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冬の吐息、春のあらし. 3

 冬は時々歌う。低く、ほとんどうなりのような冬の歌は、風が渡るのと同じように、あたりに朗々と響き渡る。わたしはそのうなりの中で、いつかに見つけたヤシャブシの果穂を振る。空に鉄琴を描きながら、冬の声に合わせて、果穂のついた枝をバチにして、わたしだけの鉄琴を鳴らすのだ。わたしの鉄琴は、よく音が響く。音の密度が濃く、空気に穴を穿つように透んだわたしの音。ローンローンというその音が、冬の歌声に追いついて、木々を、風を、鳴らすように渡り抜けるのを、わたしは息を凝らし、その響きの最後まで見届ける。わたしの鉄琴は、ローンローンと響きながら、遠く遠くへと、渡るのだ。

 冬はそんなわたしたちに気を払うこともなく、何も言わずに放っておく。干渉もせず、咎めもせず、ただ何にも構わない冬のやり方は、まるで全てが赦されているかのように、安心だ。

 冬の歌声について、わたしはあらゆるところに舞い降りる。冬が柔らかな輪郭に変えた、景色の全て。半透明の氷や、不自然な三つの塊の上、わたしの住む家の上。景色をそうして渡る間にも、それらは白さを増していく。低く、朗々と響き渡る冬の声。
 突然、歌声がわたしたちの元に近づいてきて、その間近で聴くその響きに打ち震えたわたしの鉄琴は、音階を大きく崩す。崩れた音階は、でたらめな音を高く鳴らし、わたしはバチを取り落として、落ちたバチが鍵盤の上を転がった。ロオオン、と鉄琴が鳴り響き、わたしは慌ててそれを手で押さえる。余韻の途中で終えられた音は、不自然な沈黙をあたりに漂わせて、わたしはなぜか、それがとても悪いことだというように、ざわり、とする。そうして鉄琴を塞いでいた手をそうっと離し、転がってしまったバチをもう一度握る。握った途端、冬がわたしに覆い被さり、わたしは思わず目を瞑った。

 冬はわたしを覆いながら、かけらを鉄琴の上に次から次へと落とした。冬のかけらが落ちるたび、わたしの鉄琴は弾けるように音を鳴らす。ロン、ロン、ロロロン、ロロロロロン。わたしはその音を、まぶたの奥で見る。ロン、ロン、ロロロロロン。それは余韻の間だけひかり、そうしてすう、と消えていく音の粒だ。冬のかけらと一緒にはねあがり、鍵盤から離れてはひかり、消えていく。冬は歌いながらかけらを落とし続ける。ロン、ロン、ロロロロロン。低くうなる冬の歌声に、それはとても、よく似合う。気づけばそれは冬の声に寄り添って、一面の冬を渡っていく。わたしは手に残されたヤシャブシのバチを握りしめ、冬とわたしの鉄琴の後ろ姿を追いかける。

 飽くことなくふり落ちる冬のかけらに、誠実で的確な音で応えるわたしの鉄琴。冬の歌声に従って、冬をもっと白く、冬をもっと頑なに、冬をもっと確かなものにする。冬の音を引き立てて、冬の景色をさらに冬らしくする、従順な鉄琴。ロロロオン、ロロロオン。わたしは、わたしの手から離れたその鉄琴の音を、ひとつひとつ追いかける。追いかけてその音の粒に手を伸ばすと、粒はすぐに弾け、指先に触れるそれは、きいんとする程冷たく、きらめいていて、あ、と思うとそれは、しっかりと重みのある、冬のかけらなのだ。


 気がつくと足元がずんずんと重い。走ることをやめて立ち止まると、埋もれた足がいう事を聞かずに、わたしは雪の中にどさっと倒れ込んだ。
 顔の雪を払いながら身体を起こし、辺りを見回すと、そこはただ白く、どこまでもどこまでも続く、きらきらの冬なのだ。一面の冬にわたしは息をのみ、あまりの眩しさに目を瞑る。冬のきらきらは、まぶたの奥にも届いて、そ目を瞑ってもなお、わたしはその圧倒的なひかりの中にいた。冬の歌声が、朗々と響いている。わたしの周りには冬だけがあり、そうしてこの白の下には、全てが眠っているのだ。

 わたしはわたしを包む空気に耳を澄ませ、そうしている間に、ずんずんと冬に埋もれていく。ブーツの内側に、毛糸の靴下に、ぐるぐると巻いたマフラーや、ボアの効いた革の手袋の中にまで入り込む、冬。瞑ったまぶたの上、睫毛、鼻の先、どこもかしこも冬に満たされて、わたしは視界を冬に明け渡す。冬に埋もれ続けながらわたしは、このまま冬の奥底に届くだろうか、と思う。このままじっと、ずっと、冬の降り積むに任せて、柔らかな凹凸になって、冬の奥深くに、留まれるだろうか。
 冬の白さは、わたしの身体中に広がって、わたしはその中に、現れては消え、現れては消えする、幻燈のような景色を見る。冬の向こうの景色たち。身を寄せ合うメジロの群れ、銀杏のくるくると踊るような葉の揺らぎ、バッタの身繕い、めしべとおしべ。キイキイとなる遊具、ベンチ、滑り台、石畳。わたしはこれらのいくつかを、あるいは全てを知っている、と思い、思いながら、知っているけれどもはや遠い場所だ、とも思う。木のうろ、ひび割れたアスファルト、紫陽花、坂道、水のはった青いバケツ。
 わたしはそれらをゆっくりと通り過ぎ、ずとずっと、深くへと沈んでいく。すう、とまるで温かな水の中に落ちていくように、ふわりと何かに支えられながら、何にもひっかかることなく沈んでいく。冬の歌声が静かに響く。わたしはその中にたゆたって、どこまでもどこまでも、どこまでも冬に潜る。

(4に続く)


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