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愛と感謝と信頼をこめて

なんかおかしい。どうにかしなきゃ」

私がはじめて自分の状態を、
認識し、向き合ったのは、

娘が生まれてからのことだった。

彼女の姿を見守る穏やかだと思えた日々は、ほんの数ヶ月で過ぎ去って、

いつからか、

やらなきゃいけないことが何もできていない焦燥感や、
旦那さんとのやりとりに感じるすれ違いに満ちていた。

公園に行けば、他のお母さんが立派に見えて、自分の不甲斐なさに焦り、
答えや救いを求めて子育て本を読んでは迷走する、

そんなギリギリとしていたあの頃。

日々成長していく娘との時間は、
段々に、支配と意志のぶつかり合いになり、

怒鳴り散らす、
当たり散らす、
泣き喚く、

そんな毎日だった。

なんでこんなに上手くいかないんだ。
なんでこんなにダメな母親なんだ。
こんな私のところで、この子は幸せになんてなれないんじゃないか。

そう考えては、

ちゃんとしなきゃ。
優しいお母さんでいなきゃ。
いつも受け止めてあげなきゃ。

じゃなきゃこの子、
「私みたいに、なってしまう」

そう、
思っていた。

〇〇〇〇

今思うと、
なんて絶望感だろう。

私はわたしを信頼できず、
“私”にならないように、私を否定しながら、
日々娘に接していた。

だけど、
娘に辛く当たることが嫌で、
そんなことを経験させたくなくて、

がむしゃらに、どこかに出口がないか、
探していた。
どこかに方法があるはずなんだと、
望みを抱いていた。

だって、娘が大切で仕方なかったから。

〇〇〇〇

あの頃ほど必死で、

どうにかしよう、
改善しよう、

と自分で働きかけた時期はなかった。

私自身のためには、私は枠の外に出ようとできなかったから。

諦めていたんだ、

人の輪に入って上手く出来ないことも、
毎日夕方に襲われる偏頭痛と吐き気のことも、
なんだか日々ままならない自分の感情のことも、

ずっとずっと、

「だって私はそういう性格なんだもん」
「いそがしいもん」
「体質だもん」

そうやって、諦めていたんだ。

〇〇〇〇

娘がわたしに与えてくれたもの。

笑顔とか、
安心とか、
それはそれは数えきれないほどある。

だけど外せないひとつのこと、それは、
「わたしがわたしを愛していい」という、許可。

娘のために、と学び続けてきたことは、
結果、どれもここに行き着いた。

わたしがわたしを愛すること。
それなくして、
安心も、
笑顔も、
娘に向けてあげることなんて、

出来なかった。

これまで蔑ろにして、見てみないふりしてきた自分のことを、

「ちゃんとみて!」
「ちゃんと愛して!」

って、娘のやることなすことが、
言っていた。

何度私がわたしを諦めてしまいそうでも、

娘とのことが、いつも、
軌道修正してくれた。

〇〇〇〇

そうなのだ、

娘が産まれた日、
私は思ったのだ。

「なんだか色々あったけど、
この子を産めたんだから、もう全部、それでよかったや」
って。

違う自分だったら、
娘を産んでいなかった。

この子に会えたんだから、
私のぜーんぶ、なにも、悪い方には向かってなかった。

そう思えたのだ。

娘は存在そのもので、
わたしのこれまでの全てを、

肯定してくれて、いたんだよ。

〇〇〇〇

今わたしがこうして、

毎日自分のハンドルを
自分で握って暮らしているのは、

間違いなく、
彼女がいたから。

願わくば、
あなたも、
あなたそのものの姿で、
安心して暮らせますように。

あなたがわたしに、教えてくれたみたいに、ね。

〇〇〇〇

もうすぐ10歳の誕生日を迎える娘へ。

解いていこうね、この世界でさ。
今は一緒に、そのうちには、あなたがひとりで歩いていくのを、見送るからね。

愛と感謝と信頼を込めて。

instagram 2023/8/2

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