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勉強は、「何(What)をするか」より「どう(How)取り組むか」

「先生、俺、**高校へ行きたいんだけど、何を勉強したらいいのかわかりません。何を勉強したら、**高校に合格できますか?」
子どもたちから、よくこの種の質問を受けます。

「何をやってもいいよ。学校でも塾でも、これが一番よいと思って君たちにテキストを選んで渡してるんだから、それをまず完全に仕上げなさい。」と私は答えます。この私の答えに満足して、「はい、わかりました。」と納得して引き下がる子は1人もいません。10人中10人、不満げに私の目の前につっ立ったままです。

「具体的には、まず、学校で購入した問題集を完全に仕上げてるかな。あれはいい本だから、丁寧に仕上げとかなきゃ。学校の実力テストに出題されるし、先生が期限ごとに点検もするでしょう?それができたら、塾のテキストを隅々まできちんとやっていったらいいよ。」と、私はつけ加えるのですが、まだ、子どもたちは不服そうです。
すぐに効く特効薬を尋ねているのに、何を当たり前の、毒にも薬にもならないことをこの人は言っているんだ・・・という顔をしたままです。

成績のぐんぐん伸び始める人には共通点があります。それは勉強に取り組む姿勢の「目に見える変化」です。
それまでだらんとした姿勢だったのに背筋が伸びて急に姿勢がよくなる、授業中こちらを見ることの少なかった人が聞きもらさないように私の口元を食い入るように見つめ始める、横の友だちを気にしながら問題を解いていた人が必死でプリントに取り組み始める・・・、こうした変化が見え始めた人は、すぐに成績も急上昇します。
逆に、「これが役に立つからやってごらん」と厳選した教材を与えても、「心がそこにない」人の成績はピクリとも動きません。

私の本心は、「何をやってもいいよ。勉強に取り組む姿勢さえ真剣になったら、何を勉強しようと、すぐに成績は上がる。それだけが成績をあげる唯一の特効薬なんだから。」なのですが、子どもたちはそれでは納得してくれません。

仕方がないので、私のほうから相手に妥協します。
「で、君は自分では何が弱いと思っているんだ?」と、こちらから尋ねてあげます。
「数学です。定期テストではなんとかとれるけど、実力テストになるとさっぱりで。」
「そうかぁ、じゃあ、ちょっと待って。」と塾の本棚に向かいます。実はこういうときのために、塾の本棚にはふだん使わない予備のテキストが、ずらっととはいかないまでも、そこそこそろえてある。そこからおもむろに1冊引っ張り出して、「君にはこれがいい。こういう順番で、これくらいの時間をかけて、こんな勉強の仕方で、これこれの日までに仕上げなさい。」と渡してあげます。
それでやっと、「ありがとうございます!」と目を輝かせて、子どもたちは帰って行きます。

実は悩んで相談にくる子どもたちも、すぐに効く特効薬があるなんて思ってはいないのかもしれません。
彼らの真意は、「自分は本気で勉強したいんだ、そのきっかけがほしい、何かそういうものがありませんか。」ということなんだろうと、最近はちょっと思うようになってきました。


俊英塾代表。「塾学(じゅくがく)」「学道(がくどう)」の追究がライフワーク。隔月刊誌『塾ジャーナル』に「永遠に未完の塾学」を執筆中。関西私塾教育連盟理事長。