をできないけれど、見ていなかったことを決めつけないように、変わらぬものがそこにあったとしても、劇的な変化があったかも知れないと日々想像を膨らませる練習をしたいと思います。
さて明日はどんな劇的なドラマを想像しようか。子ども達と一緒にすごいことを想像しようと思います。
今日も一日お疲れ様でした。
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