見出し画像

webマーケターとして気づいた学校と社会課題の関係

夢中をシゴトにする学校をつくる話、第4話

前提

「自分で考え、行動し、価値を生む」
これができれば、まず仕事に困ることはないでしょう。

その上で、価値を生むものが自分の「夢中」であれば、これ以上幸せな働き方、生き方はないよね、という考えから生まれた構想です。

事の発端は「言われたことをやるだけ」「与えられた答えや方程式を暗記して答えるだけ」という教育では、AI に取って代わられる人材しか育たないし、何よりそんな人生楽しくないよね?という、僕の不登校や教師時代の経験によります。

これまで

① これからの時代に特に求められるのは「自分で考え行動し、価値を生む人」

② 理想の学校で育てる力は「失敗力」「工夫力」「コミュ力」+リーダーのための「問題をつくる(問いを問う)力」

③ これまでの学校の問題点は「強制割当の各教師が教えている」「知識が実践に繋がらない」「場所に縛られ "過ぎ" ている」「教師と親の教育の乖離」「貧富の差=教育の差」

この記事では、この教育を通して解決したい社会課題について考えます。

まず列挙すると「自殺、ひきこもり、貧富の差、差別、少子高齢化」です。

死因1位「自殺」は日本だけ

日本の 15 ~ 34 歳の死因上位3位を知っていますか?

1位 自殺
2位 事故
3位 がん

厚生労働省「自殺対策白書」/フランス2014年、カナダ2013年、それ以外は2015年のデータ
参照サイト:若い世代の「死因トップが自殺」はG7で日本だけ : 未成年自殺率、最悪を更新

ちなみに先進7カ国のうち、自殺が1位の国は日本だけです。
※先進7カ国:フランス、ドイツ、カナダ、米国、英国、イタリア、日本

事故で死ぬより、自分で死ぬ方が多いって、びっくりしませんか?

これ、僕は 10 代の頃からとても悲しくて、なんとかしたいと思ってきました。それで、そんな子が生まれないように、微力ながら未来を変える仕事として、教師という職を選びました。

なぜ「なんとかしたい」と強く思うのか?については、実は明確な回答がありません。

高校生の頃、後輩が自殺して心底悲しかったからかもしれないし、僕自身がひきこもって「生きていても意味がない」と長らく鬱々としていたからかもしれない。

いずれにせよ、僕がその苦しみを知った一方で、生きることの楽しさを知ったからだと思う。

世界は広くて、人生は楽しい。

そのことを知らずに死んでいってしまう人が多いのではないかな、と。

その原因は、世界(視野)を狭める「教育・常識」にあると考えているので、つまり解決できると思っている。

解決したい社会課題1 自殺
解決策 世界を広げる(常識に囚われない)教育

「ひきこもり」は悪くない

2つ目に解決したいのが「ひきこもり」なのですが、解決と言っても、ひきこもり自体をなくそうということではありません。

もし「ひきこもり」自体が問題なのであれば、アトリエにこもっている作家さんやアーティストさん、クリエイターの方々も問題になってきます。

最近では、リモートワークも一般的です。なので、この場合の解決は「ひきこもり=悪」という考えの払拭です。

「学校=善」じゃない

「ひきこもり=悪」という考えの裏には、「学校=善」という考えがある。

「『学校=善』だから、学校に行かないのは悪だ」ということですね。でも、本当にそうだろうか?

僕は、本質的問題は「善悪で語ることそれ自体」だと思っていて、誰かにとっての善は、誰かにとっての悪にもなりうる。(だから戦争が終わらない)

善悪で語るなら、学校が善の人もいれば、学校以外が善の人もいる。それでいいじゃないか、というだけの話である。

つまり「合う合わない」あるいは「好き嫌い」の問題だ。

もちろん学校と言っても様々あるので一概には言えないし、学校をつくろうとしている訳だから矛盾している。笑

が、僕がつくりたい学校では、ひきこもりか否かは関係ない。

ひきこもって夢中になることがあり、それを磨いているなら素晴らしいじゃないか。それで未来を変えたり、誰かのためになることができるなら、それはもはや偉人じゃないか。と思っている。

