性悪説という心の色眼鏡を剥ぎ取った話

ニンゲンという生き物の他の動物との
最大の差は、考えること即ち思考ができる、
できてしまうという点だと思う。
それ故ときに自分を守る手段として、無自覚のうちに思考力を固定化してしまうことがままある。

その状態で、固定化された思考という
色眼鏡を心にかけているにも関わらず、
自分はクリアなレンズの
眼鏡をかけているのだという勘違いが生じる。
自分が色眼鏡ごしに見ている世界は
他人の見るそれと同じに違いないと誤認する。
なぜならばどう工夫しても他人が見る世界を
見ることは叶わず、他人が色眼鏡に気がついてくれることは稀であるから。そして気がついても言及するにはセンシティブ過ぎるからよほどの仲でなければその眼鏡に触れられないから。

心の色眼鏡という概念を説明したところで、
私が長年愛用?していた色眼鏡を紹介したい。 

性悪説

人間の本質は悪であり、
万人の万人に対する戦いに勝たなければ
生きていけない。という過激な思考。

学校では誰を味方につければいいのか
考えて人間関係を構築し、
こいつは恐らく敵になるだろうと判断した段階で
間合いを取り極力関わらない、
もしくは牽制していた。
それは社会人になっても変わらなかった。

無自覚のうちに上記の思考が身についた。
思い当たる要因は2つ。 

1つ目は幼少期にスポーツとしての柔道というより
武道の教えを重視する道場で柔道を習ったこと。
話し合いではおさまらず、
相手が実力行使してきたときにはやむおえず
己の研鑽した技を以って脅威を排除すべし。
という教えだった。これを、迅速に敵味方判別を行い敵は速やかに排除すべきと誤って認識してしまった。

2つ目は転校
転校について経験者は想像に難くないように、
3つの段階を経験することが多い。
一つ、まず奇異な存在として見られる。
二つ、面白いやつか見られる。
最後に、クラスメイトとして
仲間として受け入れるか判断される。

私は転校させられたことに全く納得がいかなかった。なのでずっと「東京弁」を話すというす思考の軸として生きてきた。自ら歩み寄って人間関係を構築しようとはせずに、相手から迎合の姿勢で近づいてきてくれる人だけど付き合うようになった。拒絶されること、ちょっとした衝突のたびに無意識下で性悪説が強化されていた。

それは臆病で傲慢な性格も補強した。

当然、「生きにくく」なった。社内でも敵/味方判別を自動的に行ってしまった。「敵」から仕事がまわってくるとストレスだった。「味方」から仕事を振られる分には何も感じなかった。今思うに、味方は承認をくれたが敵はそうではなかった。社会人2年目の春、どんなに集中しようと思っても頭が回らず仕事をこなせなくなった。脳みそが鉛になったか、私はバカになったのかと思った。ある日の通勤途中、ホームドアを乗り越えて電車に飛び込むか真剣に悩んだ。幸い我にかえり、これは精神科に行くしかないと諦めて病院に行った。すぐに鬱だと診断が下り、3ヶ月間休職することになった。帰り道、当時同棲していた彼女にどう説明しようかと悩んだ。正直に話したら、何もしなくていいからゆっくり休みなさい。私のタブレット貸してあげるから好きな映画でもアニメでも観れば?時間は沢山あるでしょ。と言われた。

無条件の愛を感じた。女神かと思った。

休職期間は3ヶ月間から半年、11ヶ月くらいまで伸びた。ダーツにハマり、毎日自宅で数時間ダーツを投げながら何かに集中する能力を取り戻しはじめた。ダーツバーにも出入りするようになり、リーグ戦にも参加した。陰キャは私だけで他は皆パリピだった。でも迎合してくれた。このあたりから、人間って必ずしも本質的に悪とは限らないのでは?と思い始めた。

ある日彼女から「鳥居くんと話すと度々出てくる敵とか味方とかってなに?意識する必要ある?ある程度関わって苦手だなと思ったら適切な距離感をとればいいだけじゃない」と言われた。  

意味が解らなかった。

人間の本質は悪だと思っていたから。しかし彼女の発言は性悪説を根本から覆す発言だったから。続けてこう言われた。「性悪説。自覚ある?ないでしょうね。あなた今まで自分自身と向き合い、対話してこなかったから。嫌なことがあったら相手が悪い奴らだからで自分のせいじゃないと逃げていたからでしょう。」と。

幸い休職中で時間は有り余っていたので、1人問答をすることにした。3日くらい寝ずに考えた。"私は敵が多い方だ。なぜ?" "一人の方が楽だから。なぜ?" "初対面の人が苦手だ。なぜ?"と私の性質で思い浮かぶもの全てになぜ?をぶつけた。並行して、現在の自分から過去の自分の意識や考え方をさかのぼっていった。小学生時代まで到達して、原因を他人に作り、自分の心を守るために性悪説を導入したのだろうという仮説にたどり着いた。

一瞬で物事・人生の見方が変わってしまった。不可視の色眼鏡を剥ぎ取ってしまったから。生まれ変わったと言ってもいい。目に映る全てが美しく感じた。

世間はゴールデンウィークの真っ最中で、よく晴れた日だった。カーテンを開けて久し振りに陽の光を浴びた。寝不足と長年心に癒着していた歪んだ価値観が取れた興奮状態のせいだろうか、涙が止まらなくなった。咽び泣いた。まだ眠っていた彼女が起きて、何事かと訊ねながら背中を擦ってくれた。「俺は…敵味方を識別すると同時に、それによって敵を生んできたんだね。人間は元来悪だとは限らないんだね」と過呼吸を起こしながら応えた。過呼吸は彼女が鼻と口にビニール袋を当てて対処してくれた。その優しさに対してまた泣けてきた。

その日から誰かと相対したときに敵が味方か、もしくは善人か悪人か判別することは少なくなった。もっとその人の本質を視るべきだと考え方が変わってしまったから。そして彼女から無条件の愛をもらったから。

性悪説に限らず、人は皆それぞれの色眼鏡を持っている。それは自然なことだと思うし、もしかしたら複数個持っているかもしれない。それを剥がしてみると世界が変わって見えるかもしれないというお話でした。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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