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私が私を取り戻す

自分が本来の調子の良い時の自分を見失って、元気がなくなる時は誰にでもあることだろうな、と思います。
悲しくて。モヤモヤして。自分の不甲斐なさで。
そんな時に、私だったらちょっとだけスッキリする方法のことを書いてみたいと思います。

人との関係でもやもやした時

  • 鍋を磨く

  • 草を抜く

  • 書く

  • 映画を見る

鍋を磨くのと、草を抜くのは、身体を使いながら、深い思考に入る方法、と思っています。
瞑想のことを詳しくは知らず、まだまだ勉強中ですが、考えない、という意味では瞑想状態に入っているのかもしれません。
綺麗になったり、無心になることで、近づき過ぎた視点から少し距離を置くことができるのだろうな、と思います。
もやもやしたことを、書いて、書いて、最後にシンプルにすることで、最後にさっぱりと整頓するのもよくやる手段です。

それから映画を観ることで一旦現実から離れることによって、一晩眠ったような感覚になり、問題をシンプルに考えられるようになることもあります。

もやもやすることって、少しだけ距離を置くことができれば、そんなに大したことなかったかも、と90%くらいの確率で思えるし、すごくシンプルに、「まあいいや」「もう無理しないでいよう」とか、「これから同じようなことにぶつかったらどうするか」だけを見つけられるように思います。
「これからどうするか」というのは決して忘れてはいけないので、忘れないようにノートにメモをして、付箋を立て、ノートの裏表紙に日付と「忘れてはいけないこと」と書いておきます。

自分の不甲斐なさが嫌になった時

  • 散歩する

  • 海を見に行く

  • 山に登る

  • 夕陽を見る

自分の不甲斐なさが嫌になった時は、とてもくよくよとします。
けれど、もともと私は小さな存在なんだ、ということを忘れているのかも、とも思います。
大きなものを見て、小さくてくよくよしている私がなんとか今日もがんばって生きている、ということを思い出すようにしています。
「なんとかなるかもしれないな」とか、「次はこうしてみたら案外うまく行くのかもしれないな」なんて浮かんでくることもあります。


悲しみや不安、寂しさは

たくさん書きます。
どこかに届くように、と祈りながら。
整頓できるまで、何度も、同じようなことも、書きつづけます。

他には私と同じような気持ちの存在を探しに、本を読んだり、映画を観たりして、少しだけ自分の気持ちと距離を置いたり、時間がかかっても、いつかもとの私が戻ってくるかもしれない、という希望だけでも思い出せるようにしてみます。

低いトーンが少し長く続きそうな時は、鉢植えを買って目に入る場所に置きます。
鉢植えの花が咲いたら、何かが変わっているかもしれません。
変わっていなくても花は咲きます。

私はこんな風にしんどい自分とお付き合いしていますが、こういう具体的な方法って、たくさんあればあるほどいいものだと思うのです。

テイクアウトのあたたかい飲み物を買って、夜の街をドライブする、とか。
夜中に外を歩く猫を探してみる、とか。
車の中で声を出して、自分の声を聞きながら歌ってみる、とか。

だめな日も、元気な日も、生きているうちは自分のことはなるべく自分で、必死に大切にしたい、と心から思っています。

ありがとうございます!