今朝の空
11月12日、午前4時46分。
空がきれいだ。
身体に受ける空気は冷ややかで、世界は未だ闇に沈んでいる。
空の黒も星の輝きも、濡れたような艶を帯びている。
ここはただの街中で、いつもの自宅付近だが、きれいだ。
どうしてだろう。
そういえば、ずっと、大粒の雨の音を聞き、泣いて、そうして目覚めた朝だった。
彼は、病気になり死を意識した時、お金の勘定をして、家族にそれほど迷惑をかけずに済むと知り、死んでもいいなと思ったと言う。
自分の遺骨は空に撒いて欲しいと思ったと言う。
家庭を持つ彼が、そんな望みを持っていることにショックを受けた。
普通は、「家族が悲しむ」などとたしなめるのだろうか、私には言えないセリフだが。
娘さんを溺愛しているのに?と聞くと、自分が娘を愛していることと、娘が自分を必要としていることは違うと言う。
分からなくはない。
むしろその見積もりのやり方は私に身近だった。
彼はパイロットになるのが夢だったが、視力が悪かったために、小学校の頃に無理だとあきらめた、そのときから、なんとなく、いつ死んでもいいと思っていたと言う。
いつ死んでもいい、そう思っていたって、人は、生きてさえいればセックスをして子供まで出来たりする、そんな人は世の中にいくらでもいる。
今や私もそのうちだ。
「自分がやりたいこと」という言葉で世界を切り取ったとき、私がやりたいのはマトモな恋愛とマトモなセックスだった。
それが叶った以後の人生に「自分がやりたいこと」という未練はなかった。
しかしおそらく、本当は、あきらめたのだ。
私の想像する未来に、彼との再会はない。
病気だった彼は手術に成功し、経過も順調で、死は遠のいた、出会ったのはその頃だった。
手術前に死んでもいいと思ったと話してくれたとき、泣いていた。
今は君に会いたいから生きていたいと言ってくれた。
別れるなら殺して欲しいと言って、また泣いた。
しかし私たちは別れて、十年以上もお互いのうのうと生き続けている。
そして彼も私も、けっこう幸せであると思う。
彼は、研究者であり、科学者である。
「自己実現」という言葉があるが、他人から見れば立派に自己実現を果たした人であり、パイロットにはなれなかったけれど、本人にとっても、自己実現をした、といって良いだろう。
科学者個人の名前がある意味はないと教えてくれたのは彼だった。
科学は一つの大きな流れであり、その中の一人一人は、何かを受け取り、何かを渡していく、ただそれだけ、一瞬だけの存在だ。
「個人の業績」なんてものはどこにも無い。
科学に限らず、世界はそういうもので在るはずだ。
自分一人の喜びはない。
空の先には宇宙がある。
空と宇宙は繋がっている、というより、まぎれなく一つだ。
空を仰ぎ見る僕たちは宇宙を見ている。
そう教えてくれたのは彼だった。