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”日本語”に学ぶビジネスの発展

日本の歴史文学に学ぶ


本編に入る前にお知らせです。
ここに書かれるブログ記事はボクのサロンで1年前に書かれた
内容をリニューアルして転載していますので、若干扱う情報が
古い時がありますがご容赦下さい。

リアルタイム配信は現在でもFacebookのグループ配信にて行っております。
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いつも読んで頂き、ありがとうございます。
「技術と言語」がいつか融合しないかと日々模索を続けるとらよしです。
おはようございます。

今回は偶然見かけた動画の中からボク自身の
マインドブロックが少し外れた
お話をしたいと思います。


日本語の歴史


今まで全く気にしていなかった(興味がなかった)文学の歴史を
面白く紹介している動画を偶然見つけました。
#何かのTV番組っぽかったな

驚いた事に、ボクが掲げるビジネスの根幹は200年以上も昔から
適用されている
のに対し「それを伝える為の言語(手段)」は
何とほんの100年前にできた言語
だという衝撃の事実だったんです。
#日本語の事ですよ

きっと縄文時代の頃から何らかの言葉で以てコミュニケーションは
取っていたのであろう日本人ですが、当時は「文字」という文明が
まだなかった為に何の痕跡も残されていません。
#そりゃそうだ

Jens TeichmannによるPixabayからの画像


その後時代は移り、大陸(中国)から文字という文明を手に入れた
日本人は、初めて「漢字」という文字にチャレンジする事になります。
つまり、奈良・飛鳥時代の書物は言うなれば「中国語」で書かれた物
という事になるんですって。

ここで気になるのが、当時の「読み方」なんですが
当然話し言葉は日本にも昔からありますので「話す」言葉と
「読み書き」の文字は全く違う別物として扱われていたんですね。
なので読む時の発音も、当初はそのまま中国語読みしていたそうです。
そう聞くと中々不便なように思えますが、まぁ
「本当に大事な物」だけを文書として興したでしょうから
「読み書きの必要があるのは政治関係者だけ」という
当時の特権階級(現在の国家資格)だと理解すれば
今とそんなに変わりはないでしょう。

今でこそ話し言葉はそのまま文章にするのが当たり前の時代ですので
読み手が苦労して脳内変換するような事はありませんが、当時は
文字が読めたのは「外国語に精通した人のみ」であったと考えられます。


カタカナと平仮名の登場


文字の読み書きが文化として世間に普及し始めると
今度は若者がこぞって文字に興味を持ち始め扱い始めます。
すると今でもよく見かける若者特有の「変換」が始まります。
#いつの時代も若者はセンセーショナル

https://pixabay.com/ja/users/cuncon-3452518/


まず最初に始まったのは『読み方の日本語化』だったそうです。
話す時は日本語、書けば中国語という変換がいちいち煩わしかった若者は
字体をどんどん崩していき、仮名文字という文字を創っては普及させて
いったようです。これが「訓読み」の始まりとされているそうです。
#万葉仮名とかはこの辺りの時代だったかな

しかし当時、最初に漢字を崩してできたのはカタカナだったそうです。
つまり最初は「漢字とカタカナ」に分けたんですね。
今でも古文はそんな書き方の文章を読む練習をさせられます。

その後も、各地の文豪たちによってもっと字体を崩した平仮名が生まれ
現在の3種類の文字を扱う文化として根付いたそうですが、これが
平安から戦国時代・江戸初期にかけての出来事であり、この時から
英語に倣って「話し言葉をそのまま文章にする」といった
変換不要の読み物も登場してきたそうです。
#英語は読みの発音そのまま書くよね

しかし、やはり話し言葉というのは同じ日本国内であっても「方言」
があり、統一性がありません
でした。どうもこれが原因で江戸~明治に
かかる頃の明治維新でも「遠方の人間と話し合いができない」
という不毛な争いが絶えなかったそうです。
#そりゃそうだ
#一人称だけでも何種類あるんだ

後に、これを解決したのが現代版の「こくご」であり、それまで
200種類以上あった平仮名の読み方・書き方も50音に統一され
教科書として学校で広く使われるようになったそうです。

驚くのはここからですが、これって「明治以降」の時代の話なんです。
日本語はもともと日本語としてあったワケではなくて、実はほんの
100年ぐらいの間に出来上がった新しい言語だった
んですね。
#標準語が新基準として制定されたのが100年前


不便を解消する


さて、なぜこんな話題を取り上げたのかという今回の本題はココからです。ボクがマーケティングやセールスの歴史を大切にしているように
歴史には様々な苦労とアイデアが繰り返されています。

今、誰しもが抱えている苦悩もそれは今に始まった事ではなくてずーっと
太古の昔から人間が問題を解決してきたからこそ生まれた新しい問題です。

この解消方法は時代によって様々な打ち手があり、そこに正解は
ありませんが「問題を解決する」といった人間の本質は、人類が
生まれてから現在までずっと繰り返されてきた歴史そのもの。

歴史を遡れば、今の自分と同じ分野の問題が見えてくる事もあるでしょう。今この「文学問題」はボクが抱える「どうすれば理解が広まるか」といった
問題に酷似しているような気がします。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像


ここには科学技術はほとんど入る隙がなく「コミュニケーションと人間力」
を磨き続ける他に方法がないように感じています。これを機に、周りとの
コミュニケーションを大切にしなければならないと感じている
ところではありますが、何の専門知識もないままにどこかの
コミュニティに入るのは個人的にあまりお勧めしません。

その理由は、そのコミュニティの「情報消費者」になってしまうからです。
消費者はその名の通り商品であれサービスを消費します。
なのでコミュニティで何かしらのテーマを発案されても
その時は理解したつもりで、いざ自宅に戻ると「あれ?だから何?」
っと我に返る
事も珍しくないと思います。

セミナーなどではよく
「周囲の起業家さん達と密にコミュニケーションを取る事が大事」
なんて言われますが、その際には是非「消費者」としてではなく
「情報を活かせる者」として参加する方が今後自身のビジネスを
発展させる上での近道になると考えていますがいかがでしょう。



今回はここまで。

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