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老老介護の終わり


母が彼方への橋を渡った

昭和一桁世代
幼い母に太平洋戦争は
きっと過酷だったはず

自宅は大阪大空襲で焼けて
焼け跡には鍋だけで
でも土に埋めたアルバムは無事だったと

戦後すぐに両親を病でなくし
兄弟姉妹で助け合って戦後を生きたと

あの頃はみんなが貧しかったから
つらくも恥ずかしくもなかったと
若いころの話をした母

戦後、食糧がないとき
土を耕し野菜を育てたから
花を育てるのが好きになったと
昔そう語った母

92年間、休むことなく働いた手を握る
私のおしめを替えてくれた手
お風呂に入れてくれた手
母の耳元で小さな声で童謡を歌う
私に歌ってくれたように

最後には何度かありがとうと
かすかな声で
母の口からことばがあふれ出た

心臓は少しずつゆっくりとなって
そして止まった

救急車で自宅からICUに運ばれて3日目
やがて心電図の波形がまっすぐに

おかあさん、
ようやく休めましたね
ほんとうにおつかれさまでした

小さくなって白布に包まれた母
私の手のひらに収まる大きさに

長い間、私の母でいてくれてありがとう
またいつか会えますから

彼方の世界で待っててね
私が生きることを終える日には

橋を渡って行きますね

ありがとうございました

おかあさんへ

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