だから「場所に縛られ "過ぎ" ない」というテーマを掲げている。オンラインとリアルの適度な融合だ。

解決したい社会課題2 「ひきこもり=悪」というレッテル
解決策 ひきこもりでも学び成長し、活躍できるオンラインとリアルの融合

できれば、すでにマイナスイメージのある「ひきこもり」に変わる別の言葉をつくりたい。

「巣篭もり」だって、なんてことはない、ひきこもりだ。

「没頭家人」…よりスマートなのがいいな。「HOME LOVER」、いいかも😆

「貧富の差=教育の差」は闇ループ

教育は人を成長させ、人生を豊かにするものだと思う。

でもその教育の機会が平等じゃないのは「活かされない才能がある」という点で社会的損失ではないか。

つまり、共同体の全員にとっての損失である。これからの社会を支えてくれる子どもたちは、社会の未来だ。

なので、皆が貧富の差に関係なく、広い教育の選択肢を持てるといいと願う。

これに関しては「無料」だけが解決策ではない。お金がまわり続けなければ、継続ができないし、価値を生んでいればお金にもなるはずだ。

つまり、ビジネスモデルで解決する必要がある。これはこの学校運営の大きな宿題。まずは圧倒的な価値の創造に集中だ。

解決したい社会課題3 「貧富の差=教育の差」
解決策 ビジネスモデル

「差別」の元は教育にあり

「男性に触れるのも嫌だ」という女性の記事を見たことがある。

その女性は、幼い頃から「男は汚いものだ」という考えを植え付けられてきたらしい。

だから「男=不潔」という観念に縛られ、生きることになってしまった。

何を良しとし、何を悪とするかは、教育によって決まってしまう。親が何かを差別していれば、子も同じように差別するようになる。

なぜならそれが当たり前だからだ。もはや本人の中では「常識」と言ってもいい。

これも、狭められた世界で「正解は一つ」という教育によるのだと思う。

「差別は悪い」というのも一つの教育だ。大事なのは、常にそうした常識を疑えることだ。

鵜呑みではなく、常に自分で考える。

解決したい社会課題4 差別
解決策 常に常識を疑い、考える力を養う

「少子高齢化」は問題なのか?

現代では出生率の低下が問題とされているが、それは果たして本当にすべての問題なのだろうか?

歴史や世界を見渡せば、子だくさんの時代には「人口増」が問題とされている。

中国は「一人っ子政策」を行い、人口抑制を図ったことはご存知だろう。日本も、人口増を問題視している時代もあった。

つまり、それを問題と言ってしまえば、すべての責任をそこに押し付けられて、結果、楽なのである。笑

僕は「少子高齢化=問題」とは思っていない。

もちろん問題もある。経済上は、お客さんになる人が減り、高齢者を支える若者が減ることになる。

しかし、人に代替する AI の発達がめざましく、むしろ人の労働は減り、少数の人が仕組みやシステムをつくって社会を支えるのが、目指す未来の形ではないかと思う。

つまり「少子」は問題ではない。ただし結果として、優秀な人材が少数になるのは問題だ。

だからこそ、貧富の差が教育の差に比例することなく、少数の子たちが皆、存分に才能を発揮し、社会で活躍できる教育の仕組みが必須だろう。

そうした点から観ても、自殺は減る方が望ましい。

解決したい社会課題5 少子による、活躍する人材の減少
解決策 子どもの才能を余すことなく発揮させる教育

社会課題を考えるきっかけは「経済合理性限界曲線」

これまで、ビジネスはたくさんの問題を解決してきた。

食べ物が腐ってしまう→冷蔵庫
快適な温度で過ごしたい→エアコン
手軽に情報を得たり楽しみたい→テレビ

と言った具合である。

サービスも同様だ。

買い出しめんどうくさい→Uber Eats
誰か掃除してくれないかな→家事代行
悩みで苦しい→カウンセリング

これらは、経済合理性限界曲線の内側の問題である。(山口周さんに学ばせて頂きました)

「経済合理性限界曲線」とは何か?

限界ではなく、経済合理性がある状態とは「ビジネスにしやすい」ということである。

たくさんの人が悩んでいて、その問題の難易度が低ければ、簡単に解決し、多くの人に求められて、ビジネスとして成立する。

一方でほとんどの人が悩んでいないし、問題の難易度も高ければ、解決も難しい上に、解決したところで求められる数が少ないので、ビジネスになりにくい。

この、限界の範囲を示すものを「経済合理性限界曲線」という。こんな具合に👇(画像拝借)

引用元(素敵なサービス!):https://meepa.io/blog/noncognitive-skills-20

ここで言いたいことは

今はこの線の内側(オレンジ楕円)の部分のビジネスは、やり尽くされたよ
→ だから今後はこの外側の問題を解決するビジネスが求められるよ
→ でもそれって、利益が取りづらくビジネスにしづらいよ
→ ビジネスモデルから開発しようね!

ということである。

別の言い方をすれば、利益を求めてやるにはおいしくないので、それをやること自体が目的になる(やりたくてやりたくてしょうがない)ものを選ばないとね、ということでもある。

そこで僕が向き合いたいと思って選んだのが、今回の問題たちであり、つまるところ、そのすべてを解決に向かわせてくれる「教育」なのだ。

という僕の "夢中" のお話でした。

僕はこれをシゴトにしていく気ですし、同じように "夢中" を持つ子が、その "夢中" をシゴトにできると、本人も社会もハッピーになるんじゃないかなと。

それどころか、経済合理性限界曲線の外側のビジネスに挑む人たちは、それ自体に夢中であることが条件になってくるので、「 "夢中" をシゴトにする」という考え方が、もはや必須なのではないかなーと考えています。

夢中をシゴトにする学校をつくる話、つづく。

埋もれた価値を、未来に残す道のり、精一杯がんばります! ありがとうございます。