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焼酎飲めば犬も踊る

3連休で鹿児島の大隅半島と薩摩半島を旅行してきた。往きの飛行機で話しかけるタイプのCAのおばちゃんに「鹿児島まわられるんですか?」とにこやかに質問されたが、答えは「周ります」だ。

マップ

1日目赤、2日目青、3日目橙、約400km。鹿児島県の本質的な部分を見つめるとすれば、本当に周ったと胸を張って言える。察しの良い方は見てわかると思うが、佐多岬という自然地理的なフロンティアと枕崎という人文地理的なフロンティアの2つを大きな目的としていた。俺は旅においてフロンティア精神が強いので、"おもしろ"の金脈がないかと車で途方もない山道を走らせては果ての町に行って「よし、果ての町に来たぞ」と満足する趣味の変わった人間であるため就職活動はうまくいかなかった。フロンティアでその土地でしか成り立たない産業、およびそれによって紡がれる生活、文化に触れるのが大好きなので、そういう意味ではカツオ漁で成り立っている枕崎の、台風銀座でもあるせいでカツオ漁が破綻して作り始めたといわれる鰹節のにおいがそこかしこに漂い、それに誘われてふらふらしている野良猫を観られたのはいい経験だった。家々が並び立つさまは南洋のそれでテンションが上がった。

ただ今回の旅はそれ以上に収穫があった。焼酎の酒造見学である。あえてブランド名で言いますが明るい農村とさつま白波の2軒に行った。俺は焼酎、それも芋が酒の中で一番好きなので、明るい農村の酒造見学は旅程に組み込んでいた。実際に行ってみるとわざわざ明るい農村を見学する客はほぼおらず、暇そうな製造部のお兄さんが20分かけて丁寧に蔵の中から製造工程、霧島連山を望む広場など案内してくれた。その面白すぎる名前の通り明るい農村の中にある明るい農村はすぐ隣に民家がある場所に醸造所をかまえていて「民家ちけ~」と思っていたら、鹿児島はもともとコミュニティ単位で焼酎を造っており、蔵は各村に3600ほどあったらしいが、明治の終わりに酒税法が定められてからは一気に100ちょっとまで減り、それらは当時の名残で民家の中にあると説明を受けた。こういう面白くて最高な案内をしてくれたのが明るい農村だった。薩摩弁はきつかった。グラスと限定ボトルを買ったのでいつでも飲めます。

最終日、枕崎を観光しているとやけに目立つレンガ造りの蔵があるなあと思ったらそれがさつま白波の工場で、予定もしていなかったがなんとなく行ってみた。ここはスタッフの説明が最初に1分ほどでまとめられていて、あとはご自由にどうぞ、という感じだった。中を見ると人形で酒造の工程を説明したり、昔から使ってる器具すべてに丁寧に解説文が添えられていたり、小学生に「新酒」とか揮毫させてたり、とにかく培ってきたデータベースや人脈を用いた説明だった。これは明るい農村といい対比になる。地場の大手のメーカーはただ産業するだけでなく、地域の生活と密接にかかわることで文化を伝えるメッセンジャーの役割も果たす、そういう認識を新たにできた。図書などから、賢くて偉い人がその社史に大きくかかわっていることがうかがえる。これもまたいいなとおもった。


最深部にあった謎のエリア

この旅で焼酎に触れたことでますます焼酎が好きになり、特に1日目、明るい農村に行ってからは早く焼酎が飲みたくてたまらず、鹿屋の場末すぎる飲み屋街で入ったお店でばくばく飲んだ。南九州は特に焼酎やすいな~と前から思っていたが、2合350円はさすがにやりすぎてる。もちろんいった。

博物館とか展示館とか工場とか、そういうのの見学を今までの旅では避けてきた傾向にあったが(理由:時間が縛られるから)、こんな感じでその町の一層深い部分に触れられるなら、それも俺が大好きな焼酎で得られるならかなりいい。サントリーとアサヒ、大学の時それらのビール工場見学に行くのが休日の過ごし方の一つだったが、焼酎ほど味わい深い体験がそこにはあったのでしょうか。試飲しなくても触れられる奥行き。

地域の祭りの様子を再現した人形のワンちゃんが最高すぎました。こうありたい。

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