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私のかみさまは31音の形をしている

言うならば、短歌は私の救世主である。
誰しも辛いときに誰かや何かに励まされた経験はあるだろう。そして私の場合、それは短歌だった。高校3年生の夏、書店で歌集を初めて手に取ったときのことを今でも覚えている。

当時の私は心を病んだばかりで、学校にもろくに行けずただ布団に横たわって死んだような生活を送っていた。好きだった小説もその文章量を理解しようとするととても疲れてしまうので読めず、強いて読めたのは元から持っていた一編の文量が少ない詩集くらい。その本も何度か読んでいるうちに飽きてしまって、書店でなにか詩集がないか探しているときにある短歌の本の表紙が可愛くて目に留まった。書店では詩と短歌、それに俳句や川柳などは同じコーナーにまとめられていることが多いため、必然といえば必然である。
それは岡野大嗣さんの『たやすみなさい』という歌集で、きらきらとした箔押しの装丁だった。一目惚れして思わずページをめくる。
そこには表題作として、こんな短歌が書いてあった。

たやすみ、は自分のためのおやすみで「たやすく眠れますように」の意

岡野大嗣『たやすみなさい』

高3のときの私は精神的な不調から来る不眠を拗らせていて、たやすく眠れることなど正直なかった。寝る前に辛いことが次々と脳裏に浮かぶ生活の中で、この31音の祈りは私の暗闇のような心を照らしてくれるやわらかなひかりとして、そのときから確かに存在している。

このとき出会ったその言葉たちに私はすっかり魅了されてしまって、昨年の11月から短歌を自分でも詠み始めた。きっかけは前述した『たやすみなさい』の作者である岡野大嗣さんのトークイベントに行って、ひょんなことからサインを貰うときに作者さんに「ご自分でも短歌を詠まれるんですか?」と尋ねられたことである。実は過去にも何度か詠もうと試みたことがあったのだが、なかなか形にならず作り手側に回るのは諦めていたところだった。しかしながらあこがれの人からの言葉というのは不思議なもので、次に何かのイベントでもし話せたら、その時は「はい、自分でも楽しく作っています」と答えられるようにまた創作としての短歌に向き合ってみようと思えたのである。

それからは意外と行動的に、やれるだけやってみよう!と思っていろいろな文芸誌の募集に応募してみたり、新人賞に向けて(まだ応募はできたことがないけれど)作歌してみたりと結構楽しく短歌を詠んでいる。今年の春に一度文芸誌に採用されたときは嬉しくて舞い上がってしまった。また、最近短歌のサークルにも入って、その中で行われる批評会(通称:歌会)に今度は自分の歌を出そうと思っている。

私を救ってくれた31音を、今度は私が紡いでいく。
それは自分で自分を救う手段になるのかもしれないし、巡り巡って私のような誰かを救うことに繋がるのかもしれない。
今はまだ拙い言葉たちだけれど、いつかそんな日が来ることを私は切に願っている。

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