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比較する生き物人間の今世の生きづらさ

人によっては当たり前じゃねって思ってバカにされたら嫌だから予防線を張って
おきたい。当たり前のことを書いてごめんなさい。

心配症ですいません。

日常でも謝るのが癖になって、最近直したいことのNo.1です。

インターネットで世界中の人の様子、生い立ちを覗ける。それは便利だが一方で不幸である。16歳私はパッフェルベルのカノンが弾けるんだ!ドヤってなってる私だがネットの世界を覗く

 「ラ・カンパネラを小一で!」

と自分はどんだけちっぽけなんだと悲しくなる。みんなそんなもんだろう。
なんでネットの世界はこんなにも才能に溢れてるんだろう
私は負けず嫌いだからそれが苦しいです。
でもそんなもんだよね。どんなに勉強ができても誰かよりは劣る。学校1運動ができても全国一には足元にも及ばない。世界は虚しいね。でもこれを認められれ出来るだけ上に行こうとするのが大人なんだと思う。

動物と人間との差は知能だが私は知能はいわゆる比較する力だと思う。
対照実験のように比較することが科学の大元だ。
人間の成長だって比較の連続だ。

赤ちゃんが音の種類を比較して言葉が生まれる、場合を比較して意味する言葉を見つける、言葉のイントネーションを比較して語彙を増やす、顔のパーツ、位置を比較して誰だか覚える。

そう考えると比較は私たちを躊躇なく苦しめるが、尊いものだ。

幼少期の万能感だって広い世界を成長とともに知っていって比較し薄れる。
でもどうだろうか今のグローバルな世界一体化の時代、小学生でも世界と繋がることが可能だ。それは子供の無知な万能感をチリとするんじゃないか。

万能感を一瞬にして砕かれた子供は広い世界に希望を見出せるのか、どんなに才能があっても努力しても上がいることを安易に知ってしまう。メンタルの弱さや諦めはこの時代にとっては大きすぎる弱点なのかもしれない。


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